1月5日(木)
2023年(令和5年)、新年が開けて3ケ日も過ぎた。家族皆んなの納得の上で今年の帰省も見送りとなり、静かな年明けであった。
今日は達磨さんが欲しくて北葛城郡の「だるま寺]に行った。JR大和路線王寺駅の通路に立つ王寺町のキャラクター「雪丸くん」も新年の装いで、何だか私の気持も華やいだ。
駅から徒歩20分程で到着。お参りの人が入れ代わり立ち代わり居た。
こちらのお寺は「片岡山伝説」が残る臨済宗南禅寺派のお寺である。
団体のウォーキングやらで今まで幾度か訪れているのだが、今日は2人でゆっくりお参りした。
歴史的に意義深い見どころの多いお寺であるが、今回はご本尊の千手観音座像(室町時代)・達磨座像(室町時代)・聖徳太子座像(鎌倉時代)に手を合わせた後、古墳1号基、2号墳(3号墳は本堂地下)を見て、伝説の問答石も確認した。
本堂の地下にあると言う古墳時代後期6世紀の円墳3号墳こそ聖徳太子が飢者の為に造られたお墓、すなわち達磨大師のお墓とされ、鎌倉時代にその上にお堂が建てられ、本尊として聖徳太子像と達磨大師像が安置されたという。
問答石とは二人が出逢って和歌を詠み交わし問答された場所。太子の歌「しな照るや 片岡山の飯に飢えて伏せる旅人 哀れ親なし」、達磨大師「斑鳩や 富の小川の絶えばこそ わが大君の御名をわすれめ」。
(画像はクリックすると拡大する)
1号墳 横穴式石室→
達磨石→
←太子石
江戸時代、寛文7年(1667)に建立されたという方丈も拝観させてもらった。
明治44年(1911)日本画家の橋本関雪(1883~1945)が『日本書紀』推古天皇21年(613)条に収載された「片岡飢人伝説」を描いたという『片岡山のほとり』を観る事が出来た。原画は広島のウッドワン美術館所蔵でこちらは複製品であるそうだが、大きな六曲一双屏風は素晴らしかった。
聖徳太子が片岡の地で飢者に化身した達磨大師と出会う場面は一瞬にして私をロマンの世界に誘ってくれた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/73/4d/efbe4870fc55ba9e7110a001b803716e_s.jpg)
太子の愛犬・愛称「雪丸くん」のお墓は境内に在るが、余談ながら太子の愛馬・黒駒のものと伝わる『駒塚古墳』と、馬丁の調子丸を葬った『調子丸古墳』は斑鳩町に在る。2021年、聖徳太子の「一四〇〇年遠忌」の折私は4月19日に上宮遺跡(カミヤイセキ)を訪ね、その足でその2つの古墳を訪ねて行った。100m位離れて並んだ小さな古墳、中には入れなかったが、近くに住む人達に愛されているのを感じたのを思い出す。
聖徳太子と聞けば何故かソワソワする私であるよなぁ~。(笑)
大切な達磨さんを確り抱いて帰宅した、良き日であった。
●オミクロン株の新たなウイルス≪XBB1.5≫がアメリカで急拡大中、日本でも10月に確認されたと聞いている。重症度は未だハッキリしないらしいが、感染力は今まで以上で抗体薬の効き目がないとか。色んな制約が解かれほぼ日常が戻りつつある中で、今年こそはコロナ収束を期待しているのに又又厄介な事になるのかなぁ~・・・・・
コロナ3年、最初デルタ株から始まり現在主流のオミクロン株になって重症度は下がっているので、分類を巡って2類からインフルエンザ同等の5類への移行を求める声が高まっている。第8波半ばにして不安な人も多いはず。でも遠からずそうなるであろう動きがあるようだ。
●ウクライナとロシアの戦争11ケ月、止むことはなさそう。。。。。この寒さのなかで戦う兵士も一般市民もどんなにか辛いだろうに・・・・・
●我が国の課題も山積みだよな、物価上昇甚だしいインフレ対策や少子化対策、それに防衛費財源どこから出るの?やら旧統一教会の被害者救済等々.。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/06/ac/b08826cebb4d1420c951e2dc30be4236_s.jpg)
今日は達磨さんが欲しくて北葛城郡の「だるま寺]に行った。JR大和路線王寺駅の通路に立つ王寺町のキャラクター「雪丸くん」も新年の装いで、何だか私の気持も華やいだ。
駅から徒歩20分程で到着。お参りの人が入れ代わり立ち代わり居た。
こちらのお寺は「片岡山伝説」が残る臨済宗南禅寺派のお寺である。
団体のウォーキングやらで今まで幾度か訪れているのだが、今日は2人でゆっくりお参りした。
歴史的に意義深い見どころの多いお寺であるが、今回はご本尊の千手観音座像(室町時代)・達磨座像(室町時代)・聖徳太子座像(鎌倉時代)に手を合わせた後、古墳1号基、2号墳(3号墳は本堂地下)を見て、伝説の問答石も確認した。
本堂の地下にあると言う古墳時代後期6世紀の円墳3号墳こそ聖徳太子が飢者の為に造られたお墓、すなわち達磨大師のお墓とされ、鎌倉時代にその上にお堂が建てられ、本尊として聖徳太子像と達磨大師像が安置されたという。
問答石とは二人が出逢って和歌を詠み交わし問答された場所。太子の歌「しな照るや 片岡山の飯に飢えて伏せる旅人 哀れ親なし」、達磨大師「斑鳩や 富の小川の絶えばこそ わが大君の御名をわすれめ」。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/70/5f/9a5cccf17363aae24339b6d9309ebe24_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/3c/34/f062608bf74b0311d547816659818ed4_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/00/95/f48a0c21aea2f137210b14e64b0f19aa_s.jpg)
1号墳 横穴式石室→
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/5b/b2/0102677540ecff91d81880a170622734_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/49/14/a2468e946e80eaa68eba751ff09f2bb3_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/1e/8a/dfa6451f19001d0ad5ecfbb4ff642fe1_s.jpg)
江戸時代、寛文7年(1667)に建立されたという方丈も拝観させてもらった。
明治44年(1911)日本画家の橋本関雪(1883~1945)が『日本書紀』推古天皇21年(613)条に収載された「片岡飢人伝説」を描いたという『片岡山のほとり』を観る事が出来た。原画は広島のウッドワン美術館所蔵でこちらは複製品であるそうだが、大きな六曲一双屏風は素晴らしかった。
聖徳太子が片岡の地で飢者に化身した達磨大師と出会う場面は一瞬にして私をロマンの世界に誘ってくれた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/4f/37/e9866bbc02e7e7bfc7fec63b89a52862_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/12/c7/2c88af31366bf6c25f9eb70724143367_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/3e/b5/41de34bdbfb746c7536de746472a7c80_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/73/4d/efbe4870fc55ba9e7110a001b803716e_s.jpg)
太子の愛犬・愛称「雪丸くん」のお墓は境内に在るが、余談ながら太子の愛馬・黒駒のものと伝わる『駒塚古墳』と、馬丁の調子丸を葬った『調子丸古墳』は斑鳩町に在る。2021年、聖徳太子の「一四〇〇年遠忌」の折私は4月19日に上宮遺跡(カミヤイセキ)を訪ね、その足でその2つの古墳を訪ねて行った。100m位離れて並んだ小さな古墳、中には入れなかったが、近くに住む人達に愛されているのを感じたのを思い出す。
聖徳太子と聞けば何故かソワソワする私であるよなぁ~。(笑)
大切な達磨さんを確り抱いて帰宅した、良き日であった。
●オミクロン株の新たなウイルス≪XBB1.5≫がアメリカで急拡大中、日本でも10月に確認されたと聞いている。重症度は未だハッキリしないらしいが、感染力は今まで以上で抗体薬の効き目がないとか。色んな制約が解かれほぼ日常が戻りつつある中で、今年こそはコロナ収束を期待しているのに又又厄介な事になるのかなぁ~・・・・・
コロナ3年、最初デルタ株から始まり現在主流のオミクロン株になって重症度は下がっているので、分類を巡って2類からインフルエンザ同等の5類への移行を求める声が高まっている。第8波半ばにして不安な人も多いはず。でも遠からずそうなるであろう動きがあるようだ。
●ウクライナとロシアの戦争11ケ月、止むことはなさそう。。。。。この寒さのなかで戦う兵士も一般市民もどんなにか辛いだろうに・・・・・
●我が国の課題も山積みだよな、物価上昇甚だしいインフレ対策や少子化対策、それに防衛費財源どこから出るの?やら旧統一教会の被害者救済等々.。