故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

40代ですること

2022-07-06 10:24:57 | よもやま話

絵のタイトルは、「山国川魚昇る」です。
魚道を上るもよし。
落つる早瀬を昇るもよし。
30代後半で、新社長に就任した方に送りました。


勤めている企業名で、存在価値を認めてもらう生活でした。
退職してみると、ただ生きているだけのような気もします。
趣味を生かして何かをするのは、新たな存在価値と思いたい。

今日のタイトルは、「40代ですること」です。
転職を繰り返してきた私です。
39歳で自分にはこれしかないとエンジニアリングの道を目指しました。
キャリアーを捨てて、新地で経験が無い仕事に就きました。
キャリアーにこだわっていたら、きっと出会わなかっただろうと思う若者に会いました。

日本酒に魅せられて渡りのような杜氏修行をされている女性でした。
いつか、自分の酒を仕込みたい。
蔵を手伝いながら、ラインが空いたときに借りて、少量の酒を造っています。
私は、彼らが仕込む古酒を飲んでいました。
爽やかな味でした。
悩みは、旦那さんの車道楽でした。
二人で目指す酒蔵のために貯めては、その資金は車の代金に消えました。
カフェに来られては、涙をかみ殺していました。

広島流を貫くお好み焼きの店主でした。
私がカフェでお好み焼きをすることにしました。
広島出身者がやるカフェを、休みの時夫婦で訪ねてくれました。
キャベツの切り方、生地の配合、そばの焼き方、返し方まで、
彼から教えてもらいました。
いつか故郷に帰りたいと、二人は思っています。
いつしか、奥さんが私が作るお好み焼きを好きになってくれました。
私が作るお好み焼きを作ってと、旦那さんに頼むそうです。
私のお好み焼きは、故郷で食べたおばさんが焼く味付けでした。
お好み焼きのプロの彼は、苦笑いでした。
久しぶりに聞いた電話で、広島でお好み焼きをやるのは怖いと言っていました。

美しい女性でした。
結婚し、三人のお母さんでした。
大学で学んだことを活かしたかったが、公共の職種を選択されました。
私の仕事は、彼女にサポートされる仕事でした。
これは無理かなと相談しても、常に積極的に後押ししてくれました。
出来て当たり前の仕事に悩み、
「どうしてこうなん」と家族を見守り、自分にカツを入れながら頑張っています。

40代は、やりたい仕事ができ、これしかないと道を究める年代です。
会社や家族を支え、家族に愛され、同僚から頼られる年代です。
知恵もまわり、実現できる体力もあります。
新人に毛が生え、上司にたてつける力を持っています。
今頑張らなければ、いつやるの。
目の前の難題をものともせず、過去の栄光を振り返りもせずがむしゃらです。
頑張ってね。
応援しています。

2022年7月6日
コメント
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