ぼたんの冬越しの菰囲いです。
ここまでやると、金を払ってでも観に来ていただけます。
どうしたものか。
今日のテーマは、「環境保全」です。
どうすることもできない悔しさで、目が覚めたまま起きだした。
そしてブログを書いている。
悔しいということは、まだできることが残っている証拠である。
この辺りでは、自分の家の庭の草や木が伸び放題となり、
隣家に迷惑をかけるようになると、隣家から直接クレームがつく。
あるいは、町の世話役にクレームが入る。
是正されなければ、役所に申し入れる。
地域では、孤立していく。
困った時、手助けが得られなくなる。
草を刈り、剪定をしている。
自分のうちのことではない。
周りの空き家の草刈りや剪定のことである。
カフェの周りだけでもと頑張っている。
誰もが、喜ぶことである。
横浜の家のことが気がかりである。
川崎の義兄のうちのことが気がかりである。
軽トラに道具を積んで草刈りと剪定に行きたい。
息子にやり方を伝えたい。
ままならない。
篠だけをやっつけるには、数年かかる。
生えてる地上の竹を伐り、根を弱らせる。
山からの補給路(竹の根が伸びる)を断つために塹壕を掘った。
それから根を起す。つまり竹が生えた荒れ地を耕すのである。
息子たちの手助けをしたい。
できない無念をこの地域でやっている。
隣家の空き家から草を刈ってくれと電話が入る。
車が故障して、草刈りにいけないからという。
情けなくなる。
更に、他の家からも依頼があった。
栗、梅の木の面倒を見て欲しい。つまり耕作放棄地の面倒を見て欲しい。
また別の方から、竹を伐る手伝いをしてくれないか。
日当一万円を払う。
多くの人が困っている。
若い人がいないわけじゃない。
生活で疲弊していると言っても良い。
隣家に迷惑をかけないという最低限のこともできない。
やってやれないこともないが、草が生えていても気にならないのである。
私は、この地域の自然が素晴らしいと思う。
四季折々の移り変わりが美しい。
こんな素晴らしい環境を捨てることはない。
個人の持ち物は、他人がどうこう思ってもできないのである。
あんたならやってくれそうだと思われて、依頼が入る。
それから、やっとできるのである。
できることは限られている。
私は、この地域の自然がこんなに素晴らしいと発信することはできる。
絵にして伝えたい。
時間が欲しい。
いや時間を作りたい。
多くの人の眼にさらされても耐えられる環境を作りたい。
多くの人に美しいと実感していただくために、気軽によれる「さんぽみち」を作りたい。
悔しいと思い、目が覚めた。
悔しいと感じる気力がまだ残っている。
こんな気持ちになれることを喜びたい。
草刈りは やってはまたと 楽しめる
2018年6月16日
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