
過去に描いた絵の名から、タイトルにふさわしい絵を選びます。
今日は、これ。
タイトルは、あなたのそばが好き。
市役所の前にあった彫像です。
彫像にあるタイトルは違います。
背景の大きな木の木陰で、少女は何か想っています。
私には、彼女がこんな風に想っていると感じました。
朝起きたら、あちこちが痛い。
いつの張りか分からぬほど、あちこちの筋肉がきしんでいる。
一昨日のゴルフで背中の張り、昨日の梅の剪定で膝のつっぱりと切りがない。
朝の始まりのルーチンワークをこなしていく。
身体があったまり、自分を取り戻していく。
今日のタイトルは、「生きる(part2)」です。
全ての人が、この「生きる」ために努力をしていると言ってもよい。
絶望の淵にある人も、生きるためにわずかな蓄えと希望でつないでいる。
昨日の幸せな状態が、今も続くことはない。
私のブログも、ほとんどのモチーフが「生きる」です。
生きるために書いていると言ってもよいくらいです。
自分の体調と相談しながら、感じていることを昇華していく作業です。
今しか書けないことを毎日綴っています。
絵のタイトル「あなたのそばが好き」と感じたり、いやそうではないと喧嘩したりの毎日です。
それでも、多くの時間、あなたのそばが心地よい。
生きる限り、辛いことばかりです。
それでも生きようとする。
生きなければならない。
お前は、まだ来なくて良い。
やることがいっぱいあるだろうと、墓地にある小堂で聞いたような気がした。
2017年11月17日投稿記事「潔く生きたい」を参照ください。
幸せを包んで少しだけおすそ分けをしたい。
と書いています。
2017年6月5日「ニーズに応える」を参照ください。
辛いけれども、生きていると、ちょっとだけ良いことがある。
誰にもわからないけれども、自分の中から湧いてくる感動です。
ほんの一瞬のできごとです。
生きていて良かった。
一生懸命生きていると、良いことが貯まって来る。
ちょっとだけ分けてあげたいと、殊勝に思うことがる。
ほとんどの生活がけちで成り立っているのに、気迷いのごとく錯乱することがある。
大盤振る舞いはできないけど、ちょっとだけおすそ分けが出来る。
幸せをもらってくれる人を探す。
あまりに大勢なのか、ほんの一握りなのか人それぞれです。
私は、大勢過ぎてお渡しできません。
それが、幸せと感じる。
ひたすら、「生きる」ことを続ける毎日です。
それでよい。
それしかない。
もう少し書きたいけど、時間です。
またの機会にしましょう。
ありさんが 身体に余る 荷を運ぶ
2018年6月15日
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