増上寺は徳川家の菩提寺である。
このお寺の背景には、東京都の象徴としての東京タワーがある。
間もなくやってくる七夕の飾りが風にひらめいて居たのが印象的だ。
(東京タワーと七夕飾り)

増上寺には、徳川家ゆかりの篤姫や和宮のお墓などもある。
もちろんそのご主人、つまり徳川家の宗主の墓も存在する。
その中で台徳院殿霊廟は、二代秀忠のお墓ですが、その仁王門だけが残っており、
霊廟は先の太平洋戦争の戦火により焼失しました。
(台徳院殿霊廟総門(仁王門)と東京タワー)

(台徳院殿霊廟総門(仁王門)

案内によると、二代秀忠【台徳院殿(たいとくいんでん)】
秀忠は家康の第3子として、天正7(1579)年に出生。
慶長10(1605)年、二代将軍に就任しますが、将軍職にあること18年をかぞえ
寛永9(1632)年、54歳で逝去しました。
大葬の式は行われず霊柩を増上寺に迎え、
当時の最高の技術者が動員され、霊廟が順次造営されました。
台徳院殿廟奥院に祀られた宝塔は、装飾華麗で当時の芸術の粋をつくしたものでしたが、
惜しくも木造のため戦災で焼失しています)とある。
(右の阿形の仁王様)

(左の吽形の仁王様)

このお寺の背景には、東京都の象徴としての東京タワーがある。
間もなくやってくる七夕の飾りが風にひらめいて居たのが印象的だ。
(東京タワーと七夕飾り)

増上寺には、徳川家ゆかりの篤姫や和宮のお墓などもある。
もちろんそのご主人、つまり徳川家の宗主の墓も存在する。
その中で台徳院殿霊廟は、二代秀忠のお墓ですが、その仁王門だけが残っており、
霊廟は先の太平洋戦争の戦火により焼失しました。
(台徳院殿霊廟総門(仁王門)と東京タワー)

(台徳院殿霊廟総門(仁王門)

案内によると、二代秀忠【台徳院殿(たいとくいんでん)】
秀忠は家康の第3子として、天正7(1579)年に出生。
慶長10(1605)年、二代将軍に就任しますが、将軍職にあること18年をかぞえ
寛永9(1632)年、54歳で逝去しました。
大葬の式は行われず霊柩を増上寺に迎え、
当時の最高の技術者が動員され、霊廟が順次造営されました。
台徳院殿廟奥院に祀られた宝塔は、装飾華麗で当時の芸術の粋をつくしたものでしたが、
惜しくも木造のため戦災で焼失しています)とある。
(右の阿形の仁王様)

(左の吽形の仁王様)
