山仲間に誘われて、横須賀の山を登るようになった。
この当たりの山は、高くても200mである。
この山仲間がとんでもない人たちであった。
沢に降り、山頂を目指して直登する。なるべく厳しいルートを選ぶ。
いつでも、高い山に登れるよう訓練をしていることが次第に分かって
きた。 一日に20Kmを越える距離と総標高差1000mを越える上り下
りの繰り返しを なんなくこなし、夕方には浴びるほど酒を飲んで散会する。
3回目の山行後、膝に違和感があった。
これは、練習不足と1万歩を2倍に増やした。
階段も取り入れて訓練を始めた。2週間もしないうちに左膝が痛くなり
歩けなくなった。
それから、6ケ月まともに歩けなかった。膝が治りかけたら、右足がし
びれるようになった。
今度は、のたうちまわるほどの痛みである。風呂に入り、ごまかすこ
とができなくなり整骨院に行った。
翌日、ブロック注射を打ってもらった。九州へ出張しなければならな
かったからだ。
打ったその後1日間は、羽が生えたようになんともなく快適であった。
それもわずか1日であった。
麻酔がきれたように、翌日はさらに痛みがひどくなった。
顔はゆがみ、人の話は悪くとるようになっていった。痛みは人格を変
え、ひどくネガティブになった。
それでも、彼女は、約束が違うと言わんばかりに「こうすれば良くな
る。」と努力を惜しまない。
泣くに泣けない心境でただただ顔をしかめ耐える毎日が続く。
気晴らしにビジネス書を読む。コップに半分の水が入っている。
「半分しか残っていない。」
「半分も残っている。」
どちらの心境になるか。まだ、「半分も残っている。」と思えたものだ。
これは、腰痛と生涯付き合うしかないと覚悟をする。
すべての治療に、アドバイスに従う。良かれと思えばとにかくやる。
頭はクールに気持ちはホットに。
あれれ、歩けるではないか。わずか10歩ではあるが、休めばもう10歩
歩けようになる。
腰痛ベルトもはめる。薬も飲む。顔をしかめるのをやめて、笑うしかな
いではないか。
彼女が自分のことのように喜んでくれる。責任を果たしたような気持
ちが先に来た。
半年前に同居し始めた彼女を悲しますわけにはいかないのである。
またまた、「女はこわい。」と思ったものである。いや偉大なのである。
腰痛から学んだ、少しだけ強くなったかもしれない。