今日も彼に誘われて柳生街道(滝坂の道)コースを歩く事になった。滝坂と言えば、先日(3月24日)まほろば健康ジムのハイキングで歩いた道だが、今日は磨崖仏を巡りたかった。近鉄奈良駅からバスで忍辱山(にんにくせん)まで行き、円成寺(えんじょうじ)の参拝から始まった。“てくてくまっぷ”には約12km〔忍辱山バス停~滝坂の道(地獄谷)~近鉄奈良駅〕とある。
5月17日(日)
30分バスに揺られて「円成寺」門前に立ったのは午前8時50分。光る若葉の緑がとても美しい庭園の中を池に沿って歩くだけで心が癒された。昔マイカーで訪れた柳生の里で最後に辿り着いたのが円成寺であったが、人のあまりの多さに参拝を見送ったままであった。今日は静かでゆっくりゆっくり堂宇の中の仏様や建物や庭園を廻った。
多宝塔のご本尊・国宝の大日如来像は運慶25才頃の作とか。運慶と聞けば私の脳裏に先ず浮かぶのは東大寺の金剛力士像であるが、あの姿や表情とはまるで違うさわやかな、それでいて威力を感じる仏様にうっとり見とれてしまった。そして春日大社から譲り受けられたという国宝の鎮守社・春日堂と白山堂が並んでいる光景は実に綺麗で心に浸みた。又訪れてみたくなるお寺である。
(画像はクリックすると拡大する)
歩きスタート午前9時35分、石畳道を登り始めて六地蔵様の前を通り、県道184号線誓多林町(せたりんちょう)の標識を見て間もなく距離にして3950m、林道のはずれに来た。そこの三差路に江戸時代の太神宮石灯篭を見た。
集落の茶畑の斜面真ん中に「五尺地蔵」様が立っていられた。心和らぐのどかな雰囲気で、笑顔のお地蔵様に私の顔も緩んでいたかも・・・(笑)
茶畑は黒いネットで覆われていた。かぶせ茶になるのかなぁ~。
一軒の民家の納屋に並べられたシイタケを購入、コレも歩きの楽しみの1つでリュックに入れながら、冷やし素麺を作る気持ちになった。
間もなく「峠の茶屋」(4640m)に着く。家屋の中に入らなかったが、カモイには昔の武芸者が飲み代のカタに残したという古めかしい槍や鉄砲が掛けられているそうだ。
茶屋から200mほど進んだ所で道はそのまま直進する道と川沿いを行く少々危険な道の二方に分かれていて、少し迷ったが川沿いを選んで「地獄谷石窟仏」に行くことにした。
確かに気を引き締めて足元を確認しながら歩かねばならない正に地獄谷の道だった。歩くこと1キロ半、石窟の前に立った。石窟は凝灰岩層(ぎょうかいがんそう)をくり抜いたものだそうで、凝灰岩は他の岩石に比べると軽くて柔らかい岩石とのこと。
線刻された仏様が金網越しにはっきりと観えた。作者未詳、年代は奈良時代。下段の写真最後は洞(ほら)の正面壁の三体の仏様で、朱の彩色が残っていて思わず目を見張った。中央が高さ1.4mの釈迦如来、向かって左が薬師如来、右が十一面観音と言われている。写真を撮るのは不可能だったが、左側壁面には弥陀如来と千手観音、右側壁面には妙見菩薩が彫られているそうである。
“まっぷ”の説明に依ると、これらの石仏は山伏が岩窟に寝起きして彫刻したとか、大仏殿建立の折に石材採りの石工が彫刻したなどと言われているそうである、また聖(ひじり)が住んでいたという伝承もあり、「聖人窟」とも呼ばれているとか。とにかく一見すると忘れられない衝撃を受ける石窟で、私には大冒険で得た感動の観賞であった。
無事に一仕事を終えたような達成感に浸りながら400m程歩いて行くと、目の前が明るく開け、奥山ドライブウェイに出た。
次の目標は「春日山石窟仏」である。ドライブウェイを少し上り左折して石窟に到着。こちらも金網が張り巡らされていた。彼曰く「昔来た時には金網が無かったような気がするけどなぁ~・・・」返事に困ったが、世の中いろんな人が居るから後世に残す為には当然の対策なんだと思う。でも金網の一部が切り取られ小さい穴が有った。そこからカメラを入れて撮っていいのかな?
