山形県の酒田市と聞くと、
思い出すのが日和山公園の灯台と北前船。
北前船の水夫たちは日和を見るために山に登り海と空を眺め、
航路の安全を願った。
酒田市が発展していったのは、
この北前船を動かした川村瑞賢。
米を運び帰りに塩、
土台となる石、鉄、都の雅の衣類などを
運んだ豪商であった。
(日和山公園の灯台と北前船の図案のマンホール)
(商いをした北前船の模型でも20人くらいは乗れる)
(反対側から見た北前船の模型)
(日和山公園の灯台。)
その日和山公園にある芭蕉像と句碑。
句碑は、
・暑き日を 海に入れたり 最上川
この「暑き日を・・」の句にぴったりの
写真も展示されていたので、
拝借。
「おくのほそ道」で、
「川舟に乗(のり)りて、酒田の湊(みなと)に下る。
淵庵不玉(えんあんふぎょく)と云う
医師(くすし)の許(もと)を宿とす。
・あつみ山や 吹浦かけて 夕すずみ
・暑き日を 海に入れたり 最上川」とある。
ここの「淵庵不玉と云う医師」というは、
本名:伊東玄順、医号:淵庵、俳号:不玉という人物。
(不玉亭案内標柱)
(不玉亭跡の碑)
曾良の旅日記では
「十四日 寺島彦助亭へ被招。俳有、夜に入りて帰る。暑甚。」
ここでの芭蕉の俳句
・涼しさや 海に入たる 最上川
歩いて近江屋三郎兵衛の宅跡も観たが・・・
(近江屋三郎兵衛宅跡の碑)
最後が、酒田市で有名な山居倉庫。北前船に載せた米の貯蔵庫であった。
(コメを貯蔵した山居倉庫)
山居倉庫の反対側
山居倉庫内にあるレストラン、「夢の倶楽」で昼食後解散した。
ボクは荘内ナンバーを始めて見たので、
パチリ、
そしてバス、新幹線と乗り継いで帰京した。
体力がなくなり、ツアーに依存しましたが、
ツアーについて一緒に行くことも難しくなりました。
「おくのほそ道」は
この後倶利伽羅峠から、
富山、小松、那谷、山中 他とつづき、
最後、大垣となりますが、私こと
年齢でこの後を訪ねるのは難しいと思います。
もしマイ・ペースで行くことが叶えば、
「おくのほそ道」つづきを綴りたいと思います。
お付き合いいただきありがとうございました。
羽黒山で頂いたお守りの袋。
・もろもろの 罪穢れを 払ひ給え 清め給え
楽しい人生の一日、一時間を
有効に
過ごされますように・・・