野口町をゆく(72) 野口の小作争議
1924年(大正13)の調査があります。加古郡の小作率は64.5%で、印南郡のそれは63.9%でした。
加古川・高砂地域は、県花一番の高い小作率でした。
大正13年4月2日、加古川公会堂(現:加古川小学校近くの市立図書館)で日本農民組合東播連合会の創立大会が行われました。
「・・・生存の権利を持って対抗し、団結と組織をもって土地と自由を得るまで努力する・・・」とたからかに宣言しました。
団結した農民のエネルギーは、地主に小作料の減免を要求しました。
大正13年、野口の鵤(加古川市野口町長砂)では、大規模な小作争議が展開されました。
小作料の引き下げを求めました。これに対して地主は、成育中の稲を差し押さえ、小作人に、稲を刈り取らせないように対抗しました。
小作人は、「稲の刈り取りと運搬をさせて欲しい」と要求したのですが断られました。
ある朝、地主側が雇った人夫が稲の刈り取りをしているのを見つけ、こぜりあいとなり、突然、多数の警官があらわれ、多くの逮捕者を出しました。
逮捕された人々は、裁判にかけられました。
村人の要求は、ほとんど聞き入れられませんでした。