(万年橋)
(江島杉山神社~永代橋~霊岸橋まで)
江島杉山神社を出て、道路を進むと(新大橋二丁目)の信号に出る。
道路の右を見ると、隅田川に架かる新大橋が見える。
(新大橋二丁目信号)
(新大橋が見える)
この信号を突ききって進むと道路に「万年橋通り」右矢印がある案内がある。
先に進むと万年橋を渡るのだろうと推測しながら歩く。
その横に
・ 旧芭蕉庵跡
・ 芭蕉庵史跡展望庭園
・ 芭蕉記念館分館
・ 芭蕉記念館
の案内があり、この万年橋通りに芭蕉関係の史跡が並んでいる。
(万年橋通りの看板)
(万年橋通り)
(芭蕉記念館など案内看板)
すこしすると右手に、
「江東区芭蕉記念館」の大きな案内看板があり、
その横に桧皮葺の屋根を持つ、記念館入口がある。
以前一度来たことがある記念館、
新しいものが展示されているかもしれないと入場する。
記念館の中に入ると、すぐ右手に
・ 草の戸も 住み替わる代ぞ ひなの家
の有名な芭蕉句碑がある。
(江東区芭蕉記念館)
(芭蕉記念館)
(桧皮葺の芭蕉記念館入り口)
(入り口にかかる記念館の文字)
(草の戸も・・・の句碑)
入館料を払って中に入り、二階に上がると、
以前と同じような展示物で、
芭蕉の真蹟になる、俳句などが展示してある。
前回見落としたものに、福井県の色の浜で、
芭蕉が拾ってみたかった「ますほの小貝」が展示されていた。
小粒の白い巻貝を確認できたのは収穫であった。
(館内撮影禁止で芭蕉真蹟や「ますほの小貝」の写真は撮れなかった)
記念館を出て、その先左手奥に、
お稲荷さんの赤いのぼり旗がひらめいている所が、
芭蕉稲荷神社兼芭蕉庵史跡である。
芭蕉庵は洪水で流された後、この場所で石造りの蛙が見つかって、
今は芭蕉記念館に展示してある。
(芭蕉稲荷の芭蕉庵史跡)
(石造りの蛙)
その先にこの通りの名前の万年橋が小名木川をまたいでいる。
橋を渡る前に右手の川べりを階段で少し上ると、
先ほど案内にあった「芭蕉庵史跡庭園」がある。
小名木川が隅田川に流れ込む角にこの史跡庭園はあり、
どこを見ているのか、正座している芭蕉像があり、
その先に清洲橋が架かっているのが見える。
芭蕉像の後には、翁の名前になった芭蕉の木が葉を繁らせている。
(芭蕉庵史跡へ上る階段)
(芭蕉庵史跡庭園の芭蕉像)
(芭蕉の名がついた芭蕉の植木)
万年橋を渡り、清洲橋通りまで進む。
信号で清洲橋通りを右折するが、
目の前の清洲橋は渡らずに隅田川沿いに左へ行く。
しばらくはてくてく歩くが、途中左手に、
「平賀源内電気実験の地」という石柱が見える。
やがて首都高速道路の下をくぐり、永代橋たもとに出るが、
道路の向こう側に行きたくて横断歩道がないかと、
眺め渡すも見当たらず、悩んでいると、
橋の下から人が上がってきた。
(清洲橋通りを右折)
(清洲橋たもとを左折)
(平賀源内実験跡の碑)
橋の上で横断することばかり考えていたが、
橋の下をくぐることを考えれば良かったのだ。
隅田川の両側にテラスが設けてあって、散歩できるというか、
以前はホームレスがブルーシートで住まいを作っていた所を、
歩いて橋の下を歩けばよいことが解かった。
(永代橋)
(永代橋の案内)
(隅田川沿いのテラスで永代橋の下をくぐる)
難なく橋の下を横断して、向こう側に出る。
永代橋の中ほどの左側に、背の高いビルが林立している。
果たして何処だろうと家に帰って調べたら、
昔、佃煮を作って有名な佃島であることが解かった。
(林立したビルがある佃島)
永代橋を渡って、直進するまもなく霊岸橋があるはずだ。
今歩いて居る左側が、おそらく霊岸島であろう。
この当りの地理を、自慢ではないがボクは全く疎い。
永代橋の中ほどからとった写真を見ると、
川は左右に流れて、中央にビルが建つ島があるように見える。
これだけ見ていると、ニューヨークのビル群に引けをとらない。
なお直進すると新川一丁目の信号を過ぎて、さらに進むと霊岸橋に出る。
(ニューヨークと引けをとらないビル群)
(新川一丁目の信号)
