故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。
18歳です。タイトルは、「前途洋々」です。
しわが一つもない顔は描きにくい。
張りをどう表現するか苦労しました。
今日のタイトルは、「あなたは休めますか(Part6)」です。
これから書くことは、タイトルとは少し違う内容です。
意識的にこのタイトルにしました。
過去書いた記事「あなたは休めますか」では、休むことを勧めています。
休むことは怖くない、勇気を持って休めばよいと書いています。
「Part6」は違います。
休んではならない。という結論です。
今日見たテレビで、あの山本昌投手は50歳まで現役を続けられた。
引退するまでの最後の10年間は、一日も休まなかったと言われていました。
怪我防止のためストレッチをし、体力を維持するために走ったと言われていました。
私のこの頃の気持ちは、明日もできるとは限らない。
今日はできた。しかし・・・となります。
これまでは、休んでも明日もできると高を括っていた。
今は、恐怖です。
毎日がオンジョブトレーニングです。
ないものねだりの若いころとは違う。
今ある力を活かすことしか頭にありません。
過去出来た素晴らしいことも霞んでいます。
そんな自慢をしたって、目の前の仕事は終わりません。
80歳過ぎのおばあちゃんが、暑い日も寒い日も畑の草を抜いています。
誰かが、機械で耕してあげたほうが良い。
おばあちゃんは、残った草を抜くくらいでちょうど良い。
私は、おばあちゃんから「ヘルプ」が出る迄、見守っています。
「ヘルプ」が出たら、快く引き受ける覚悟です。
今朝も草と格闘しました。
植えたかぼちゃが草に埋もれていました。
収穫も間近のこの頃です。
かぼちゃに申し訳ないと思いました。
汗びっしょりで、水風呂を浴びて横になったら、寝てしまいました。
もうできない。
案外できるじゃない。
の繰り返しです。
転職や起業を考える人がいます。
金を残す人と、そうではない人がいます。
悩むより飛び込んだ方がよい。
準備なんか必要ない。始めてから不足分を補えばよい。
金が足りなければ、稼げばよい。そんなにたくさんではないのです。
耕作放棄地に花や野菜を植えたら、積極的に草を刈るのです。
それだけ、人間は欲深いのです。
生きたい。それだけです。
ありさんに きりぎりすにも エールだね
2020年8月18日
<<参考>>
記事のハイライトを押すと、過去の記事が読めます。
興味のある方は、押してみてください。
私の葛藤の姿です。
2019年1月27日投稿記事「あなたは休めますか(Part5)」では、
休むことが、良いこととか悪いこととか、必要不必要なんてどうでもよい。
もうこれ以上できないから休む。
(記事より抜粋)
2018年11月17日投稿記事「あなたは休めますか(Part4)」では、
「あなたは休めますか」と問われたならば、
毎日休んでいます。と言い切れる。
(記事より抜粋)
2017年11月10日投稿記事「あなたは、休めますか(Part3)」では、
「ありときりぎりす」の話がありました。
長い間、ありのように努力しなければならないと信じていました。
この頃は、きりぎりすこそ本当の生き方をしていたんじゃないかと思います。
(記事より抜粋)
2017年8月30日投稿記事「あなたは休めますか(Part2)」では、
置いていかれると、焦る気持ちが無駄なことです。
誰も心配などしてくれていない。
あなたがいなくても、会社は回ります。
さっさとやりたいことをやることを勧めます。
少しの時間でも良い。始めることです。
(記事より抜粋)
2017年6月21日投稿記事「あなたは休めますか」では、
あなたは休めますか。
休めるとよいですね。
(記事より抜粋)
絵のタイトルは、「えへへ」です。
はにかみながら、笑顔を作ってくれました。
19歳は、なにもかも美しい。
今日のタイトルも、「えへへ」です。
長旅から帰ってきたら、畑も庭も駐車場も草で埋まっていました。
解消するのに、旅行と同期間の1週間かかりました。
3日間に4組(昼が1組)の予約が入り、仕込みで休み返上となりました。
早朝から草刈機とカンリキで、2反の畑、5軒の空き家の草刈を済ませた。
殺人的な猛暑で早朝と夕方しか作業は出来ません。
とはいうものの、まだまだできるものです。
よって、「えへへ」となりました。
