絵のタイトルは、「やることがいっぱい」というタイトルです。
墓地の小堂で、「やることがいっぱい」あるだろうと、帰らされます。
そうかな。そんなにあるかな。とこの頃は自信が薄れてきます。
今日は、エイプリルフールです。かわいい嘘の一つもこさえましょう。
「そりゃ、なんでも美味しでしょうよ。好きな人と食べるものは」と、大昔の浮気を責められる。
今、この前の妻が作ってくれた料理を褒めたばかりに、しっぺ返しをされました。
何がいけなかったんでしょう。
愛人と瀟洒なレストランでいただいた美味しいものが霞ます。
隣りのばあちゃんが、「いるかい」と今朝も来られました。
何にも植えないけど、畑には草一本生えていません。
何か植えても、だだっ広い畑にほんの一筋だけ。
草取り命のばあちゃんが、この頃少し変です。
私の鎌が見えないんじゃが、あんたが持っていないか。と毎朝のように訪ねて来られます。
「持ってないか」は、「拾って預かっていないか」と言う意味らしい。
一週間前、そりゃ大変だねと、私達夫婦共々一緒に探しました。
ばあちゃんの行動範囲を目いっぱい探しました。ありませんでした。
その日は、「一緒に探してくれて、ありがとね」と別れました。
その日から連日、「ばあちゃんの鎌捜索」は続いています。
ばあちゃんの息子さんに、状態を伝えた方がいいのではと、二人で話していました。
今朝も「いるかい」と来られました。
耳が遠くなったばあちゃんに、「私達は、持っていない。そんなこと(盗ったり)はしない。」と
妻は、今日は大きな声でばあちゃんに言った。
私が笑って、そりゃ毎日来るぞ、毎日付き合ってあげなさい。と妻に言ったところ、
あんたは、私に「はねまかし」(広島弁。今日のタイトル)じゃあない。と目を剥いていました。
息子さんに話しても、ばあちゃんが怒られるだけだし、いったん注意されても忘れることでしょう。
「はねまかし」とは、広島弁(いやもっと小さい地域だけで通用)で、
一切かかわらず知らん顔ということです。
妻が時々使う広島弁に、懐かしいやら嬉しいやらです。
カフェに来られる方で、私が苦手なお客さんが二人だけいます。
私は、こっそり裏口から逃げ出します。
一人は、同じことを言い続ける女性。もう一人は、猫の言葉が分かる男性です。
妻は根気よく付き合っています。あとで、私に面白かったことを話してくれます。
家が大騒動(広島弁)じゃけ、来てもらわれんわいね。と妻が話した。
「大騒動」とは、家がさばけている(これも広島弁)。
つまり、掃除がされていない汚れていると言う意味です。
なつかしい「はねまかし」が広島弁だと茶化す私に、妻はぷんぷんです。
羊羹を食べかけで、ばあちゃんの対応に妻は追われていました。
私は私の分を食べきって、妻が残している二切れを眺めていました。
ああでもこうでもないと、ばあちゃんの認知症(気味)について話は続きます。
あれれ、私の皿に妻の食べ残しの羊羹が一切れ載っています。
「ありがとね」と妻に礼を言い、私は美味しく食べ終わりました。
あなたに羊羹をあげてない。するわけがないと、妻は息巻いています。
ありゃありゃ、数秒前のこと(興奮して無意識の行動)を忘れたんだね。
またまた妻と一緒に大笑いしました。
妻の皿から羊羹を取り上げたのかと、私も自信がなくなりました。
まくしたて 妻の口にゴミ はよう言え
2021年4月1日