gooブログはじめました和!

写真付きで日記や趣味を思いつくまま気の向くままに。

熊野古道伊勢路ー馬越峠

2014-07-24 | 日記
連日32度から34度が続く暑さに余り前向きにはなれない伊勢路「古道歩き」だが参加してきた。本来7月10日(木)だったのが、この日は台風8号の到来で変更になった次第。


  7月24日(木)
コースは三重県紀北町と尾鷲市の境に在る「馬越峠」(まごせとうげ)、伊勢路の中でも特に綺麗な石畳の峠(標高325m)だそうだ。
ツアーバスは「海山(みやま)道の駅」に午前11時50分に到着。峠の見どころが案内板に解りやすく図示されていた。
海山道の駅(スタート)~夜泣き地蔵~石橋~馬越一里塚~カッパ岩~可涼園桃乙の句碑~桜地蔵~馬越公園展望台~馬越不動滝~尾鷲神社~JR尾鷲駅(ゴール)である。

12時15分、峠の登り口に立つ。早々に石畳が続いているではないか!でも比較的登り易すそうだったので安心して踏み出す。
100m程進んだ所でSTOPがかかり、案内人さんの説明があった「後ろを振り返ってここまでの石畳とここから先の石畳の違いを見て下さい。」。ここまでは平成15年に造られた新しい石畳で平らな石が敷き詰められているのに対し、ここから先は江戸時代から残っている石畳だそうで、大小凸凹様々な自然石が敷かれている。とても素敵だった。
少々急な上りでも、ワクワクしながら足を持ち上げる事が出来たよ。現金だね(笑)  
          (画像はクリックすると拡大する)

ヒノキとシダの緑を縫って石畳はずっと続いていた。ふと見ると大きな岩の上に沢山の小石が積まれている。「歩き」ではよく目にする光景だが、ここを通った人の温もりを感じる。目の前に在った道標の数字02/22は、この地点が石畳の全長2.2kmの内200m歩いた事を示しているらしい。警察や消防にSOSを出したい時はコレを基準にして伝えると場所を確認してもらえるわけだ。
余談ながらこんな豆知識も得た。熊野古道・伊勢路の世界遺産登録の範囲がこの道と山手になる左側がそうであり、谷に向かう右側はそうでないらしい。何故?「人が用をたす時はどちらを向きますか。そう谷側に向くからなんです。」と教えて下さった。伊勢神宮の在る方向が神聖視されているのだという。成程と・・・・・

04/22の道標のすぐ傍に「夜泣き地蔵」が在った。石積みの祠の中に赤い帽子を被った石地蔵尊が祀られていた。明治までは旅人の安全祈願を、やがては地域の人々が子どもの夜泣き封じを祈り、「夜泣き地蔵」と呼ばれるようになったという。

それから大きな一枚岩の石橋を渡ってしばらく行くと、「ここから最も綺麗な石畳になります。写真を撮りたい人はどうぞ。」と小休止を取ってくださった。そして話は続いて皇太子殿下が昨年の2013年5月19日にこの峠を散策され、殿下は1時間半でお歩きになったそうだ。その時の案内を務められた今回の案内人・川口さんは「1時間半で!」という宮内庁の要望に応えるべく時間を計って何回も何回もこの道を歩かれたという。寸分の違いもなく見事に果たされたと聞いて拍手した。それにしても殿下は健脚でいらっしゃることよ!標準的には2時間、私達は3時間の予定である。。。。。
  

顔を上げると道標の大きな文字《馬越一里塚 150m 5分← →15分 540m 馬越峠》が目に飛び込んで来た。シマッタ!「馬越一里塚」の確認を忘れたと気付いたが遅かりし。先程からの急な登りで少々バテ気味になっていた私は下を向いてひたすら歩を進めることに一生懸命で、頭の中は空っぽ状態だったのだ。5分とは言え後戻りする元気は無かった。今は石積み跡が残っているだけだそうだが、昔は西側(右)に松、東側(左)に山桜が植えられていたという。
林道の交差点には狭いながら平地があって一休み。谷間の向こう右方に見えるのは、先月のコースであった難所の八鬼山(やきやま:627m)だそうだ。

                 

峠まで後540m、さぁもう一息だと皆んな元気を取り戻して再出発。
道の左手に“カッパ岩”と呼ばれる大きな岩、ホント河童の頭のようにシダで覆われた面白い岩を見た。それに珍しい植物も見た。葉の付け根部分に鉤型の刺があって、その刺は薬になるらしい「カギカズラ」。また「ゼンマイ」が成長すると四方八方に枝を広げて想像もつかない大きな木になるのには驚いた。それから「ハナミョウガ」も初めて知った植物だ。

               
さて道標は13/22 いよいよ峠の頂上に到着した。避難小屋とスタンプ台それにでっか~い句碑・歌涼園桃乙の碑が建っていた。滋賀県の俳人・桃乙(とういつ)の句「夜は花の上に音あり山の水」と刻まれていた。
そうそう明治中頃迄この峠には茶屋が在って、世古平兵衛と言う人が多くの巡礼や旅人をもてなしたと案内板に書いてあったっけ。
峠を下リ始めて間もなく、せせらぎの音が聞こえる水辺に「桜地蔵」があった。祠は煉瓦造りだ。石積みだったのを畦地安兵衛と言う人が改築し、その名に因んで「安兵衛地蔵」、あるいは水辺に在るので「水呑み地蔵」とも呼ばれたりするそうである。

                         

歩きも終盤となり、馬越峠公園展望台に来た。先程峠の頂上から見下ろした尾鷲市街がぐんと間近く目の前に広がって見えた。
山と海に囲まれた尾鷲市の人口は約20,000人、主な産業は林業、面積の90%が山と聞けば今通り抜けてきたヒノキの林を思い浮かべる。尾鷲ヒノキは有名だそうだ。また熊野灘を流れる黒潮に乗ってやってくる魚で尾鷲湾は海の幸にも恵まれ、住む人達にはきっと良き故郷に違いない。

更に下って午後3時15分、ついに22/22を確認した。すぐ傍に皇太子殿下行啓記念碑が在った。
行啓(ぎょうけい)とは聞きなれない言葉、無知な私には?すんなり解る行幸(ぎょうこう)は天皇が外出されることであるのに対し、行啓とは皇后や皇太后や皇太子や皇太子妃が外出されることを言うらしい。1つ学んだよ。(笑)

最後は鳥居をくぐって100m (約2分)「馬越峠不動滝」だった。岩肌を勢い良く流れ落ちる様は絵になって想像以上に素敵な滝で、疲れが癒され、もっと長く見ていたいような気がした。(滝の手前に在る小さな祠には不動明王と役行者が祀られている。)
爽やかな気分になって足取り軽く市街に入り、尾鷲神社の歴史を感じる2本の大楠の下で小休憩をしてからJR尾鷲駅に到着。時刻は午後3時50分であった。
  

きれいな石畳を歩き続けた、いつもとはちょっと違うウォーキングに満足満足。お疲れさま。










この記事についてブログを書く
« 梅雨明け | トップ | 鈴虫 »
最新の画像もっと見る

日記」カテゴリの最新記事