goo blog サービス終了のお知らせ 

楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

     ・日ごろ考えること
     ・日光奥州街道ひとり歩る記
     ・おくのほそ道を歩く

浅草蔵前(旧日光・奥州道中ひとり歩る記 7)

2013年05月04日 09時02分34秒 | ひとり歩き旅
(くらまえばし)

(蔵前橋2)


一人旅 ブログランキングへ

(蔵前)
長いこと東京に住んでいるが、東京の城東地域の事にボクは疎い。
遊郭のあった吉原は何処にあるかも知らない、と友人に話したら、
一度案内しましょうかと言われたが、その後何の音沙汰も無い。

時代ものの小説で吉原の遊郭が度々出てくるが、
今では何もなくなっている。
花魁とか遊女とか、
日本堤からぬっと出てきた追いはぎとか、
よく小説の中で眼にしたが、それがどの場所と言う見当は、
全く付いていなかった。
吉原のある場所とか、両国の国技館の場所とか、
忠臣蔵の吉良上野介のお邸とか、とにかく城東地域に入ったら、
方角が分からなくなってしまう。
言ってみればボクも御のぼりさんであるから、
この項をご覧になっている皆さんには分かりやすいと、
一人合点しております。

人形街を過ぎると、左手のビルの前に「メタセコイア」の木が、
高くまっすぐ伸びているのが目に付く。
このビルを建てた記念に植えられたものだそうだ。

(メタセコイア)


説明によると、
(この辺りは今から450年ほど前、徳川家康の江戸入府時に、
幕府の非常備蓄用の米蔵と旗本らに支給するための米蔵が、
67棟(貯蔵米は62万5千俵)も軒を連ねていた処。
この敷地は当時“札差”(*)が店を構え、繁盛していたと言われます。
また、目前の道路(江戸通り)は浅草寺の参道で多くの参拝客で
賑わっていました。)(木を植えた人 竹島 某 平成元年)とある。

(*)札差=(「札」は蔵米受取手形の意で、これに受取人の名を記し、
割り竹に挟んで蔵役所のわら包みに指したことからいう。
江戸時代旗本・御家人の代理として、
蔵米の受け取り及び売さばきの事務を司り、これに対する手数料を取り、
また、米穀を担保として金銀を貸し付ける事を業とした者を“札差”といい、
江戸浅草蔵前に店を構え、その店を蔵宿といった。(広辞苑第四版)

もともとメタセコイアは、アメリカのヨセミテに生えている木で、
巨木であるとは聞いていたが、
平成元年にしては、このメタセコイアは随分と大きく育っている。

道路を進むと(蔵前一丁目)の信号に出る。
左に行けば春日通りで「JR御徒町駅」に行き、
右へ行けば蔵前警察、首尾の松、蔵前橋、があり、
少し町中に入ると国立国会図書館の前身となった、
浅草文庫の碑が榊神社の中にある。

蔵前の名前の由来となった米蔵を再現した水道局の小さな建物も有り、
首尾の松の碑も蔵前橋の袂にある。
(蔵前一丁目かどの小公園)

(蔵前橋)

(榊神社)

(榊神社の本殿)

(榊神社境内の浅草文庫の碑)

(蔵前の地名由来となった御蔵)

(首尾の松)
一人旅 ブログランキングへ
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Potora!  NTTグループ運営!