楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

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国民の祝日に思うことーお散歩(その3)

2017年05月17日 05時39分42秒 | つれづれなるままに考えること
先月のこと、「4月29日は憲法記念日だったかしら?」とカミさんが言う。

「いや、天皇誕生日のはずだよ」とボク。

国民が、こんな調子だから、祝日に国旗を掲げる人が少なくなった。

カレンダーで確かめた。天皇誕生日は昭和天皇が生存中の話で、
もう29年も前に「昭和の日」と変わったことを確認。

次の平成天皇が、天皇を退位したいと言う時期になった。
今の「天皇誕生日」の祝日が、まもなく「平成の日」になるのも時間の問題だ。

ボクは毎日が祝日になって21年経過するから、祝日に感謝する気持ちが薄らいでいる。
散歩の途中に見かけた日の丸の国旗、「珍しい」と思うようになった。

(国旗)


ついこの間、「い」の一番に咲いた桜の実が色づき始めた。
この桜「桜桃(おうとう)」と言うそうだ。

(サクランボを付けた桜の木)


桜桃と言うと「桜桃忌」を思い出す。

1948年、愛人と入水自殺をした小説家 太宰治の忌日。
多摩川の羽村市近辺から、江戸の水事情を良くするため、
玉川兄弟が掘削し、江戸まで水を流した「玉川上水」での入水自殺。
三鷹近辺であったと言う。

ボクが東京へ来たとき、住まいが世田谷区世田谷であった。
その頃、桜上水駅が世田谷区内にあることを知って、
玉川上水の現場を見た。

桜上水駅近辺の「玉川上水」を見ると、
どうやっても、入水自殺はできそうもない深さの川であった。
太宰治は、愛人と連れ立って手足でも縛って川に入り、
横向きに寝ころんで抱き合っていたのだろうかと思った。


所が何かの仕事で三鷹近くに行くことになり、
近くの玉川上水を見ると、世田谷の上水とはまるで異なり、
川の深さがあって渓谷と言った方が良く、流れの速さも全く違っていた。
上水に落ちれば、生きて這い上がることはできないことが解った。
だから、上水の周りには入れないように金網で囲ってある。


桜の木の「桜桃」から話が飛んでしまったが。
「桜桃」を訓読みにすると(さくらもも)、これが(さくらんぼ)になるには、
ごく自然な成り行きに思える。
家に帰って国語辞典を広げると「桜桃(さくらんぼ)」とある。
なんか今日は新しい発見をしたように思えた。
考えてみれば、こんなこと80年も知らなかった自分が恥ずかしい。


その日散歩の途中に珍しくアカシアの花を見つけた。

(アカシアの花1)

(アカシアの花2)


その昔、このアカシアの木を見つけて、
「アカシアの雨が止むとき」の歌を思い出し、
「アカシアの雨」ってどんな雨なのだろうと悩んだことがある。

何日か後で思いがけず降った雨で、
アカシアの花が散りアスファルトの地面に花びらや花粉がベットリこびりついているのを見て、
これが「アカシアの雨」に違いないと思った。

(アカシアの雨?)


日米安保闘争が一段落した後、「アカシアの雨が止むとき」を歌手 西田佐知子が唄っている。
彼女の退廃的な歌い方が、濡れた地面にこびりついたアカシアの花びらや花粉、
取り除こうとしても取り除けそうもない「アカシアの雨」を見事に演じていた。


西田佐知子=アカシアの雨が止む時=live



コメント (10)
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