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故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

夜の訪問者

2022-04-18 03:44:47 | よもやま話

絵のタイトルは、「想いの丈」です。
きんちゃん(猫)だけでなく、こんな子も来てくれるといいな。


今日のタイトルは、「夜の訪問者」です。
夜9時半頃、桟橋まで妻が車で迎えに来てくれた。
我が家の庭に曲がったところで、獣がヘッドライトに照らされて横切った。
狸かな、と私。
いや穴熊か、と妻。
獣は慌てて隣家の側溝に逃げ込んだ。

妻が、庭の草を削り土をふかふかにする。
畑は、畝を作り盛り上げた部分をふかふかにする。
午前中9時ごろ、遅い朝飯を食べていると、いつもの毛がふさふさの猫が畑や庭にやってくる。
隣人が、「きんちゃん」と呼んでいた。
飼い主の名前がきんちゃんだからと説明を受けた。
庭でも畑でも、ふかふかを掘り始め、神妙に座り込む。
こちらを向いて用を足す。
妻が、「やめなさい」と話しかける。

家の裏の畑でも、山の畑でも誰か(妻はやってくる獣や鳥をあの子たちと呼ぶ)が掘っている。
庭に植えたチューリップの周りを掘っていた。
猪の足跡(二つに割れている)ではなかった。

裏の畑は、葉っぱ物を植えた。
柵設置の予定はないので、どんな被害が出るのか見守っている。
上の畑には、芋類(ジャガイモ、長芋、里芋)を植えた。
ジャガイモが、芽を出し青々とした葉っぱになってきた。
東北では、二十星テントウムシ(短期間に何世代も孵化)にジャガイモの葉を食べられた。
ジャガイモを食べつくしたら、茄子やトマトの葉も食べられた。
さらに、土の中の根きり虫にも茎ごとやられた。
島には、二十星はいなくて、七つ干しテントウムシが多い。

鉄柵か電気柵か迷っている。
いずれにしても、ジャガイモの葉が出たから猶予期間はない。
明日にも、柵を支える仮枠(伐った雑木の柱)を畑の周りに回さなければならない。

ネットで見た獣が嫌がる対策をしたいと考えている。
「タヌキが嫌がる唐辛子、木酢液、オオカミの尿の成分の忌避剤を使えば、
タヌキは臭いを嫌い近づいてきません。」
(ネット記事「狸と穴熊」より抜粋)
木を燃やした臭いが猪を遠ざけたように推測している。
併せて、隠れる場所が無くなったことも猪が棲み処を移したと勝手に考えている。
東北産の辛い唐辛子をたくさん持って帰った。
ここは暖かいのか、唐辛子が辛くならない。
その分、効果が期待できるかも。
木酢液は、害虫にも栽培促進にもなると言われている。
さすがに、オオカミの尿(成分の忌避剤)は手に入りにくい。

あの子たちとの知恵比べを始める。
何が、どう効果的だったのか、今年は試しです。
きんちゃんの困る顔が目に浮かぶ。

2022年4月18日
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久しぶりの筍堀

2022-04-15 10:56:49 | よもやま話
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絵のタイトルは、「そばを作る人」です。
防人の役目もしているのではないでしょうか。

北の果て ヒグマをしかる 昆布取り

今日のタイトルは、「久しぶりの筍堀」です。
耕作放棄地の草を刈り木を伐り始めてから4カ月になります。
猪は箱罠にかからなくなり、筍が取れるようになった。
土から現れる前に、筍は猪に掘り返されていた。
もう5年以上も筍は取れなかったと、竹林を管理しなくなった持ち主が言った。

引っ越して来たばかりの昨年暮れ、猪が裏の放置された畑に現れた。
暗闇の中、街頭に照らされた猪が防草シートを剥がして、穴を掘っていた。
毎週のように猪が箱罠にかかった。
年が明け、我が家の畑を見に行った。
地図(集積図)と照らし合わせてもどこが我が家の畑か判別がつかなった。
目印の里道も、畑同様に草と木で覆われていた。
薄が生い茂る辺りには、猪のねぐららしきものと推測できる窪みがいくつもあった。
隠れるによし、暖を取りながら寝るによし。

近所の人にお願いし、畑の持ち主の許可をいただき、猪が夜現れた下の畑の防草シートを剥がした。
花の球根を丹念に掘り分け、畑の端に植えなおした。
それから耕した。ふかふかの畑が蘇った。

次に、箱罠の近くの上の畑に向かった。
耕作放棄地になって久しいと思われる。
草が枯れ木のようになり、次から生える草はさらに上に伸びようとしていた。
草の中に雑木が生え、葛の蔦が絡まっていた。
雑木の年輪は9本あった。
葛の蔦は、50mmの直径を誇っていた。
葛根は、猪に掘り返されていた。
掘り返された穴は、深さが1mもあり、無数にあった。

猪が消えた。
噂では、さらに耕作放棄地が多い島の裏側に移住したらしい。
耕作放棄地は、猪にとって絶好の食住接近の棲み処であったと推測できる。
我が家の畑に植えた作物を何度も点検したが、いまのところ鳥獣の被害はない。
東京の町中に害獣が出没しないのは、奥多摩で畑を作って頑張っているからと聞いた。
今日は雨上がり、筍を掘る音がする。

2022年4月15日
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苦労して、耳を傾ける

2022-04-14 18:03:34 | よもやま話

絵のタイトルは、「不本意」です。
私は死ぬまでこうして生きていくのだろうか。


なんの苦労をしても良いと考えます。
苗を植えれば、水が足りないのじゃないかと心配する。
枯らして初めて分かります。
今日のタイトルは、「苦労して、耳を傾ける」です。

