1994年にピースボートに乗って、アジア、アフリカ諸国を駆け足で見てまわって以来、国際保健、国際医療協力にとても興味を持っていました。それがきっかけで、感染症科を自分のsubspecialtyに選びました。
テキサス大学で、自分のボスだった抗菌薬の耐性化やVRE バンコマイシン耐性腸球菌の世界的第一人者のDr. Barbara E. Murrayと一緒にリサーチするまでは、熱帯医学にかなり傾倒していました。先進国で診療していると熱帯医学はかげがうすくなっていくのですが、それでも、2000年に初志貫徹、どうしても学びたいと思って、London School に熱帯医学の集中短期コースを受けに行きました。これはいまから思い返してもかけがえのないトレーニングでした。
前置きが長くなりましたが、当時、マラリアのスメアで、途上国で自分で診断をつけられるようになるために、ということで
ぜいたくなほど豊富な検体を使って、顕微鏡トレーニングをさせてもらいました。80名ぐらいのクラスメート全員にそうした検体はあります。
London から戻ってすぐに、テキサスの病院で、アフリカのマラウイから帰国した方でsepsis、意識障害で転送されてきた患者さんのケアにあたったのはいまでも鮮明に記憶しています。真夜中に検査室で、マラリアのスメアを検査技師さんと一緒にみながら、attending 指導医に電話で相談しました。
5年半前に帰国してからも、1-2年に1回ぐらいですが、旅行帰りの患者さんで、マラリアの鑑別が必要な方がきます。
今回もそのような方の診療に携わることができてとても有意義でした。
やはり、”現場力”というのが一番大切であることを実感します。
一生のうち、一度は、途上国で感染症診療や教育に携わってみたいと思っています。
米国感染症学会 IDSAがアフリカ諸国での数週間単位のteaching スタッフをリクルートしたりしているようで、大変、興味深いです。
テキサス大学で、自分のボスだった抗菌薬の耐性化やVRE バンコマイシン耐性腸球菌の世界的第一人者のDr. Barbara E. Murrayと一緒にリサーチするまでは、熱帯医学にかなり傾倒していました。先進国で診療していると熱帯医学はかげがうすくなっていくのですが、それでも、2000年に初志貫徹、どうしても学びたいと思って、London School に熱帯医学の集中短期コースを受けに行きました。これはいまから思い返してもかけがえのないトレーニングでした。
前置きが長くなりましたが、当時、マラリアのスメアで、途上国で自分で診断をつけられるようになるために、ということで
ぜいたくなほど豊富な検体を使って、顕微鏡トレーニングをさせてもらいました。80名ぐらいのクラスメート全員にそうした検体はあります。
London から戻ってすぐに、テキサスの病院で、アフリカのマラウイから帰国した方でsepsis、意識障害で転送されてきた患者さんのケアにあたったのはいまでも鮮明に記憶しています。真夜中に検査室で、マラリアのスメアを検査技師さんと一緒にみながら、attending 指導医に電話で相談しました。
5年半前に帰国してからも、1-2年に1回ぐらいですが、旅行帰りの患者さんで、マラリアの鑑別が必要な方がきます。
今回もそのような方の診療に携わることができてとても有意義でした。
やはり、”現場力”というのが一番大切であることを実感します。
一生のうち、一度は、途上国で感染症診療や教育に携わってみたいと思っています。
米国感染症学会 IDSAがアフリカ諸国での数週間単位のteaching スタッフをリクルートしたりしているようで、大変、興味深いです。