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五條新町

2023-11-17 | 日記
  11月15日(水)
気温19度、お天気良し。彼の希望で金剛温泉に行った。
和歌山線二見駅まで行きたかったが今日と明日は路線点検とかで電車は五条駅止まり、仕方なく五条駅で降りた。こんな事が時々有るらしい。時計を見ると午後2時であった。
そこで、五條新町の一環である栗山家住宅を見に行くことにした。慶長12年(1607)の棟札が残る当時の有力商人の家だそうで重文に指定され、内部は非公開であった。反りの大きい重厚な造りの屋根に煙出しの小屋根、そして駒寄せや格子連子など歴史ある風情を感じる。
      (画像はクリックすると拡大する)

その後、リバーサイドホテルに落ち着き、五條乃湯に浸かり、ご馳走を頂き一夜を過ごした。
それなりに満足した。(笑)

  11月16日(木)
朝7時半、窓の外を見ると金剛山の中腹辺りに雲海が広がっていた。慌ててホテルの人にお願いすると屋上に上がる事を許して下さった。遠くからの見物ながら感動、嬉しかった!

特に急ぐ必要はなかったが朝9時半にチェックアウトした。(朝風呂は10時からだったので残念ながらパス)
国の天然記念物に指定されていると言う「二見の大ムク」(樹齢1000年、樹高15m、幹回り8.5m)を探していると、出会った一人の女性が案内して下さった。それは個人の家の庭、土塀の傍にどっしりと立っていた。主幹の上部が折れているのは室戸台風や伊勢湾台風に因るとか。大樹が好きな私は樹肌に触れることは出来ずとも見るだけで満足した。(笑)

それから五條新町通り(約700m)を散策。
筒井順慶の家臣松倉重政が関ケ原の戦いでの功績を徳川家康に認められ1万石余りの大名として二見城に入り、吉野川に平行するこの新町をつくり商人を集め発展させたそうだ。
重政は名君として地元民から「豊後様」(ぶんご様)と称えられ、顕彰碑が建てられ、江戸時代に行われたという重政に感謝する「松倉祭り」が現在も残っているらしい。

「ふなつきば」の道標が目に入ったので細い路地を下って行くと吉野川の高い堤防に通じていた。昔の船着き場はその高い堤防の下に埋もれていたが、当時の様子を物語る古い写真が民家の側面に貼られていた。
 
             

新町通りの見どころは沢山あるようだ、特に印象に残る江戸時代の民家の軒先(虫小窓・袖壁etc)や看板(たばこ・酒・薬・医院etc)、「まちなみ伝承館」で見た花火の1尺玉等の画像を並べておこう。

                
 

そうそう、五條から和歌山県新宮を結ぶはずの五新鉄道が開設に至らず、連続アーチのコンクリート製高架橋の遺構があちらにもこちらにも在った。虚しからずや。。。。。
        

五條新町は古い民家やお寺の並ぶ静かな街並み、と言う印象が強い日記になってしまったが、フランス料理や和食の店、カフェ、旅館なども在り今も生活の場で絶えず人の行き来が有った。
五条は柿の名産地と聞くので、造り酒屋山本本家(宝永7年創業)で柿ワインを買って帰った。さてお味は如何に?                      
昼食に柿の葉寿司を食べて帰路についた。実によく歩き彼曰く、1万歩を越えたとか。(笑)
    



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