故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

草刈旅

2020-08-07 06:50:38 | よもやま話

絵のタイトルは、「真道山から黒神島を見おろす」です。
私が生まれた島の大好きな原風景です。


久しぶりの投稿です。
今日のタイトルは、「草刈旅」です。
コロナ禍のなか、横浜ー広島ー米子ー津幡と旅をしました。
車の全走行距離は、2650Kmとなりました。
極力車外に出ない旅は、妻と二人で楽しいものでした。
川崎の義兄の家の草刈・剪定をし、司法書士を訪ね、広島の実家の相続の相談をしました。

事前に子供たちと相談をしました。
自分の持ち家でありながら、「60過ぎの再婚」をしたことで、妻を迎え入れることもできず家を出ることになりました。
再婚7年目にして、やっと妻を自分の家に泊めることができました。
子供たちの反応は、「お父さんの家でありながら、泊るなと言うのもなんだな」と歓迎してくれました。
早朝から台所の換気扇のスイッチを付け替え、換気扇の掃除をしました。
子供たちと4人で、我が家の屋根を覆っている裏山の木を伐りました。
道具は持参し、ここでやり慣れた剪定をしました。
子供に背中を見せる、よい機会になりました。
いつもは、世話になった人に会い土産を渡し、旧交を温める飲み会をしました。
今回は、土産(桃)は宅急便で送り、飲み会も断念しました。
その分、子ども達と有意義な時間を過ごすことができた。

広島でも妻の持ち家に初めて泊まりました。
こちらも再婚には猛反対で、強行突破の宿泊でした。
川崎の司法書士から相続(母の財産:土地家屋全部)に必要な書類をネットでアドバイスをいただき、
市役所に出向き書類を取得しました。市役所の方は、私たちの事情を察してくれとても親切でした。
今回の旅の第一目的である、兄(昨年他界)嫁の今後の生活について本人と話すことができました。
畑の草刈と庭の木を剪定する義姉に、素晴らしく切れる軽めの鋸とばねのついた剪定鋏を置いてきました。
90歳にならんとする現役の農家(父が従弟)にも、長生きして色々教えて欲しいと頼んできました。
車外に出るときは、常にマスクをし、自分が保菌者かもしれないという意識を持ち続けました。
相続予定の畑や田んぼは、山際にありすべて木々に覆われていました。
農作物増産の役割は終わった段々畑です。開墾した山の畑は、すでに山に返っていました。
市役所で、「農業委員会からの報告により、農地を原野に改定する」と聞かされました。
唯一会った、現役で床屋をする友人に、「帰ってきて何をするんだ」と聞かれました。

父や母が残してくれた財産をこのままにはしておけない。
私達の子供世代に引き継ぐワンクッションになりたいと思います。
子供たちがお祖母ちゃんから相続するとなると、手続きは膨大になります。
何ができるかは、移住したのちに考えることにしました。
ここでの経験が、そう考えさせます。
移住は、「期待されない不自由と、何からも解放される自由」の生活の再開です。
それには、健全な体力となんとか働く頭脳が必要です。
もう20年生きる。そう決めました。

草刈は どこでもそうさ やるだけさ

2020年8月7日
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする