絵のタイトルは、「お姉ちゃん」です。
昨日描いた方のお姉ちゃんだそうです。
信じましょう。
エンジニアリング会社に勤めていた頃、夕方、酒と乾き物を持って有志が集まった。
仕事以外の自分が得意とすることを、皆の前で発表した。皆は酒を飲みながら聞く。
ある人は、車のフロントサイドの窓を見るだけで、製作年代と車種が分かると発表した。
写真、絵画や音楽と実に多士済々であった。
私は、農業副産物(籾殻)を工業原料に再生した工夫(炭カルの代わりに低級プラスチックに使用)を発表した。
得意が一通り発表し終わったころ、会は散会した。
ここに来て、私の得意は今日のタイトル「似顔絵と草刈」となった。
どちらも地域活性化の一つとして、私が特に力を入れていることである。
何らかの事情でできなくなった、空き家と耕作放棄地の草刈をしている。
時々、やらなければならぬ理由を見失うことがある。
草刈をすれば思い出す。その繰り返しである。
今年は、草刈に一つの光明を見つけた。
刈った草を、かぼちゃ用の草マルチに使った。
ただ刈るだけの耕作放棄地に、珍しいかぼちゃ(お尻にへそがある赤かぼちゃ)とはやと瓜を植えた。
野菜や花を植えれば世話をする。狙い通り、私と妻は新しい畑で働くことが増えた。
草を刈る回数も増えた。
似顔絵を描くのも、草刈の合間に続けている。
地域おこし協力隊隊員の頃とは、比べ物にならないくらい製作枚数が減少した。
小さな投資で大きな効果を期待したのが似顔絵であった。
似顔絵を描く意味を、草刈同様に見失う日々が続く。
一昨日、6枚の似顔絵を若い人たちに渡した。
どの方も、密かに自分の似顔絵を期待していた。
「これも私」と、皆が喜んでくれた。
人は、性格により状況によって、表情が変化する。
自分でも気づかない、他人のみが知る表情になることがある。
中でも、私が素晴らしいと感じる表情を、似顔絵に押し込める。
隊員の最後の頃、「地域活性とは自分探し」の仕事だったと気づいた。
自分が感じる、自分だけができる得意が、仕事となった。
会社に勤めていた頃は、食べるための仕事をしながら、人々は殻にこもって得意なことを続けた。
好きなことが、生業ではなかった。
今は違う。
これでもかと、自分の感性に基づいて仕事をし、生きることができる。
カフェで細々と生計の足しにしながら、やれることを続けている。
やれることと、やりたいことは違うと感じる。
40代のはじめに、「自分にはこれしかない」とあきらめるように、エンジニアリングの仕事をした。
これはやれることであった。
やりたいことは、これと未だに見つからないでいる。
結局は、やれることの延長に「やりたいこと」があるような気がする。
この辺りは、縫製の家内工業の事業所が多くある。
コロナ禍でマスクが不足し、腕に覚えがある人たちの多くが、マスクを作り人々に無料配布した。
やりたいことの途中に、やれることがあった。
草刈も似顔絵描きもやっているうちに好きになっていった。
好きだから工夫してモチベーションをあげることができた。
やれることであり、やりたいこととなった。
やりたいこととは、地域活性のモデルに挑戦することである。
どうしようもない中古車に、驚くような値段が付く。
何が人々の心に灯をともすのか、得意なことを続けながら探している。
似顔絵が 心励ます 灯なれ
2020年8月12日