盆には帰ってくるだろうと、空き家の草刈を優先しました。
空き家の持ち主も高齢です。帰っては来られませんでした。なかなか思うようにいかないのでしょう。
猛暑ですが、秋の気配を感じます。
盆になったら、唐辛子が実をつけ始め、つくつくほうしが鳴き始めました。
白い彼岸花も咲き、すでに枯れました。もうすぐ、赤とんぼも飛ぶことでしょう。
長雨で稲の開花が遅くなり心配されましたが、一気に稲穂の薄緑が青くなりました。
妻が、「青じそが柔らかいうちに」、辛子味噌を作れとせかします。
盆祭りもユーチューブでネット配信となり、年寄りは戸惑っています。
我カフェにもSNSで検索し、訪ねて来られるお客さんが時々あります。
食べログに任せないで、カフェのブログを立ち上げなければならないでしょう。
ソーシャルディスタンス対策も取らなければならず、伐った竹をなんとか利用したいと考えています。
コロナは、それだけでは防ぐことはできないでしょうが、最低限の努力はしなくてはなりません。
いただいた大量のトマトと桃(品種はオドロキ)を生食で二人で食べきることはできません。
トマトジュースにし、火(パーチャライズ殺菌:72℃x15秒間)を入れ保管しました。
桃は固く、甘みもすくないことからコンポート(糖分20%)にしました。
冷蔵庫の中は、毎日採れる野菜で溢れています。いただく野菜も処理しきれません。
日照不足で野菜が高騰していると聞きます。カフェでもお好み焼き用にキャベツを使います。
これまでは、自家栽培で賄ってきました。さすがに長雨でできがよくありません。
買うことにしたら、価格は2倍になっていました。
なんとか助けにならんかと、都会の友人に野菜を送りました。
中でも、茗荷だけを200個ほど送りました。
心得たもので、友人に配ると言われました。
田舎から野菜を送る宛先は、捌ける人でなければなりません。
大量に葉物をもらっても、一気に消費もできず、冷蔵庫に保管しきれないのです。
私達のお中元は、自家栽培の野菜と自家製の果物加工品(B級品を加工)であり、
旬の野菜を取り込んだパンです。
山椒入りのオリーブ油(他に米油、酢)や果物の加工品(コンポートやジャム)を
興味がある人に無償で配っています。
どうしてタダなのと言われても、原料はタダだし、もったいない精神で美味しくしているだけです。
もっと欲しいから、値段をつけてくれと言われます。
いまだに値段をつけることができません。
保存料を入れないし、賞味期限の表示ができないのです。知り合いに配るしかありません。
ひっそりと営業を続ける、入りにくいカフェの一つです。
病みつきしか近寄らないカフェです。
生き方が、「えへへ」なら、良しとするこの頃です。
テレビ的 人生の楽園 とんでもね
2020年8月16日
<<投稿後>>
昨日は、妻の誕生日でした。
初恋の君が開戦の12月8日、再婚の妻が終戦記念日です。
なんでも食べたいものをと、妻をスーパーに誘いました。
なんと、一房2000円のサンシャインピオーネが食べたいと、こっそり私の眼を覗きました。
絵のタイトルは、「お姉ちゃん」です。
昨日描いた方のお姉ちゃんだそうです。
信じましょう。
エンジニアリング会社に勤めていた頃、夕方、酒と乾き物を持って有志が集まった。
仕事以外の自分が得意とすることを、皆の前で発表した。皆は酒を飲みながら聞く。
ある人は、車のフロントサイドの窓を見るだけで、製作年代と車種が分かると発表した。
写真、絵画や音楽と実に多士済々であった。
私は、農業副産物(籾殻)を工業原料に再生した工夫(炭カルの代わりに低級プラスチックに使用)を発表した。
得意が一通り発表し終わったころ、会は散会した。
ここに来て、私の得意は今日のタイトル「似顔絵と草刈」となった。
どちらも地域活性化の一つとして、私が特に力を入れていることである。
何らかの事情でできなくなった、空き家と耕作放棄地の草刈をしている。
時々、やらなければならぬ理由を見失うことがある。
草刈をすれば思い出す。その繰り返しである。
今年は、草刈に一つの光明を見つけた。
刈った草を、かぼちゃ用の草マルチに使った。
ただ刈るだけの耕作放棄地に、珍しいかぼちゃ(お尻にへそがある赤かぼちゃ)とはやと瓜を植えた。
野菜や花を植えれば世話をする。狙い通り、私と妻は新しい畑で働くことが増えた。
草を刈る回数も増えた。
似顔絵を描くのも、草刈の合間に続けている。
