楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

     ・日ごろ考えること
     ・日光奥州街道ひとり歩る記
     ・おくのほそ道を歩く

湯殿山神社ー「語る無かれ、聞くなかれ」の霊域(芭蕉の道を歩く 71)

2024年05月12日 04時45分00秒 | ひとり歩き旅
以下は2012年に旅した記録です。

(湯殿山の大鳥居)

(湯殿山神社)
月山から、芭蕉は「奥の細道」に
(月出でて雲消ゆれば、湯殿に下る。)
と書いている。
2012年に旅した記録です。

月山から湯殿山に下る途中、三尺ほどの桜の木が、
花開きかけているの見つけて、
月山は雪深いが、桜は雪に埋もれていても、
春を忘れないでいる花の心はすばらしい、と感心している。

「おくのほそ道」を見ると、
月山から芭蕉は山を下って湯殿山へ向っているが、
ボク達はバスで、月山を下り、湯殿山神社へ上っている。
湯殿山神社の赤い大きな鳥居が見える駐車場で、
シャトルバスに乗り換え、十分ほどシャトルバスに揺られ、
湯殿山神社の神域に入る。

ここから先は、カメラ撮影は禁止区域だと念を押される。
さらに細い山道を登り、ご神体のある場所の手前、
お払い場所に到着する。

(駐車場が見える湯殿山の鳥居)

(シャトルバスに乗り換えさらに山を登る)

湯殿山神社参詣の折、ここから神域と言う所まで来て、
衣服を整え、所持品をカメラもお金も全て小屋に置いて、
履物を脱いで裸足になる。
その後、御祓いを受けてからでないと、
本宮の参詣は許されない。

お祓いを受ける際、人型に切り抜いた紙を渡され、
お祓いを受けた後、その紙で身体を頭から手、胴、足へと撫で回し、
自らの穢れを祓う。
清めた人型の紙は、ご神体から流れ出た水に自らの穢れと共に流す。

湯殿山は古来出羽三山の奥宮とされ、
芭蕉が「おくのほそ道」に書いているように、
(惣じて、この山中の微細、行者の方式として他言する事を禁ず。)
湯殿山神社は、修験道の霊地で、「語るなかれ」「聞く無かれ」と、
戒められた聖地である。
従って微に入り細に渡って書いてはならない、とされる。
本当は何も書かず、お知らせしないのが、
湯殿山神社にとって、神秘で幽玄な修験道の霊地となるが、
敢えて、決まりを破って、記憶の範囲で述べたい。

ご神体は赤い大きな岩でその上をお湯が絶えず流れており、
その上を3mほど素足で上る。
お湯は五十度ほどの温度だそうで、
最初素足には熱く感じるが、急な上りを歩くうちに慣れてくる。
お湯は大きな黒い岩を六分ほど登ってところから、
滾々と湧き出ている。
湧き出ている所には編んだ青竹の蓋がしてあった。

赤い大きな岩を降りてくるときは、滑り落ちないように、
竹で作った手すりに捕まりながら、上ってきた同じ道を降りてくる。
降りきった所に、足湯が出来る場所があり、
足をお湯につけて、熱いお湯にさらされた足をなだめる。
上がって足をタオルで拭くとタオルは赤く染まっていた。
ご神体の赤い大きな岩の色は鉄分によるものと思われる。

この赤い大きな岩のご神体には、お金が落ちていた。
この場所では、拾う事も叶わない霊域で、
芭蕉の時代には、懐に入れたお金がばらばらと落ちた事は、
容易に想像される。あるいは賽銭として投げたものであろうか。

そこで、芭蕉が詠んだ俳句、

・語られぬ 湯殿にぬらす 袂(たもと)かな

(きまりで語ることが出来ない湯殿山の神秘なありがたさに、
思わず涙を流し、袂も濡れた事である。)も、

曾良が詠んだ俳句、

・湯殿山 銭ふむ道の 泪かな

(湯殿山の参道に賽銭が散らばっている。
拾う人も無い銭を踏みつつ神域の尊さに涙が流れる)の、

双方の句の意味がよく理解できる。

話し変わって、
その後、足を拭いて赤く汚れたタオルを見ないが、
カミサンが処分してしまったに違いない。
霊験あらたかなご神体から、
流れ落ちるお湯をふき取ったタオルだから、
どこかに大切にしまってあるかもしれない。

