故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

日々成長

2023-01-16 07:19:31 | よもやま話

しわくちゃの 顔がつるっと 好みなり

今日のタイトルは、「日々成長」です。
正直に話したことだけを覚えています。
カフェをやっている頃、冷凍食品を使いませんでした。
不特定多数のお客に短時間で対応するために、チンして出す。
甘かった、辛かったの声に対応できないと思いました。

嫌と感じる。
面白いと笑う。
こうしてみようか。

こんなことの積み重ねです。
やがて、積み重ねが出来ぬ時がくる。
医師でさえ、自分が認知症になるのを自覚し、壊れていく。
平均7年間は、他の人(家族や病院)の介護を受けながら生きる。

毎日、二人分の食事を作っています。
誰にも頼らず出来る料理は、限られています。
美味しいと思う時が多い。

温かいから。
新鮮だから。
お腹が空いているから。
味付けが上手だから。
いつかは、作れなくなる。
それでも、日々の食事が美味しいときっと思うだろう。

何がこう感じさせるのでしょう。
どんな状況になろうと、楽しいことを見つける。
これが性であり、成長だと思う。
借りた自分ではけっして感じない。
正直に生きるから、血液の流れを感じます。

スパッと中断するまで生きてやる。
生きる限り、日々成長できる。
そうでなければ、老人のおだやかな笑顔の説明がつかない。
苦労を笑い話(物語)に変えることなどできない。

2023年1月16日
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辛子味噌(No2)

2023-01-15 14:42:41 | よもやま話

今日のタイトルは、「辛子味噌(Part2)」です。
2016年8月20日投稿記事「小さな成功」では、
「私は、人と会うようにしています。
自分の眼を信じその人のことを考えます。
それは、毎日繰り返されます。
少しずつ知り合いが増え、仲間となって行きます。
必ずしも友達となる訳ではありません。
元気だから出来ることだと分っています。」
(記事より抜粋)
新しい土地で働くことになり、人に会うことが仕事のような毎日でした。
出会いを重ねるうちに、地域に溶け込んでいく。
小さな成功の積み重ねて、なくてはならぬ人になれればと思いました。
赴任した7年前(2016年)の8月20日に初めて、「辛子味噌」を習い、作りました。
前の晩、辛子味噌で大いに飲んだことがきっかけでした。
教えてくれた方は、勘で作るからレシピーは教えることができないと言われました。
試行錯誤の結果、
今は、青唐辛子:味噌:砂糖:シソの葉=4:2:1:1で作っています。

それから、毎年辛子味噌を作り続け、帰郷後も作っています。
一人だけ、辛子味噌のファンができました。
移住前に作った辛子味噌が、引っ越し荷物の中から出てきました。
2年ものと3年ものを恐る恐る試食しました。
唐辛子のかどが取れ、古味噌が熟成しまろやかな味がしました。
また、辛子も味噌も東北産の方が美味いと感じました。
古い辛子味噌、火にかけ瓶詰めしました。
これから、ファンに届けます。

毎日の繰り返しが、こんな風に熟成する時が来るとは思いませんでした。
出会いを大切にしてよかった。
「辛子味噌」が取り持つ縁を感じます。
遠い東北から広島へ出会いを継続しています。
老人の仲間入りをした今でも、「小さな成功」を積み重ねることができる。
辛子味噌と小さな成功に感謝です。

2023年1月15日
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親父との確執

2023-01-14 07:44:49 | よもやま話

半世紀 やりたいことが 見つからぬ

今日のタイトルは、「親父との確執」です。
大学二年生の時、全教科の前期試験用紙の裏に、指導教官に対する抗議文を書きました。
教授会の査問を受けました。 
10年も同じノートで教えている。進歩がない。
電卓がなければ解答できない。電卓を買えない学生もいる。
幼稚な抗議に対し、全教授から退学を勧められました。
休学届を出し、親父に退学の許可をもらいに故郷に帰りました。
お袋は待ってましたと喜び、私は蜜柑の行商を2か月手伝いました。
退学したいと告げる代わりに、農業を継がせて欲しいと親父に頼みました。
親父は理由も理想も聞かずに、拒否しました。

