野口町をゆく(76)大庫源次郎物語(3) 学校へ行かしたる
「おおい。旅順が陥落したぞ・・・」雪の深い明冶38年の元旦でした。
大国ロシアとアジアの一小国との戦争は他人事ではありません。
旅順要塞は堅固だった。来る日も来る日も、日本軍全滅の暗いニュースばかりでした。
そこへこの快報でした。「おとう 旅順の話聞かしてや・・・」
源次郎は、父にせがみましたが、父は苦笑するばかりで教えてくれません。
当時の百姓に多かったように源次郎の両親も字を知らなかったのです。
新聞を読むことができませんでした。その年の5月27日、日本海海戦。東郷平八郎ひきいる連合艦隊はハルチック艦隊を撃滅させました。
父は、手紙も読めませんでした。「勉強さえやっとったらのう。わしもいつまでも水呑み百牲やっとらんけどなあ」父は、くやしく思うのでした。
「子どもたちには、勉強をちゃんとさせておなあかん・・・、これからの世の中を渡るのに一生苦労するだろう」と思うのでした。
苦しくても子供には学校教育を受けさせようと決心ました。
ある日、仕事も終わり、夕食が始まる前、父は源次郎を呼びました。
「こんど高砂の町に高等小学校(高砂高等小学校)ができるちゅうが、お前行かしたる・・・どんなことしても行かしたる。その代り、お前も辛いやろが、月謝ぐらいは自分で稼いで、よう勉強せなあかん・・・」と。