過疎の島にあった住吉神社でした。
錆びれていますが、現存しています。
今日のタイトルは、「独り」です。
私達は、家族が増えていく年代から減っていく年代になりました。
昭和初期から約75年が経って、人口は約2倍になりました。
これからの100年で、昭和初期の人口に戻る予測です。
昭和初期の人口は、約7,000万人です。今が12,500万人。
かみさんを亡くして7年になります。
家族に囲まれて、独りで生きていくものと決めていました。
縁があり、新しく妻を迎えることができました。
しかし、家を出ることになり、
妻の家族を分解させ、私の家族も分かつことになりました。
一緒になった時から、新しい土地での二人で始めた新生活です。
いずれは、独りの生活になります。
結婚するまでの若かりし頃とは違います。
息子には、施設に入れてくれと頼んでおきました。
わかったよ。と言われた通りのすげない返事でした。
私には、独りで生活するという実感がありません。
元気なうちには、そうなることもあるのです。
タイトル「独り」を決めてから書こうとしたことは、
人口の問題ではありませんでした。
独りの生活は、避けて通れないことより長い前振りになってしまいました。
「独り」は決して孤独ということではありません。
逆に、大勢の中に居ても孤独は感じます。
「独り」というのは、意外に厄介なタイトルでした。
どうしても数の理論になりがちです。
そうじゃない。
孤高とは言わずとも、「独り」で生きていく気概です。
当然、社会との関わりがあるから、独りではない。
つまり、「独り」と感じるかどうかです。
北海道で、一人の高校生が駅を利用するために、
駅の廃止を延期したという記事を視ました。
「独り」は弱者です。しかし、社会がその弱者を助けた話です。
今がピークの人口です。
膨れたものが縮小していく。
膨れたもの(器)に空き(家)が出るのは、当然のことです。
「コップの中に半分だけ水が入っている」
これだけしかないと考えるか、まだこんなにあると考えるかで人生観は変わります。
私達は、けっして独りじゃない。
社会の一員です。コップに残っている「独り」です。
残してくれた独りです。
独りで生活することを考えれば、今の二人の生活がいかに大事かよく解ります。
お互いに足りぬものを補いあう生活になります。
今までとは違うは、加速度的に増えていきます。
二人でも一人前とはならなくなります。
誰かの助けが必要となります。
できるものがする。
個人としては、独りでも生きていく気概が求められます。
社会は、弱者(独り)を助けなくてはならない。
それこそ、民度を問われているのです。
成熟した社会は、弱者を助けるものです。
まだ元気な私たちには、できることがあります。
恩返しではなく、当然のことなのです。
俺達の番だと、地域の祭りを引き継いでいます。
私は、出来る限りその一員でいたい。
昔から 家の前掃き こうだった
2017年7月29日