野口町をゆく(70) 富田 雅次(とみたまさじ)
加古川市野口町水足から偉大な人物が誕生しておられます。
富田雅次(とみたまさじ)です。彼の略歴を紹介します。
明治22年 野口村水足に生まれる。
大正 3年 京都帝国大学(現:京都大学)医学部卒業
〃 9年 ドイツ・アメリカ等に留学
〃 12年 長崎医科大学教授
昭和10年 ドイツ自然科学々士院会員
〃 11年 胎生科学の研究
〃 16年 台北帝国大学医学部長
〃 19年 山口県立医専校長
〃 33年 日本学士院会員
雅次は、生命とは何かを探求しつづけました。
大学での講義中の彼の口癖は、「Morgen, Morgen, nichit Heute. (今日だけではない、また明日があるじゃないか)」で、学生をはげましました。
彼は、戦後まもない頃、当時無医村であった野口村に、村立診療所を創設し、自ら院長として2年間勤めました。
その後、診療所は発展的に解消して、加古川市民病院となりました。
昭和42年12月20日、逝去。72歳。
*写真は富田雅次氏