正月明けには、阿蘇外輪山の搾乳牧場に住み込みで働き始めました。
三か月働いたのちに、頭を丸め教授に頭を下げ、復学しました。
友人の勧めで、退学をしろと勧告した教授のゼミに入れていただきました。
異端児は、2年間教授の温かい指導のもと、税金の無駄遣いと卒業させていただきました。

私は、工学部機械科を選択しました。
島の段々畑の斜面を活かした農業をしたかった。
上で肉牛を飼い、中間で果樹を作り、家に近い下段で野菜を作る。
1000万円の売り上げができる、無駄無理を逆手にとった機械化農業が夢でした。

卒業できるとなったころ、親父に農業を継いでくれと頼まれました。
私は、食に関するプロジェクトに関わりたいと方針転換していました。
弱っている親父の依頼を断りました。
それから、口も聞かぬままとなりました。
数年後、親父は杉の剪定中落下し、頭を激しく打ち意識不明となりました。
頭蓋骨を外して、優秀な脳外科医の施術で、文字を書けるまで回復しました。
私は結婚し、嫁を親父のベッドまで連れて行きました。
「よい嫁だ」と書いてくれました。
口がきけぬまま、二年後に帰らぬ人になりました。

1000万円稼げるプロジェクトエンジニアーになれました。
半世紀ぶりに故郷に帰りました。
実家は、跡を継いだ長男夫婦も他界し、空き家となりました。
先祖代々の畑も田んぼも、すべて耕作放棄地になりました。
途方にくれることもなく、現実を受け止めています。
私は、故郷を捨てたい人から家と畑と山を買いました。

親父が丹精込めた築山の伸びた木々を剪定しました。
何世代にもわたり、ため込んだものを捨てる予定です。
山に帰った畑は、そのままにします。
家の周りと、墓の周りを片づけたい。
親父と兄貴が作った山の上まで伸びる道路を整備したい。

継げなかった。
親父と喧嘩別れのままになった。
木を伐り、畑を耕し、先祖の苦労を初めて知ることになった。

2023年1月14日
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平山郁夫美術館を訪ねる

2023-01-13 20:20:53 | よもやま話

今日から3日間雨模様です。
とびしま海道(蒲刈島方面)に行こうと、おにぎり弁当を持って出かけた。
途中、しまなみ海道に変更して、尾道から3つ目の島(生口島)に向かった。
今日のタイトルは、「平山郁夫美術館を訪ねる」です。
結婚した23歳から亡くなる79歳まで連続して二科展に出展した。
有名な作品群は、「シルクロードシリーズ」です。

美術館を訪ねると、来館者は私達だけでした。
平山郁夫の末弟(郁夫と一回り違い)が館長をされており、案内をしてくださった。
館長は、江田島の術科学校を卒業されており、江田島のことをよく知っておられた。
六角紫水という東京芸大の卒業生が、江田島市の大原出身だと言われた。
郁夫が画いた平泉中尊寺の金色堂の絵の前に案内してくださった。
六角紫水は漆工芸家で、岡倉天心と共に金色堂の修復に尽力したと説明してくれた。
六角紫水は、キリンビールの麒麟のデザインをしたと聞いている。

郁夫が小学校の冬休み、夏休みと春休みに画いた絵日記を見て驚いた。
毎日欠かさず画いたノートは16冊になった。
構図と表情の素晴らしさが、小学生らしさの絵の中で目を引いた。
美術館には多くのデッサン画が展示されていた。
定規で引いたように線はまっすぐに描かれており、淡い色付けが素晴らしかった。
私も絵手紙を描くが、線から色がはみ出してもよいと知った。
郁夫は、戦禍のあとのアフガニスタン、シリアやカンボジアを何度も訪ねている。
短時間の滞在で、多くのデッサン画を残している。
人物画も多く、戦火の中でも生き生きとした表情で遊ぶ子供達、
宗教に関係なく、まっすぐ見つめる老人の重厚感を表現していた。
郁夫は15歳(修道中学)の時、学徒動員中に原子爆弾の犠牲になっている。

文化財保護の観点から、日本だけでなく世界中の文化財の修復や保存にも力を注いだ。
幕末から明治にかけてアメリカなどに行った日本の美術品の修復のために、
世界中の人材を育成した。

奥さんは、芸大の同期であった。
奥さんが首席、郁夫は次席とのことだった。
「一家に画家は一人でよい」と、奥さんは画家の郁夫を支え続けた。
なかなかできぬことである。