足を拭き終わって、身支度を整えてから、
自らの穢れを流した、人型の紙が流に浮かんでいたので、
流に浮ぶ大勢の人型の紙を、写真に撮りたいと、申し出ると、
「撮影は禁じられています。」という。
「どうしてですか?」と訊くと、
「これは女性の裸を撮るようなものです。」と回答された。
神秘なものと言いたかったのか、
わいせつ罪に問われますよと、
言いたかったのか判らないが、

それに反論して、
「ボクはヌード写真家だから丁度良いじゃあないですか」というと
相手の方は黙り込んでしまった。

からかうのも気の毒になって、
カメラをそこでそっとオンにして、
首からぶら下げたまま引き下がった。

霊場から少し離れて坂を登ったところで、
紙人形を浮かべた場所が見える所に来たので、
そっとシャッターを切った。
後で見たら、ピンボケで残念ですが
(神社から言えば、丁度良かったかも知れない)、
人型に切り抜いた紙が浮ぶ流れが、
撮れていますのでご覧ください。

湯殿山神社から芭蕉たちは月山に戻り、
鶴岡へ行っている。

(ピンボケの流れに浮ぶ人型に切り抜いた紙々)

なお、湯殿山には、赤い大きな鳥居下に即身仏がいくつかあったが、
今は、映画「月山」で使用したレプリカの即身仏が置かれてある。


コメント (8)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 月山の八合目ー弥陀ヶ原湿原... | トップ |  象潟(1)-蚶満寺(かんま... »
最新の画像もっと見る

8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (おおかわ)
2024-05-12 05:47:45
月山から湯殿山への登山道は、牛首と呼ばれるなだらかな稜線で雄大な景観が望めます。が、湯殿山に近づくと急峻な崖となり鉄梯子や鉄鎖を使って降りるので大変でした。お払所近くに芭蕉曽良の句碑があります。私が登拝した頃はまだ雪が残っていました。宮司さんの話では、秋の紅葉はそれは見事だということです。大鳥居付近にある祠を覗いたら即身仏だとわかりゾッとした覚えがあります。そうですか、レプリカだったのですね。
おはようございます (ytakei4)
2024-05-12 07:31:53
撮影禁止のところで撮影したのですか?
語るなかれ、聞く無かれ (ウォーク更家)
2024-05-12 12:32:05
私は、旅行会社の「奥の細道」を巡るバス旅行でここを訪れました。

人型の紙、思い出しました。

そうそう、修験道の霊地なので、「語るなかれ、聞く無かれ」とガイドさんに言われて、この部分のブログを空白にしたのを思い出しました。

懐かしい思い出です、ありがとうございました。
湯殿山を思い出しました! (鉄ちゃん爺や 黒田)
2024-05-12 15:48:58
裸足になって山道を歩いた際に凄く痛かった記憶が
お湯が流れるご神体の岩を登ってから降りましたね。

それ以外の事は、語るなかれ、聞くなかれでしたね。

私は訪れて、もう~ 10年も過ぎましたけど。
こんにちは! (hide-san)
2024-05-12 20:28:57
>即身仏だとわかりゾッとした覚えがあります

いつ頃の話でしょうか、
時期によっては本物の時がありました。
ytakei4さん コメントありがとうございます (hide-san)
2024-05-12 20:31:29
プロカメラマンが写した写真を見たことがあったので、
人によっては映すことができることを知っていたのです。
ウォーク更家さん コメントありがとうございます (hide-san)
2024-05-12 20:34:26
>「語るなかれ、聞く無かれ」
プロのライターなどには写真も許可していたようです。(隠し撮りかもしれませんが)
鉄ちゃん爺や 黒田さん コメントありがとうございます (hide-san)
2024-05-12 20:36:50
ボクも10年以上前に訪れています。
なかなか厳しい対応だったように思います。

コメントを投稿

ひとり歩き旅」カテゴリの最新記事