絵のタイトルは、「そばを作る人」です。
どうして、こんなところで。
聞くだけ、野暮ざんす。
桜咲き やっとこの子が それだけさ
草刈をどうしてやるのか、分からくなった。
93歳の畑の草を隠れて刈った。
20年耕作放棄している田んぼの雑木を「切らせてください」と伐った。
病気になった家主に代わり、空き家の草刈と雑木切りを長老に頼まれてやった。
終わったあと、「なんぼ渡したらよいかの」と必ず聞かれる。
お金が目的でやったわけではないので、「いただかない」と固辞する。
今日のタイトルは、「喜んでもらえるなら」です。
草刈の癖がついたのは、もう10年以上も前のこと。
現場監督をしながら、現場回りの草むしりをした。
外構工事の助けになれば、若い監督に少しでも早く相談に乗るためであった。
建築会社の監督は、子飼いの会社とずーと現場を共にする。
関東6県から、子会社の社員は朝4時起き帰宅は10時を繰り返していた。
夏の現場の冷蔵庫に無償のポカリスエットを置いた。
自販機に並ばなくてもすぐ、好きなだけ飲める。
高じて、残業と日曜出勤を禁じた。
間に合わせるために、現場を見ながら草をむしっていた。
会議は、朝礼の一回きりにした。
早く来る子会社の社員に、朝7時から朝礼迄の残業は許可することにした。
さすがに、草刈と雑木切伐りは大変な仕事で、身体の筋肉がきしむ。
2-3万円の謝礼なら、あれだけやって、「これだけか」と自分はきっと思う。
出す方は、あれだけやったのに、「これだけか」と出来上がりに不満を持つだろう。
強制でやった。
お金をいただいてやった。
それだと、私は手を抜くだろう。
ここまでやった方がよいと、我ごとのように労を厭わない。
お金をもらわないから、できる。
高給をただき仕事をしてきた。
当然だと思い、もっと寄越せとさえ思った。
友人は、「くれるならもらっておけ」とアドバイスをくれる。
出す方も、気持ちが楽になるから。
93歳は、お金が軽くて楽なんだと溜息をつく。
ビールなど重たい想いをしなければならないから。
それでも固辞すると、商品券を持って来られた。
ありがたく、いただいた。
ボランティアを貫くのは、自分の都合でできるからです。
時間の制約もないし、出来上がりの枷(かせ)もない。
「どこへ行くの」とあいさつ代わりに聞かれた。
濃密な人間関係が嫌で都会に行った。
50年ぶりに帰郷した浦島太郎のデビュー戦は、盛大な草刈になった。
他に考えようもあるかもしれない。
それでよいではないか。
「喜んでもらえるなら」と花を植え、汗を流す人もいる。
2023年4月28日