地域おこし協力隊隊員の頃とは、比べ物にならないくらい製作枚数が減少した。
小さな投資で大きな効果を期待したのが似顔絵であった。
似顔絵を描く意味を、草刈同様に見失う日々が続く。
一昨日、6枚の似顔絵を若い人たちに渡した。
どの方も、密かに自分の似顔絵を期待していた。
「これも私」と、皆が喜んでくれた。
人は、性格により状況によって、表情が変化する。
自分でも気づかない、他人のみが知る表情になることがある。
中でも、私が素晴らしいと感じる表情を、似顔絵に押し込める。
隊員の最後の頃、「地域活性とは自分探し」の仕事だったと気づいた。
自分が感じる、自分だけができる得意が、仕事となった。
会社に勤めていた頃は、食べるための仕事をしながら、人々は殻にこもって得意なことを続けた。
好きなことが、生業ではなかった。
今は違う。
これでもかと、自分の感性に基づいて仕事をし、生きることができる。
カフェで細々と生計の足しにしながら、やれることを続けている。
やれることと、やりたいことは違うと感じる。
40代のはじめに、「自分にはこれしかない」とあきらめるように、エンジニアリングの仕事をした。
これはやれることであった。
やりたいことは、これと未だに見つからないでいる。
結局は、やれることの延長に「やりたいこと」があるような気がする。
この辺りは、縫製の家内工業の事業所が多くある。
コロナ禍でマスクが不足し、腕に覚えがある人たちの多くが、マスクを作り人々に無料配布した。
やりたいことの途中に、やれることがあった。
草刈も似顔絵描きもやっているうちに好きになっていった。
好きだから工夫してモチベーションをあげることができた。
やれることであり、やりたいこととなった。
やりたいこととは、地域活性のモデルに挑戦することである。
どうしようもない中古車に、驚くような値段が付く。
何が人々の心に灯をともすのか、得意なことを続けながら探している。
似顔絵が 心励ます 灯なれ
2020年8月12日
「これも私」というタイトルの絵です。
よいショットが取れました。
今日来られるお客様6人の似顔絵を描き上げました。
今日のタイトルは、「ピンチもチャンス」です。
なにしろ数々のピンチを切り抜けてきました。
大事なことは、「やりきる」と宣言し、あきらめないことでした。
今回も、妻になんとかすると話し、協力をもらいました。
仕上げた後は、感謝の気持ちしかありません。
喜んでもらえるとよいな。
若いお客さんが少ないカフェです。
地元にも面白い場所があると、発見してくれるのを願います。
ピンチだから、知らない自分に会えるチャンスです。
さあて、どうしてやろかいな。
もう少し あきらめないで 生きてきた
2020年8月10日
絵のタイトルは、「金目鯛」です。
副題に、「どや、うまいぞ」と書いています。
恐ろしいほど不細工な面用の魚です。
私は命をいただき、生きながらえる。
今日のタイトルは、「丸くはならんぞ」です。
藤沢周平が描く、昼間は縁側で鼻を垂れる爺様のこと。
嫁子が、かいがいしく鼻を拭く。
爺様は、選ばれし刺客をなすために、夜な夜な天狗となり疾駆する。
まさかの展開で、本懐を遂げる。その夜に、嫁子を抱く。
嫁子の口から愉悦の声が漏れ、翌朝自害する。
そんな話であった。
歳をとるごとに丸くなる。
争いはいかん、平和な世の中の期待を込め詩を書く。
辛い経験がそうさせる。
私は思う。
望んだって、良くはならない。
一人の大人として、何かに力を注ぐ。
少しの真実に、大嘘を混じらせブログを書き続ける。
この頃見る夢は、頭脳崩壊を思わせる突拍子もないことが多い。
ダイハードのように、ガラスのショーウインドーに身体ごと頭から突進する夢を見る。
私は、現役である。誰の力も借りずに生きていける。
もう少しだけと日々延長戦を戦う。
いやいや、9回裏ツーアウトを楽しんでいる。私は、どうするだろう。
「丸くはならない」とは、頑固一徹とは違う。
青島幸雄扮する、意地悪ばあさんのように、柔軟にしたたかに矛盾を突く生き方を求めたい。
世の中には、してはならぬことは数限りなくある。
駅ピアノのように、想いを調べに載せて誰かに伝えたい。
そんなことがしたい。
来月来店されるまで、似顔絵を仕上げておきます。
若い来店者に約束した。
明日の夕方、その方々が来店される。予約が入った。
やるしかない。「2Hr/枚 x 6枚」の葛藤が始まる。
大口を 叩き後悔 追いつめろ
2020年8月9日