故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

寂しいばい

2017-02-23 04:45:29 | よもやま話

「間延びしちゃってごめんね」というタイトルです。
少しだけ、下に間延びし、横向きの顔が口元で正面に向いてしまった。
利発そうな眼と可愛い口元のアンバランスです。
独特な雰囲気が出ています。


今日も、孫がお泊りです。
まだ若い爺婆と川の字になって寝ます。

爺は、少し寂しい。
婆の作戦勝ちです。
孫には分からない話です。

今日のタイトルは、「寂しいばい」です。
失恋には、3つのパターンがある。
好きだけど、一方の好きが大きすぎた。
男と女で2パターン。
どちらかが好きでない。
この3パターンであると、亀井勝一郎さんが言ってたような気がします。

愛しても満ち足りない。
喪失感が、失恋したと思い違いを起すのです。
タイミングによっては、よくある現象です。
コマ送りのような瞬間を大事にしていた時がありました。
ほとんどが、独りよがりの我儘でした。
長いレンジで眺めていればわかりそうなものなのに、近視眼的でした。

歳を重ねると、「寂しいばい」は切実です。
後戻りもやり直しもありません。
ひたすら現実と向き合うばかりです。

「寂しいばい」
あんたが言うと、いやらしいわよ。
まだまだ抜けぬ青春です。

青春の時こそ、凄春でした。
名言をたくさん残された亀井先生です。
若い頃は、厳しい人だなと感じました。
この方の大きな愛が理解できなかったのです。

歳を重ねると、年輪の分だけあれこれと、考えの裾野が広がります。
「寂しいばい」の後ろにあるものは、
ゆるぎない愛であったり、口に出して言えるゆとりのようなものだったりします。
若い時は、自分を否定する言葉のようで言えませんでした。

いやらしいと言われながらも、正直に言いましょう。
「寂しいばい」
奥様は、密かに喜んでおられるかもしれませんね。

うふふ。と答えられるばかりです。

手を出して 弾き返され 寂し嬉し

2017年2月23日
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無形文化財

2017-02-22 06:44:30 | よもやま話

娘にきせたいなと描きました。


今日のタイトルは、「無形文化財」です。

いろんな生きた経験と多岐にわたる友人がいます。
これは、人生を豊かにします。
今日、書きたいことです。

ちょっと長くなりますが、広辞苑での説明を書きます。
演劇・音楽・工芸技術その他の無形の文化的所産で、
歴史上または芸術上価値の高いもの。
そのうち特に重要なものを重要無形文化財として国が指定し、
これを高度に体現できる者
または正しく体得しかつ精通している者を、保持者として認定する。
(広辞苑より)

なんだか面倒くさそうとなります。
いわば、手に職のような、後世に伝えたい技術や芸術のことです。

やっと、本題に入れます。
私は、「地域の魅力はなんですか」の重なる問いに、
「人」と答えました。「交流しやすい道路事情」とも答えました。
応えた本人にも、ぼんやりとして明確な答えとも思えませんでした。

田舎に住み始めた時、感じたことは「人懐こさ」と「人のよさ」です。
若い時は、外に出たいばかりでしたから、煩わしかったと覚えています。
ところが、時間が経過し経験を積んだ今は、
これは素晴らしいことじゃないかと思い始めています。

若い人になくて、年寄りにあるものは「経験」です。
田舎には、有形の優れたものは無いように見えます。
今や、田舎ほど無形の経験や伝統技術に溢れています。

都会では、「隣は何をする人ぞ」と交流がまったく途絶えています。
田舎では、あの人がどうした、この人がああだ、
とかまびすしく雀たちが騒ぎます。
よくご存じなのです。若い時の話までさかのぼるから、
話に際限がなくなります。
若い時のことのほうが、面白おかしく語れます。
すでに消化されているからです。

人は、一人では生きてはいけません。

給料をたくさんくれる会社にいたいと思います。
そのうち会社にしがみつくようになります。
会社=神様になる方もいらっしゃいます。
どこそこの大学を出たとかで、盛り上がります。
定年と同時に、まわりは殺風景なものになっていました。

私は、「つながり」を大事にしたいと思うようになりました。
この感覚を説明するのは、やさしくありません。
いっぱい会う人がいる、いっぱい聞いてくれる人がいる。
やろうと思えば、いろんなことができる田舎です。

都会で、家庭菜園をしたいと思っても順番待ちです。
長ければ数年かかります。
何かのサークルに入りたいと思います。
出かけるのも体力がいるし、何かをやるにも金がかかります。
自然に触れたいと田舎を目指します。
常に長い行列の先に、求めるものがあります。

都会でひっそりとしていると、何日も誰とも話すことはありません。
田舎の庭先では、今日も延々と話が続いています。
ものが行きかうごとに、話が盛り上がります。
やれやれの時もあります。計画していた仕事が進みません。
また、明日となることもしばしばです。

私を見つけないで。

これが良いのです。
友人がいて、経験を活かせる。
つながりは、きっと人生を豊かにするでしょう。

我が子です 寄ってたかって 皆がみる

2017年2月22日
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頭を下げる仕事

2017-02-21 02:53:52 | プロジェクトエンジニアー

「イチャリバチョーデ-」というタイトルの絵です。
袖触れ合うも多少の縁。
会うものすべて兄弟という意味の沖縄ことばです。
大分の地獄めぐりの途中の足湯での光景です。


忙しい一週間が過ぎました。
ブログも滞りがちでした。
会って飲んで、お礼を言ってまた飲んで。
人生、出会いの連続です。
この歳で、新しい出会いが増えました。
嬉しいことです。

