琴の音に峰の松風かよふらし いづれのをより調べそめけむ
琴の調べに峰の松風の音が重なる。これは、琴の緒か、峰の尾か、どちらから奏で始められたのでしょうか。
と「を」は、琴の緒と峰の尾にかけているらしい。
書のお手本としてよく習われる粘葉本和漢朗詠集では、“かよふらし”ではなく“かよふなり”と。
古筆ではよくあることだが、いずれにしろ、斎宮女御の歌。
大正期、佐竹家に伝わった三十六歌仙絵巻は売りに出されたが高価すぎて一人では手に負えず、古美術商らが共同で買い、その後、益田鈍翁を中心とした財閥数寄者らが竹くじで、一枚づつ分断したものを手にするというなかで、主催者の鈍翁はお目当ての“斎宮女御”。だが、くじではそうはいかず、鈍翁不機嫌きわまりなく、それを引いた古美術商がゆずり、場を収めたというこの件にはつきもののエピソードが残る。
さて、この歌は、文化交流で釜山に行ったあるフリーの一日、日本画家のアランと二人で松林の山々に囲まれた通度寺に参詣。この歌は静かな夜の作らしいが、その風景を思い出してしまうせいか、私のなかでは、明るい陽射しがまぶしく、すがすがしい風が通りすぎる松林の中にある。
和歌を書いていると、作者も気になる。古今集の撰者四名を書いたのは、今も短歌を詠む方々へのエールの気分もあった。
忠岑、貫之、友則、躬恒。
今なら峰になっていたかの忠岑の岑、凡河内躬恒は“おおしこうちのみつね”と読むだけでおもしろい。貫之は子孫の紀さんを知って他人とは思えない。友則は普通の名前だが、「ひさかたの光のどけき春の日に しづ心なく花のちるらむ」の一首があれば充分だろう。
薄い黄色は、柿渋を一回塗ったもの。
有名な歌人がいるなかで、「よみ人しらず」として歌が残っているのは無性にいいと思う。
古筆を書き真似ていると、この「よみ人しらず」がさまざまに書かれている。
気になって、今までにTシャツにまで「よみ人しらず」とプリントしたことがある。
この「よみ人しらず」の扇子は二つめか。売りに出しておいて売れたら売れたでさみしく、また作ってしまった。
2020年6月10日~23日
日本橋三越本店 本館5階
ギャラリー ライフ マイニング
「手わざの夏」イベント内で扇子展にて、展示販売のご紹介その4。