対話に必要なのは、この笑顔です。
今日のタイトルは、「対話」です。
対話を取り上げた、高校生とのシンポジームを見学しました。
自分なりに得るものはありました。
高校生の生の声が聴けました。
パネラーのコメントが聞けました。
対話がテーマなのに、一方的な発表会でした。
最後にパネラーが、何度も何度もこんな風景を見てきました。
「高校生は素晴らしい」と聴衆が言われます。
しかし何にも変わらないのです。
たぶん当事者としての切実な想いでしょう。
一生懸命やっているが伝わらない。
そうでしょうか。
高校生だって、なんも変わらない。
いつもの生活にまた埋没してしまう。
対話とはなんでしょう。
対話とは、「一人に向き合う」ことです。
スーパーの佐藤さんのように、「一人の客を大切にする」ことです。
教育とは、一人の子供を救うことです。
飲み会で、一人と話し込むことです。
集めた名刺の数を競う賀詞交歓会のような対話をやめませんか。
対話をしたければ、自分が変わることです。
自分のポジションを維持しながらの対話はあり得ない。
相手の立場になって、初めて対話はできるようになります。
まともなパネラーを一人だけ見ました。
このようなシンポジームにたくさん出席しました。
パネラーは、大学の教授であったり、役人や教育者であったりします。
肩書は必要ない。自分のリスクを取らない意見は聞いても抜けてしまいます。
たぶん、主催者は「きっかけづくり」から
対話が生まれるのだと考えたのでしょう。
良い機会をいただけました。
高校生に伝えたいことがあります。
後輩が、自分たちの行動を引き継がない。
地域の大人が、機会をくれないと言われましたね。
活動を通して、あなたは変わったでしょう。
あなたの想いは、誰かの心に届きました。
機会は、待っていても与えられません。
さらに自分が変わって、機会を作ることです。
誰もが使う「巻きこむ」ではなく、「分ける」です。
あなたのしたいこと、こうだったら良いなを分けることです。
何だか面白そうだな。自分も混ざりたい。
では一緒にやりますか。やらせてあげましょう。
都度、対話の相手は変わって良いのです。
いつまでも友達を引きずることはありません。
「来る者は拒まず、去る者は追わず」です。
それには、常に自分が変わることです。
その人が抱えている難題を一緒に考えましょう。
自分にできることがあるとしたら、
何度も変わった自分の経験です。
自分が変わらないで、対話はありえません。
母ちゃんの 小言せき止め 飛び混もう
2017年7月23日