二時間近く展示品を見て回り、売店に寄った。
美術館のロゴ入りの尾道帆布製のまち付きポーチを息子と娘用に買った。
売店の女性に、「美術が好きで勤めているのか」と聞いた。
女性の答えは、家が近所だからと正直な答えだった。
彼女が好きだと言う、らくだと少年のデッサンの絵葉書を買った。

帰りは夕方になったが、思いがけなくよい休日になった。

2023年1月13日
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異物を取り除く

2023-01-12 06:08:47 | プロジェクトエンジニアー

絵手紙の使いまわしをしばらく休みます。
頑張って新作に挑戦します。

なんでかな 子どもの心 いつの世も

正月のぐーたら生活で、体重がオーバーし下がらない。
保健婦さんに指導を受ける立場としては、はなはだ具合が悪い。
中性脂肪の塊のような人物は、健康管理上の異物です。
保健婦さんの笑顔ながら渋い顔が目に浮かぶ。
今日のタイトルは、「異物を取り除く」です。

米を例にとると、圃場でできた稲を刈り取りながら脱穀(わらと籾に分割)する。
藁を使うこともないから、切り刻んで圃場に撒く。のちにトラクターで鋤きこむ。
この藁が、大洪水をおこした時に河川に流れ込み、土と共に壁になった。
籾は、ただちに乾燥機を使って乾燥する。水分(14.5~15.5%WB)を均一にする。
籾摺り機で、玄米と籾殻に餞別する。
稗粟などの雑穀類も併せて取り除く。
頼んだ農業法人はサラリーマン。稗粟で覆われていても我慢、我慢。
被害粒(虫食い)や未熟粒を粒選別機(1.75~2.2mm:あきたこまち~酒米)で選別する。
さらに、石抜き機で石を取り除き、色彩選別機で一部被害粒や泥の塊を選別する。
均一な水分玄米だけを保管する。日本の気候(20℃70%)では、平衡含水率が15%になる。
保管するサイロでホットスポット(発酵などで発熱)を管理する。
ホットスポットが出ると、風選機で乾かしながらサイロ替えをする。
食べる直前に精米して、糠を取り除く。
それぞれの過程で、多くの異物を取り除いている。

SDGSの観点から、「もったいない」が再考されている。
京都の商家でおばんざいを代々引き継ぐ。
大根の外側は、太めに剥いて味噌汁の種にしたり、きんぴらにする。
葉っぱは、塩漬けにしてふりかけで食べる。
面倒臭いと思われるでしょうが、素敵なおかみさんが言われると耳を傾ける。
性的マイノリティー、身体障害者、落ちこぼれを受け入れる社会になろうとしている。

均一で、効率が良い生活を追い求めて来た。
賃金の安い国(アメリカが日本へ、日本が中国や東南アジアへ)に生産をシフトしてきた。
中間ストックの無い物流で、トヨタ生産方式がもてはやされた。
鮮度を優先しコンビニの三便配達が実現された。
東日本大震災やウクライナ戦争で、世界中に拡散した物流が滞り、物価が上がった。
今になって、食糧の自給率をあげる。
過疎と耕作放棄地が大きな問題となっている。
コロナで、毎日満員電車で会社に行かなくても仕事ができるようになった。
学校だって、オンライン授業である。

効率重視の異物を取り除く考えを見直そうとしている。
異物に弱い人々を作り出すのをやめようとしている。
勉強して、有名大学に行ったところで、その先の大会社も潰れる世の中である。
1兆円規模の会社は、日本には10社以下であり、センチュリーカンパニーも少ない。
あまりにも展開が早く、じっくり異物に向き合う時間さえない。

異物に異を唱えることはもてはやされたが、
異物に面と向かって取り組んでこなかった弊害が露呈している。
明日も今日の延長と考えることが危ないことになった。

生きながらえたい。
森鴎外は、死は生の中断であると言われる。
パツンと突然切れる。それでお終い。
なにが正解かわからない。
ただ言えることは、異物だろうが何だろうが今生きている。
パツンと中断するまで、毎日を生きるしかない。
異物を取り除こうとすることが、異端であると歴史が教えてくれている。
私達は、世の中から多くを学ばなければならない。
世の中のすべてが異物なのである。

2023年1月12日
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