矢野(五味)晴美の感染症ワールド・ブログ

五味晴美の感染症ワールドのブログ版
医学生、研修医、医療従事者を中心に感染症診療と教育に関する情報還元をしています。

よいメンターと女性のempowerment女性の登用について

2010-04-16 08:33:16 | グローバリゼーション関連
昨日は、女性医師支援に関連した取材で、3時間ぐらいいろいろなお話をしました。

取材の方とのお話で、「2005年に帰国時に、どうして、日本は女性、女性、と叫ばれているのか理解できなかった」ということを話しました。私自身は、93年に大学卒業後、「女性」を意識して(させられて)仕事をしたことが一度もなかったからです。


米国環境に長くいましたが、そのなかで、genderが問題になる場面はなく、「女性」を意識して仕事をする経験は皆無でした。それだけ、米国社会が、すでに「無意識レベル」において、女性が特別な努力をしなければ社会で認められない、ということが、現場レベルでは薄らいでいたのだと思います。

しかし、米国社会は、法的に、人種、年齢、性別、宗教、文化などでの差別を禁じているにもかかわらず、「水面下での根強い人種、国籍、性別、宗教など」による差別はあると思います。日常生活で感じることは少ないにもかかわらず、です。私の体感では、ヨーロッパでの人種差別(アジア蔑視)の感じは、米国よりもより強かった印象です。アジア諸国は、同じアジア人なので、欧米諸国にいるときは、「目に見えない連帯感」を感じたりする不思議も体験しています。アジア人の人は、私にとって、より話しやすい、親しみやすい感じというのは言葉では説明できない感覚です。

女性の登用に関して、Harvard大学の学長が、「女性になった」ということがニュースになることを思えば、それが「非日常」であることの反映でもあります。

在米時代の自分の経緯を振り返ると、偶然ながら、よい女性メンターが常にそばにいたことに気づきました。

全員が既婚者でしたし、子供を持っているのもごく自然。ベビーカーに子供を乗せて子育てしながら、リサーチのラボへ通っていた、と話を聞いたときには、そのご苦労に胸が詰る思いでした。

競争、アウトカムで評価されるグローバル時代には、仕事への取り組み方も多様、どこまで仕事に人生をかけるかも個人の自由、やったことに対する正当な報酬を得るのも当然、という社会システム(よくも悪くも、米国主義でしょうか)に、多くの国がシフトしているように思います。特にアジアのシンガポール、タイ、韓国などの台頭ぶりを見ると、優秀な人材は欧米の大学・大学院教育を受け、帰国後、要職につき、国の将来を担っている印象です。

近年叫ばれていることですが、日本の社会基盤を、もっと自由に、「無意識レベルで」多様性を認める社会へ変化させることができれば、男性、女性、ハンディキャップのある方などが、意識することなく、最大限、活躍できるようになるのでは、と思います。

「多様性を認める」ということは、もう何年も前から叫ばれていますが、日本で実行、実現できないのは、「自分自身が多様性の一部として、例えば外国で受け入れられた経験」がないからではないか、と推測しています。

自身が「多様性の一部」であることを自覚するためには、母国の外に出る以外、有効な方法は少ないと感じます。

「実感すること」は、本やインターネットでは得られない、「いわば動物的な感覚」「直感」なのです。