(霊岸橋)
(江島杉山神社~永代橋~霊岸橋まで)
江島杉山神社を出て、道路を進むと(新大橋二丁目)の信号に出る。
道路の右を見ると、隅田川に架かる新大橋が見える。
(新大橋二丁目信号)
(新大橋が見える)
この信号を突ききって進むと道路に「万年橋通り」右矢印がある案内がある。
先に進むと万年橋を渡るのだろうと推測しながら歩く。
その横に
・ 旧芭蕉庵跡
・ 芭蕉庵史跡展望庭園
・ 芭蕉記念館分館
・ 芭蕉記念館
の案内があり、この万年橋通りに芭蕉関係の史跡が並んでいる。
(万年橋通りの看板)
(万年橋通り)
(芭蕉記念館など案内看板)
すこしすると右手に、
「江東区芭蕉記念館」の大きな案内看板があり、
その横に桧皮葺の屋根を持つ、記念館入口がある。
以前一度来たことがある記念館、
新しいものが展示されているかもしれないと入場する。
記念館の中に入ると、すぐ右手に
・ 草の戸も 住み替わる代ぞ ひなの家
の有名な芭蕉句碑がある。
(江東区芭蕉記念館)
(芭蕉記念館)
(桧皮葺の芭蕉記念館入り口)
(入り口にかかる記念館の文字)
(草の戸も・・・の句碑)
入館料を払って中に入り、二階に上がると、
以前と同じような展示物で、
芭蕉の真蹟になる、俳句などが展示してある。
前回見落としたものに、福井県の色の浜で、
芭蕉が拾ってみたかった「ますほの小貝」が展示されていた。
小粒の白い巻貝を確認できたのは収穫であった。
(館内撮影禁止で芭蕉真蹟や「ますほの小貝」の写真は撮れなかった)
記念館を出て、その先左手奥に、
お稲荷さんの赤いのぼり旗がひらめいている所が、
芭蕉稲荷神社兼芭蕉庵史跡である。
芭蕉庵は洪水で流された後、この場所で石造りの蛙が見つかって、
今は芭蕉記念館に展示してある。
(芭蕉稲荷の芭蕉庵史跡)
(石造りの蛙)
その先にこの通りの名前の万年橋が小名木川をまたいでいる。
橋を渡る前に右手の川べりを階段で少し上ると、
先ほど案内にあった「芭蕉庵史跡庭園」がある。
小名木川が隅田川に流れ込む角にこの史跡庭園はあり、
どこを見ているのか、正座している芭蕉像があり、
その先に清洲橋が架かっているのが見える。
芭蕉像の後には、翁の名前になった芭蕉の木が葉を繁らせている。
(芭蕉庵史跡へ上る階段)
(芭蕉庵史跡庭園の芭蕉像)
(芭蕉の名がついた芭蕉の植木)
万年橋を渡り、清洲橋通りまで進む。
信号で清洲橋通りを右折するが、
目の前の清洲橋は渡らずに隅田川沿いに左へ行く。
しばらくはてくてく歩くが、途中左手に、
「平賀源内電気実験の地」という石柱が見える。
やがて首都高速道路の下をくぐり、永代橋たもとに出るが、
道路の向こう側に行きたくて横断歩道がないかと、
眺め渡すも見当たらず、悩んでいると、
橋の下から人が上がってきた。
(清洲橋通りを右折)
(清洲橋たもとを左折)
(平賀源内実験跡の碑)
橋の上で横断することばかり考えていたが、
橋の下をくぐることを考えれば良かったのだ。
隅田川の両側にテラスが設けてあって、散歩できるというか、
以前はホームレスがブルーシートで住まいを作っていた所を、
歩いて橋の下を歩けばよいことが解かった。
(永代橋)
(永代橋の案内)
(隅田川沿いのテラスで永代橋の下をくぐる)
難なく橋の下を横断して、向こう側に出る。
永代橋の中ほどの左側に、背の高いビルが林立している。
果たして何処だろうと家に帰って調べたら、
昔、佃煮を作って有名な佃島であることが解かった。
(林立したビルがある佃島)
永代橋を渡って、直進するまもなく霊岸橋があるはずだ。
今歩いて居る左側が、おそらく霊岸島であろう。
この当りの地理を、自慢ではないがボクは全く疎い。
永代橋の中ほどからとった写真を見ると、
川は左右に流れて、中央にビルが建つ島があるように見える。
これだけ見ていると、ニューヨークのビル群に引けをとらない。
なお直進すると新川一丁目の信号を過ぎて、さらに進むと霊岸橋に出る。
(ニューヨークと引けをとらないビル群)
(新川一丁目の信号)
(霊岸橋)