野口町をゆく(86) 大庫源次郎物語(13) 好景気
大正5年、源次郎は19歳のときでした。転職をし、大阪砲兵工廠へ旋盤工に入りました。
大正3年(1914)、日本は第一次世界大戦に突入しました。
翌年末ごろ輸出の急増で好況に転じてきました。
というのは、ロシアやイギリスから軍需品の注文が殺到し、大戦景気のアメリカへは、生糸輸出が増大し、さらに、大戦でストップしたヨーロッパ商品にかわり、日本商品が、中国や東南アジア、アフリカ諸国へどんどん輸出されるようになりました。
大戦景気で砲兵工廠も残業、夜業で活気に満ちあふれるようになりました。
源次郎は、兵器をつくるこの大工場機械の豊富なのにおどろきました。
とにかく、ここでは見るもの、触れるもの、すべてが新鮮であり驚異でした。
時期は、働けば働くほど金の入る職人の時代となりました。
大戦の軍需ブームを背景に、源次郎は眠い眼をこすりながら砲弾仕上げに明け暮れる毎日でした。
丁稚奉公で月、20銭の給金に大喜びしていた彼も、ついに残業手当をふくめ、月30円の給料を取るようになりました。
源次郎は同僚たちから食事・遊びに誘われても、笑って断り、下宿~工場と往復するだけの毎日をすごしたのでした。
播州の家には幼い弟妹や、貧しい父母がいます。
徹夜で稼いだ夜勤料は、そつくり家へ送金しました。