右(東)と左(西)に二つの石窟があって、それぞれの壁面に数体の仏様が彫られていた。説明版には年代は平安末期と有り作者の刻銘も有るようである。わずかな隙間から撮った写真、下段二番目が東窟、三番目が西窟の仏様それぞれの一部である。
石窟から20分程歩いて、あの「首切り地蔵」に来た。今日は後姿を投稿しておこう。
しばらく休憩して緊張と興奮を鎮め普段のハイキング気分を取り戻す。そして能登川沿いを歩き出した。杉の大木があって、両手を広げてみたよ。
「朝日観音」)、「三体地蔵」、 「夕日観音」、「寝仏」を確認する。
下段左から順に並べたが、いずれもバカチョンカメラでの映像で実物はもっと感動的!
夕日観音は三体地蔵よりも高い所に在って、道からは分り難く、キョロキョロして首を伸ばしてやっと見つかる。傍に行くには道なき道斜面をよじ登らなければならないので危ない。彼は感動して戻ってきた。
それから寝仏であるが、道側からではなく山側から見なければならない。風化が進んでいるので少々離れて凝視すると確かにお姿が判る。元は立っていたのに転がって寝てしまったのかも知れないなぁ~・・・
「かけおちて岩の下なる草むらの土となりけむ佛かなしも」 会津八一
岩に刻まれた仏さまが長い年月の間に欠け落ちて、草むらの土になったのもあるだろう。いとおしい。
こちらの道は地獄谷とは違って心静かに小鳥の鳴き声やせせらぎを楽しめた。
時刻は午後2時45分、観たかった石仏すべて拝顔し、急に力が抜けてきて疲れを感じ、足にも痛みを感じ始めてきた。破石(わりいし)町バス停からバスに乗ろうと言いながら歩いていたのに、偶然出逢った面白い元気なご老人(83歳)に釣られて春日大社本殿の前に出てきた。一の鳥居に向かう途中、例のムクロジの木を見みると、木は緑の葉っぱに覆われ中央の竹も思い切り背伸びをしていた。結局奈良駅まで歩くことになった。(笑)
そして午後5時、居酒屋のれんをくぐってビールで乾杯、やれやれお疲れ様。
歩いた距離は17km、我ながらすごい!と思う。道は林の中で日蔭でもあり地道で足裏に優しくゆっくりペースならばこそであった。そうそう山の中で食べた昼食のおにぎりと温かいコーヒとお菓子も最高(?)に美味しかったよな。
★★★写真を並べ過ぎたかなぁ~。歩くのと同じ程疲れそう。。。。。(笑)
5月17日(日)
30分バスに揺られて「円成寺」門前に立ったのは午前8時50分。光る若葉の緑がとても美しい庭園の中を池に沿って歩くだけで心が癒された。昔マイカーで訪れた柳生の里で最後に辿り着いたのが円成寺であったが、人のあまりの多さに参拝を見送ったままであった。今日は静かでゆっくりゆっくり堂宇の中の仏様や建物や庭園を廻った。
多宝塔のご本尊・国宝の大日如来像は運慶25才頃の作とか。運慶と聞けば私の脳裏に先ず浮かぶのは東大寺の金剛力士像であるが、あの姿や表情とはまるで違うさわやかな、それでいて威力を感じる仏様にうっとり見とれてしまった。そして春日大社から譲り受けられたという国宝の鎮守社・春日堂と白山堂が並んでいる光景は実に綺麗で心に浸みた。又訪れてみたくなるお寺である。
(画像はクリックすると拡大する)
歩きスタート午前9時35分、石畳道を登り始めて六地蔵様の前を通り、県道184号線誓多林町(せたりんちょう)の標識を見て間もなく距離にして3950m、林道のはずれに来た。そこの三差路に江戸時代の太神宮石灯篭を見た。
集落の茶畑の斜面真ん中に「五尺地蔵」様が立っていられた。心和らぐのどかな雰囲気で、笑顔のお地蔵様に私の顔も緩んでいたかも・・・(笑)
茶畑は黒いネットで覆われていた。かぶせ茶になるのかなぁ~。
一軒の民家の納屋に並べられたシイタケを購入、コレも歩きの楽しみの1つでリュックに入れながら、冷やし素麺を作る気持ちになった。
間もなく「峠の茶屋」(4640m)に着く。家屋の中に入らなかったが、カモイには昔の武芸者が飲み代のカタに残したという古めかしい槍や鉄砲が掛けられているそうだ。