娘の結婚式でのこと。

今日のタイトルである「頭を下げる仕事」が素晴らしいと感じました。
お客様に感謝の意を伝えるのがお辞儀です。
さりげなく、上品で人柄がにじみ出るようなお辞儀にたくさん会いました。

若いうちに、「頭を下げる仕事」を経験することは、とても良いことだ。
自分が食えるのは、お客様があってのこと。
そう得心するまで、かなりの時間が必要です。
始めは、教えられた通りのお辞儀をする。
仕事とは言え、それが自然に出るようになる。
そのうち、心からできるようになる。

お辞儀がちゃんとできるようになると、
次はお客様をもっと笑顔にすることに意識が向くようになる。
それが出来たかなと、毎日のお辞儀に磨きがかかってくる。

私はものづくりを長くやってきました。
顧客の満足の意を聞くこともなく、次の現場に入っていました。
黒子人生です。
「昔からこうだった」と改造、改良点に気づかれないほどマッチしているのが良い仕事。

「頭を下げる仕事」とは縁遠かった。

これからカフェをやっていきます。
毎日が、お辞儀に始まり終わるような仕事です。
ちゃんとできるでしょうか。
毎日の一人を大切にする仕事です。
人を束ねる仕事ではありません。

人を元気にする。
一回こっきりを大事にする。
おろそかにしないのが、心からの感謝です。

人に始まり、人に終わる。
最期になってこんな気持ちで仕事ができるとは、めぐりあわせとは言え運命です。

風さえも 笑顔に変える 稲穂かな

2017年2月21日
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生活音

2017-02-16 10:03:46 | よもやま話





この絵を見て、波の音が聞こえてきそうですか。
私には、とんびが高く舞う風の音や
桟橋をたたく波の音が聞こえます。

載せることにしました。


今日のタイトルは、「生活音」です。

朝寝ぼけていると、ドアが開く音がしました。
「もう、出かけるのかい」と娘に声をかけました。

昨日から、横浜の我が家に帰っています。
ドアの音は、隣の家のものでした。
前の道路を歩く足音、遠くを走る電車の音、汽笛。
都会は、いろんな音がします。
しかも我が家から発せられた音ではない。
少し混乱しました。

東北の我が家では、ほとんど音がしません。
雪が降る音こそ聞こえませんが、無音に近いのです。
鳥のさえずり、木々の葉をゆする風の音。
繊細な微妙な音が聞こえます。
時々、雪が落ちる音、雨音。

久し振りに横浜に帰ってきました。
今の時間は10時です。
生活音は聞こえなくなりました。
物や者が動かなくなったのです。
逆に寂しさを感じます。

田舎の音は、陽が昇るにつれて、騒がしくなります。
陽が落ちると静かになります。
この感覚になれてしまいました。

都会の孤独です。

さあ、汚れていた台所が片付きました。
出かけましょう。

包まれる 自然のなかに ぬくぬくと

2017年2月16日

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偏り

2017-02-15 08:15:34 | プロジェクトエンジニアー

忘れててごめんね。
この絵のタイトルです。
皆に似顔絵を配った時、僕のがない。
とっても悲しかったでしょう。
ごめんね。
すぐに描きました。そして間に合った。
慌てただけに描き直しが数度となくありました。
満足してもらえたでしょうか。


今日のタイトルは、「偏り」です。

こうだと決めたら、人の意見に耳は貸さなくなります。
馬でも、猫でもないけど念仏は届きません。
ちょっとだけ息を吸い込んだら、
耳の穴や脳の一部が解放されたかもしれません。
残念です。

でもきっと耳の奥にこだまして、ポチョンととどまっているかもしれません。
そう、真っ黒黒助のように。埃と一緒に現れるかもしれません。

私は、多くの金言に気づかないできました。
あの一言の意味が解っていれば、今頃はと思います。
でも届かなかった。心の扉は開かなかった。

Know-howは伝えない。
部分だけをかじっても上手くは行かないから。

あなたが、私たちのことを案じて提案してくれなくて結構です。
あなたが、あなた方の会社がこの業界で成し遂げて、
上手くいったことを話してください。
私たちが判断して決めます。
あるスーパーマーケットのPC(プロセスセンター)のプレゼンテーションを
する前に言われたことです。

だから、Know-howを話すことは意味をなさない。

困っていることに答えるだけでは、会社は救えない。
見えない何かに答える。
見えないことを、顕在化させる。
未来予測です。架空の話です。
真実は、予測の検証なのか。
現実の積み重ねなのか。

私は、地域おこしをする時にいつも思うことがあります。
ぶれずに、長い未来を予測できているか。
血みどろになって動けるか。
若い人につなげることができるのか。
リスクを他人任せ(人のせい)にしていないか。

今日のタイトルは、「偏り」です。

お前になにがわかる。
話を聞いた後に出る言葉です。
種明かしをしたとたん、なんだそうだったのか。
それで、終わりです。またすぐに忘れてしまう。
なんのために話すのか。
皆で知恵を絞るのか。
議事録が最初からできている「しゃんしゃん」の会議に出るようなものです。

偏りは、自分の中にもあります。
ああ、判ってもらえないな。失望感です。
それなら話さなければ良かったのに。

そうではありません。
真っ黒黒助が、飛んで行ったのです。
ポチョンがピチャンになるかもしれません。

ピチャンの次は、さざ波です。
心をゆさぶる怒涛ではありません。

後戻りはありません。
話してしまったから。

ゆらゆらと 水辺の小屋に 我忘れ

2017年2月15日
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