野口町をゆく(85) 大庫源次郎物語(12) 鮮血にまみれた試練
旋盤の上に鮮血がパッと散りました。
主人をはじめ同僚が、ハンマーや鉄棒を投げ出し飛んできました。
源次郎の左手は旋盤の匁に喰い込んで、血がほとばしっています。
機械から引き抜いたその左手は、手首から甲にかけ、ぱつくりとザクロのように赤い傷口を見せ、白い骨が露出しています。
みんなに抱きかかえられ、手ぬぐいでしっかり押えた源次郎の顔は蒼白になりました。
励ます主人に、歯をくいしばりながら源次郎はいうのでした。
「痛いことおへん。それより、わしの左手はもうあかんやろか。もう使えんやろか・・・」
近所の外科医へようやく着きました。
幾針も縫い上げられる左手の痛い感覚はそれほどなかったのですが、夢がようやくスタートしかけた時に、何といっても悔しい怪我でした。
「こんな大けがをして、もうやって行けないのではないか」と口惜し涙がこぼれるのでした。
「この傷じゃ、入院せんと無理だがなあ」と医者が主人にいっています。
手術は、どうやらすみました。入院すれば付添いがいります。
この京都に身寄りのない源次郎です。鉄工所も人手不足で、そんな余裕はありません。
源次郎から事情を聞くと、医者はしぶしぶ通院を認めてくれました。
東山に上った秋の月は、彼の顔色のように青白く、冷ややかに光り輝いています。
全治するまで二ヵ月かかりました。
源次郎は「モータ―の響きと旋盤のうなり声、ハンマーのカン高い音、油の匂い」それら中にいなければ、どうも落ち着きません。
仕事が出来ません。その間、使える右手で、ここにある機械の構造をノートに書き写しました。
図を引いていると、自分がしゃにむに覚えてきた仕事はすべて勘だけのもので、正確な操作の技術がもっと必要だと思えてくるのでした。