茶屋から200mほど進んだ所で道はそのまま直進する道と川沿いを行く少々危険な道の二方に分かれていて、少し迷ったが川沿いを選んで「地獄谷石窟仏」に行くことにした。
確かに気を引き締めて足元を確認しながら歩かねばならない正に地獄谷の道だった。歩くこと1キロ半、石窟の前に立った。石窟は凝灰岩層(ぎょうかいがんそう)をくり抜いたものだそうで、凝灰岩は他の岩石に比べると軽くて柔らかい岩石とのこと。
線刻された仏様が金網越しにはっきりと観えた。作者未詳、年代は奈良時代。下段の写真最後は洞(ほら)の正面壁の三体の仏様で、朱の彩色が残っていて思わず目を見張った。中央が高さ1.4mの釈迦如来、向かって左が薬師如来、右が十一面観音と言われている。写真を撮るのは不可能だったが、左側壁面には弥陀如来と千手観音、右側壁面には妙見菩薩が彫られているそうである。
“まっぷ”の説明に依ると、これらの石仏は山伏が岩窟に寝起きして彫刻したとか、大仏殿建立の折に石材採りの石工が彫刻したなどと言われているそうである、また聖(ひじり)が住んでいたという伝承もあり、「聖人窟」とも呼ばれているとか。とにかく一見すると忘れられない衝撃を受ける石窟で、私には大冒険で得た感動の観賞であった。
無事に一仕事を終えたような達成感に浸りながら400m程歩いて行くと、目の前が明るく開け、奥山ドライブウェイに出た。
次の目標は「春日山石窟仏」である。ドライブウェイを少し上り左折して石窟に到着。こちらも金網が張り巡らされていた。彼曰く「昔来た時には金網が無かったような気がするけどなぁ~・・・」返事に困ったが、世の中いろんな人が居るから後世に残す為には当然の対策なんだと思う。でも金網の一部が切り取られ小さい穴が有った。そこからカメラを入れて撮っていいのかな?
右(東)と左(西)に二つの石窟があって、それぞれの壁面に数体の仏様が彫られていた。説明版には年代は平安末期と有り作者の刻銘も有るようである。わずかな隙間から撮った写真、下段二番目が東窟、三番目が西窟の仏様それぞれの一部である。
石窟から20分程歩いて、あの「首切り地蔵」に来た。今日は後姿を投稿しておこう。
しばらく休憩して緊張と興奮を鎮め普段のハイキング気分を取り戻す。そして能登川沿いを歩き出した。杉の大木があって、両手を広げてみたよ。
「朝日観音」)、「三体地蔵」、 「夕日観音」、「寝仏」を確認する。
下段左から順に並べたが、いずれもバカチョンカメラでの映像で実物はもっと感動的!
夕日観音は三体地蔵よりも高い所に在って、道からは分り難く、キョロキョロして首を伸ばしてやっと見つかる。傍に行くには道なき道斜面をよじ登らなければならないので危ない。彼は感動して戻ってきた。
それから寝仏であるが、道側からではなく山側から見なければならない。風化が進んでいるので少々離れて凝視すると確かにお姿が判る。元は立っていたのに転がって寝てしまったのかも知れないなぁ~・・・
「かけおちて岩の下なる草むらの土となりけむ佛かなしも」 会津八一
岩に刻まれた仏さまが長い年月の間に欠け落ちて、草むらの土になったのもあるだろう。いとおしい。
こちらの道は地獄谷とは違って心静かに小鳥の鳴き声やせせらぎを楽しめた。
時刻は午後2時45分、観たかった石仏すべて拝顔し、急に力が抜けてきて疲れを感じ、足にも痛みを感じ始めてきた。破石(わりいし)町バス停からバスに乗ろうと言いながら歩いていたのに、偶然出逢った面白い元気なご老人(83歳)に釣られて春日大社本殿の前に出てきた。一の鳥居に向かう途中、例のムクロジの木を見みると、木は緑の葉っぱに覆われ中央の竹も思い切り背伸びをしていた。結局奈良駅まで歩くことになった。(笑)
そして午後5時、居酒屋のれんをくぐってビールで乾杯、やれやれお疲れ様。
歩いた距離は17km、我ながらすごい!と思う。道は林の中で日蔭でもあり地道で足裏に優しくゆっくりペースならばこそであった。そうそう山の中で食べた昼食のおにぎりと温かいコーヒとお菓子も最高(?)に美味しかったよな。
★★★写真を並べ過ぎたかなぁ~。歩くのと同じ程疲れそう。。。。。(笑)