故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

不買運動

2021-02-20 06:32:38 | よもやま話

絵のタイトルは、「ありがとう」
これしかないでしょう。


食べログなるものがあります。
我カフェにも取材で時々来られます。
写真を撮られ、インタビューをされます。
偉い人(地域の名士)が店を利用され、我カフェを食べログに載せるよう誰かに頼んだ。
その誰かが来られ、「上手に書いておくから」と言われました。
上手には、条件が付いておりました。
上手は不要だから、条件は飲めないと断りました。
名士の手前、「上手」だけ残りました。
食べログを書かれる方は、発表された後は来られません。次から次にオープン店を回られます。
食べログを運営する会社の会員(会費を払う)になると、自動的に「0.5点」あがると聞きました。

今日のタイトルは、「不買運動」です。
食品会社が一番気にするのは、評判であり不買運動です。
不具合があり、リコールと認定される。
記者会見を開き、謝罪し迅速に不具合品を回収します。
消費期限が過ぎたものを会社に持ち帰り、リパックして売ろうとする。
これは論外でした。老舗の会社で、倒産するところも出たほどです。
2000年を過ぎたころ、「表示違反」はJAS法で禁じられました。
魚沼産のコメが一粒でも入っていれば、「魚沼産こしひかり」と称して売っていた。
その後は、店舗で売られている米の袋から20粒だけサンプルをとり、DNA鑑定をする。
100%産地表示の米の中に、1粒(5%)でも異種米が入っていれば、販売中止となります。

不具合があって、不買運動となる。
それとは異なる不買運動について書いてみたい。
集える場所が必要と想い、カフェを始めました。商売をやるからには、続けたい。
車で30分以内が商圏と予想した。10万人の人口があった。
かつて営業をしていた時、一生懸命見積もりを提出して受注率は年間5%であった。
1年間に、10万人の5%になる5000人が来店してくれる可能性にかけた。
それは、最高の状態であり、努力次第では半減も予想された。
2500人/年は、200人/月であり、営業20日間で10人/日である。
これであれば、夫婦2人で対応できる。

始めて3ケ月は、10人/日を超える日が続いた。
4ケ月目に入ると、激減した。
慣れない商売で、温かいコーヒーをだすこともできなかった。
マスコミに載ったこともあり、休日にお客は集中した。
不特定多数の広い商圏では、対応できないと判断した。
わずか6000人の地域の人々にリピーターになっていただく作戦に方針変換した。
夜の予約を始めた。変化に対応できない「見込み生産」を中止し、「注文生産」に切り替えた。
売上より経費(見込み間違いの過剰な食材仕込み)が嵩んだし、
私達が対応できるピークカットがしたかったのである。
不買運動とは違うが、私達の商法は拒否されたのである。
SNSで販路拡大の構想も中断した。

夜の予約客をとるようになり、お任せ料理を始めた。
予約客は、一組だけ。常連客に試食していただき、合格点をもらったものだけ出すことにした。
我が家の畑で採れる野菜を使う。地元のお客さんも同じ食材を使って料理をされています。
初めはネットで調べ、和洋中の味付けに挑戦しました。
美味しくなくては、客はリピーターにならない。
1組だけの予約にしたのは、私達の能力に応じた精一杯のおもてなしを目指したからです。

こんな料理の仕方もあるんだと、レシピーを教えてと言われるお客さんもいました。
有機肥料を主体に畑づくりをしています。無農薬あるいは減農薬で作っています。
結果的に、「6次化農業」(農業:一次、加工(料理):2次、販売:3次)の実践でした。
カフェのメニューにある食べ物は、ピザ、お好み焼きとちぢみだけです。
予約のために作った料理の種類は、1年で100種類を超えました。
お任せ料理には、冷蔵庫の在庫と旬の食材を利用する。
予約客の構成(人数、年齢、男女比、アルコールの好みなど)に併せて料理を変化させた。
リピーターには、同じ食材でも違う料理を提供した。
予約客の負担金額を減らすために、持ち込みの飲み物を含めて3000円/人・回を目指した。

地域で商売をしている方々がリピーターになってくれました。
農業地域の方々の足が伸びない。
不買運動ではないけれど、足が向かない(縁が薄い)のである。
果物のB級品を加工して提供することにした。
B級品を加工して、必ず提供してくださった生産者に味見していただいた。
定期的に私達の得意な料理(ピザ、お好み焼き、パン、パイ、ジャム)を無償で届けた。
6000人の地域であるが、年間の利用客は2000人を超えた。

モノが売れなくなるのは、なんらかの原因がある。
時代遅れであったり、自分中心のものづくりが考えられます。
時代の流れの中で、自分たちは何ができるか。
日々挑戦するとともに、常に足元を見る勇気が求められます。
売るものを変え、売り方を変え、そのたびに自分が変わる。
あのネスカフェやユニ・リーバだって、会社存続の危機があった。
センチュリーカンパニーは、世界にそんなに多くはありません。
新製品も、発表した瞬間に時代遅れになるからです。
初めは誰もがレッドオーシャンであり、乗り切ったものがブルーオーシャンに漕ぎ出せる。

渡り鳥 千里の旅も 山かすめ

2021年2月20日
コメント
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