記念日はどうでもよく過ごすことが多い。
遥か昔の30歳を迎えた今日、
「おかげさまで30周年!」というキャッチで、デパートのチラシのようなノリのデザインで、白黒コピーのカードを作ってお世話になった方々に送ったことを思い出した。
その頃、サティが流行っていて、サティを聴きながら、どうのこうの、というのを詩的につづりメッセージとした。
何をどう書いたらいいのか、書とは何か迷いながらで、書的には鬱屈していた頃で、日々に流されている、というようなニュアンスで、危機感を少し綴ったんだと思う。
恩師の一人であるK教授は、毎日を真剣に生きている姿勢が伝わる、というような返信をいただいて、その鬱屈した思いをプラスに転換できた。今でも感謝している。
どうにかしなくちゃ、という思いは、翌年、天安門事件で消えかかったが、中国遊学へ。
空海と同じ年の留学生である。(結び付け過ぎだが許してくれ)
北京の大学の校内を行くと真っ青な空の下でポプラ並木がさらさら揺れて澄み切っていました。
今日ここの天気のようです。
遥か昔の30歳を迎えた今日、
「おかげさまで30周年!」というキャッチで、デパートのチラシのようなノリのデザインで、白黒コピーのカードを作ってお世話になった方々に送ったことを思い出した。
その頃、サティが流行っていて、サティを聴きながら、どうのこうの、というのを詩的につづりメッセージとした。
何をどう書いたらいいのか、書とは何か迷いながらで、書的には鬱屈していた頃で、日々に流されている、というようなニュアンスで、危機感を少し綴ったんだと思う。
恩師の一人であるK教授は、毎日を真剣に生きている姿勢が伝わる、というような返信をいただいて、その鬱屈した思いをプラスに転換できた。今でも感謝している。
どうにかしなくちゃ、という思いは、翌年、天安門事件で消えかかったが、中国遊学へ。
空海と同じ年の留学生である。(結び付け過ぎだが許してくれ)
北京の大学の校内を行くと真っ青な空の下でポプラ並木がさらさら揺れて澄み切っていました。
今日ここの天気のようです。