今日から3日間雨模様です。
とびしま海道(蒲刈島方面)に行こうと、おにぎり弁当を持って出かけた。
途中、しまなみ海道に変更して、尾道から3つ目の島(生口島)に向かった。
今日のタイトルは、「平山郁夫美術館を訪ねる」です。
結婚した23歳から亡くなる79歳まで連続して二科展に出展した。
有名な作品群は、「シルクロードシリーズ」です。
美術館を訪ねると、来館者は私達だけでした。
平山郁夫の末弟(郁夫と一回り違い)が館長をされており、案内をしてくださった。
館長は、江田島の術科学校を卒業されており、江田島のことをよく知っておられた。
六角紫水という東京芸大の卒業生が、江田島市の大原出身だと言われた。
郁夫が画いた平泉中尊寺の金色堂の絵の前に案内してくださった。
六角紫水は漆工芸家で、岡倉天心と共に金色堂の修復に尽力したと説明してくれた。
六角紫水は、キリンビールの麒麟のデザインをしたと聞いている。
郁夫が小学校の冬休み、夏休みと春休みに画いた絵日記を見て驚いた。
毎日欠かさず画いたノートは16冊になった。
構図と表情の素晴らしさが、小学生らしさの絵の中で目を引いた。
美術館には多くのデッサン画が展示されていた。
定規で引いたように線はまっすぐに描かれており、淡い色付けが素晴らしかった。
私も絵手紙を描くが、線から色がはみ出してもよいと知った。
郁夫は、戦禍のあとのアフガニスタン、シリアやカンボジアを何度も訪ねている。
短時間の滞在で、多くのデッサン画を残している。
人物画も多く、戦火の中でも生き生きとした表情で遊ぶ子供達、
宗教に関係なく、まっすぐ見つめる老人の重厚感を表現していた。
郁夫は15歳(修道中学)の時、学徒動員中に原子爆弾の犠牲になっている。
文化財保護の観点から、日本だけでなく世界中の文化財の修復や保存にも力を注いだ。
幕末から明治にかけてアメリカなどに行った日本の美術品の修復のために、
世界中の人材を育成した。
奥さんは、芸大の同期であった。
奥さんが首席、郁夫は次席とのことだった。
「一家に画家は一人でよい」と、奥さんは画家の郁夫を支え続けた。
なかなかできぬことである。
二時間近く展示品を見て回り、売店に寄った。
美術館のロゴ入りの尾道帆布製のまち付きポーチを息子と娘用に買った。
売店の女性に、「美術が好きで勤めているのか」と聞いた。
女性の答えは、家が近所だからと正直な答えだった。
彼女が好きだと言う、らくだと少年のデッサンの絵葉書を買った。
帰りは夕方になったが、思いがけなくよい休日になった。
2023年1月13日
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます