故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

子どもは物知り

2014-07-04 01:00:30 | 思い出話

 

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S 様 

お仕事順調に運ばれている由、なお一層のご発展を期待しております。お忙しい中でも、いつも優しいおことばをかけていただきましてありが とうございます。 

文明の恩恵を受けるのは、後になってからであったが、子供たちは みんな外で暗くなるまで遊んでいました。夕方になると、あちこちで、 子供を呼ぶ声を聞いたように思う。私はこの時代は、好きです。
皆生き生きと遊んでいた。 

遊ぶだけでなく、今より大人たちと近かったような気がします。
大人のことをよく知っていた。家族で話す機会も圧倒的に今の時代 より、多かった。温めることも出来ないので、皆一緒に食べました。その時間も割と早かった。大人たちが話している内容を今より 理解できた。だから、子供たちは決して無理は言わなかったように思います。娯楽は、近所で凝縮されてあったように思います。どこかで死んだ、または結婚した場合、部落総出で手伝い、一緒に 悲しみ喜んだ。子供たちは、常に回りで飛び回っていたように 思います。あの時代の子供たちは栄養不足だったが、すごく丈夫でタフだった。子供の中には、しっかりと立ち位置が確保されており、居心地が良かった。いじめは、なかった。しっかりとしたガキ大将が いたから。子供たちは、お医者さんごっこをすることで、異性の 身体の構造は早くから、自主的に学んでいた。そしておおらかに裸になっていた。隠す必要もなかったし、隠せなかった。皆が裸でくらしているような感さえあった。生き生きとした子供たちの目は、くりくりしてよく動いた。興味津々であった。遊ぶことで成長できた。遊ぶことで、
子供社会を作り落ちこぼれなど出なかった。
あの時代に幼少年
 時代を過ごせて私は幸せでした。 

何もないほうが、天才を育むのかもしれません。 

無いことは、けっして悪いことではないのです。 

足りないぐらいが、ちょうど良いのかもしれません。
 

2014年7月4日

 

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