楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

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東京大仏(乗蓮寺)ー板橋十景(その五)

2017年05月13日 05時47分38秒 | ひとり歩き旅
大仏と言うと、真っ先に思い出すのが奈良東大寺の大仏、これが日本一。
これは大仏殿の中におわす。

二番目は、鎌倉にある長谷の大仏、与謝野晶子が(美男におわす)と言った。
この大仏は屋外にある。どうやら当初は大仏殿があったらしいと言う。

それで日本三大大仏の三番目となると、意見がいろいろあり、
大仏がおわす地方によって、三番目はわが方の大仏だと主張している。

その一つが、富山県の高岡大仏、岐阜県の岐阜大仏、福井県の大野大仏、
茨城県の牛久大仏、東京大仏も、日本で三番目だと勝手に主張している。

(東京大仏)


そんな事はボクにとっては、どうでも良いことだ有るが、
東京大仏は板橋区赤塚にあり、
板橋十景の一つで、新しくて綺麗である。

もともと板橋宿の仲宿にあった乗蓮寺が、首都高速道路が拡張されることで、
現在地に移った。
「赤塚山 乗蓮寺(せきちょうざん じょうれんじ)」
移った場所は、赤塚城二の丸跡である。

(乗蓮寺入口看板)

乗蓮寺の入口右手には立派な閻魔堂があるが、板橋二大閻魔として崇められている。
子供の頃は、嘘をつくと閻魔さまに舌を抜かれると、脅かされたものだ。

(閻魔堂)

(閻魔様)


乗蓮寺入口から階段を上ると山門があり仁王様が待っている。
右手に見える鐘楼が美しい。
山門をくぐると、右手に赤塚城二の丸跡の碑があり、
東京大仏が鎮座されている。

(乗蓮寺入口)

(階段上の山門)

(仁王様がいる山門)

(仁王様)

(仁王様2)

(鐘楼)

(赤塚城二の丸跡の碑)

(東京大仏)

参道を進み正面に本堂がある。

(本堂)

(本堂入口の葵の紋)


板橋教育委員会の説明板に、
(乗蓮寺は浄土宗で、徳川家康から十石の朱印地を与えられて以来、
代々の将軍から朱印状を与えられていました。
また寛保三年(1743)に将軍吉宗が鷹狩の際に雨宿りしたのが縁となり、
それ以降将軍家の鷹狩の小休所や御善処となりました。
ー中略ー
境内には、藤堂家ゆかりの石像がある。)とある。

将軍家から朱印地を与えられていたり、将軍家の小休所になっていたこともあって、
葵の御紋が付いているのであろう。
また、藤堂家下屋敷に置かれていた石造物が、
多数この乗連寺に移設されているので紹介して置きたい。

(文殊菩薩)

(奪衣婆)

(役の小角)

(我慢の鬼)


さて、本堂左手に墓地があり、入口から左へ入ると冒険家 植村直己の墓がある。
彼は世界初の五大陸最高峰登頂者となった。
1984年世界初のマッキンリー冬季単独登頂を終えた後 行方不明となり、
今だ発見されていない。

(植村直己の墓)


供養塔には、

『地球には もう彼はいない
けれども生きている
修身に化けて 植村直己は
私たち心中に 生きつづける』

とある。

その昔、植村直己さんの講演会に出席したことがあった。
その折、クレヴァスに落ちるのを避けるために、
青竹を両腰に刀を差す様にすれば防ぐことが出来る、
と話しておられたのが印象に残って居ます。

その時、クレヴァスは何時も川を渡るように、
進む方向に左右にあれば、クレヴァスに転落を防げるが、
クレヴァスの裂け目に沿って、
つまり青竹がクレヴァスと平行になった時、
また、クレヴァスの広さがある時はー竹竿が向こう岸に届かない時は、
役にたたないと思った。

最後がどのようであったかは不明であるが、
竹を身に付けていたことだけは解っているようだ。

謎が残るが、行方不明になったのち、
登山家として国民栄誉賞を受賞した偉大な冒険家であった。

植村冒険館は、板橋区内に今でもある。



コメント (13)
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