エミリー・ブロンテが書いた小説「嵐が丘」の映画を観た。
妻は、大学生の頃小説を読んだらしいが、難しくてよく理解できなかったと言う。
作者の表現の仕方が難しく、発表された当時は不評で、後に名作とされた。
映画で表現されている憧れと真実の狭間に揺れ動くのは、若いほど振幅は大きいと思われます。
手にして「こんなもんじゃなかった」と、
または無くして「早く気づいていたら」と思うものではないでしょうか。

先輩やおじさんの話は、どうも苦手であった。
自分が同じような年齢になり、同じことをしているのさえ気づかない。
苦言を言ってくれる唯一といってもよい、妻の話は聞けるようになった。
苦労はしない方が良いが、しなけりゃ人の話が沁みてこないものです。
困ったもんだ。

向田邦子の「父の詫び状」のように、娘を迎えに行き、改札口の外で下駄の上に寝てしまう。
ここまで至るには、まだ相当かかりそうだ。

2022年4月14日
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どの日も一日

2022-04-12 12:28:09 | よもやま話

絵のタイトルも、「どの日も一日」です。
ある日突然、言語と動作に障害が出た。
夫が代わって家事をやり、支えた。
やっと、笑顔を作れるまでに回復した。
私は、女性の笑顔を表現したかった。


メジロひよ カラス皮ごと 枝みかん

いつもの時間に家を出て、いつもの電車に乗りいつもの机の前にすわる。
一見、変化が無い日々である。
楽ができないかと考え始める。
昨日は一日かかった仕事が、今日は半日でできた。
余った半日で、同僚の仕事を助けて感謝された。
もっと、面白いことはないかと想い始める。
今度の休みに家族と何かしよう。
散歩だったり、趣味だったりします。
ここまでは、どこかポジティブな印象を受けます。

では、変化が無い日常生活を否定し始めると悲劇が始まります。
楽をしようと仕事の手を抜く。
稼ごうと、ギャンブルに走る。
刺激を求めて、酒や浮気に浸かる。
お祭り騒ぎが終わったあとの代償は、想像を越えて小さくなかった。

今日のタイトルは、「どの日も一日」です。
仕事を辞めて半年が経ちました。
すべて自分の意志で一日が始まります。
楽をしようと思えば、誰にともなく申し訳ない気がする。
懸命に動けば、そこまでしなくても自分自身の言い訳を聞く。

昨日もゴルフに行きました。
黄色い旗(230-240ヤード)迄届いたことが何回かありました。
パー2つにバーディーが一つ。
OBが2つ。
結果は、以前と変わらない。
当たるかなと心配することもなく、思いきっりクラブを振り腰で球を運べた。
ここ数ラウンド試してきました。
突然やってきた喜ばしいことでした。

暑くても畑で鍬を振りスコップを刺した結果のように考えます。
農作業をして疲れますが、腰が痛くもならない。
日々のルーチンワークも、自分がやらねばと厭わない。
あれもこれもと押し寄せてきて、胃痛に苦しんだ数日も終わった。
動機は、明日も同じことが出来るとは限らないと思うことです。
日々変化を感じる脳や身体です。
あれとそれ、これはなに?
と夫婦の会話が滞ります。
テレビを観ないで、相手の顔を見て話します。
これまでなかった「一緒に考えよう」です。

すべてが易しくなくなって、優しくなれる。

2022年4月12日
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寿命

2022-04-08 09:49:06 | よもやま話

絵のタイトルは、「こんな日が来るんだね」です。
待ち望んだ春だったのです。


泡沫(うたかた)は 流れに淀み 身を任せ

具合が悪くなると、このまま逝くのかなと考えます。
今日のタイトルは、「寿命」です。

昔はこうしたな。
かつて、こんな良いことがあった。
さて、死の淵に立った時、それは意味があるでしょうか。
過去と現在のすべてを受け入れる。
どんな金持ちでも、裸一貫で旅立ちます。

別れた彼女がいます。
数十年前に出会った、そして別れた。
その人との「寿命」は、その時点で終わっています。
苦い思い出として残る人もいれば、輝かしいページとして忘れられない人もいる。

ある人が書いた小説を、作者が没後読む。
亡くなっている小説家の「寿命」は、読者に蘇ります。
藤子不二雄Aさんが亡くなった。
笑うセールスマンの「寿命」は永遠に尽きない。
スポットライトが当たっている人と壁の花と見間違う人がいる。
「寿命」と存在が相反する事柄であれば、多くの人の寿命は尽きている。
関心が有るか無いかで、「寿命」の意味は大きく違う。

ただ、殺すことで「寿命」を刻まれたくないとは思います。
戦争で日本人がやったこと、ロシア人が今やっていると疑われていること。
これは犯罪として償われます。
殺し合いの戦争に行った親父はあったことを語ることがありませんでした。
その後の親父にどう影響したのか知る由もありません。

「寿命」を迎える。
前かがみに尽きる方もおられるでしょう。
後ろ髪を引っ張られるように、悔しがる人もいるでしょう。
久しい縁者を集める葬式で、死者が一度は良いことをする。

オーバーワークやハラスメントで寿命を縮めなくてもよいのです。
休むことで叶うなら、寿命を延ばしましょう。
きっと、快復したからそう思うのでしょう。

2022年4月8日

寿命とは、
命のある間の長さ。命数。齢(よわい)。生命。
転じて、物が使用され得る期間。
(理)素粒子・放射性元素・分子などが、ある特定の状態に存在する時間。
(広辞苑より)
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