2010年4月3日付けの日経新聞朝刊で、母校のJohns Hopkins Univesityの、新しいビジネススクールの学長のインタビューが載っていました。以前にもこのBlogでご紹介しましたが、2月末にshort noticeでしたが、日本に在住のAlumniのメンバーに、お知らせが来ましたので、数名でお会いする機会がありました。
教育にはとても熱心で、刺激的なお話でした。
そのヤッシュ・グプタ学長が、日本のビジネススクールを視察し、教育の質を評価するお仕事をされていますが(相互に教育の質を確認する業務)、そのときのことだと思いますが、新聞記載があります。
「講義は日本語でよいのか」と日本の大学の関係者に質問したそうです。
欧米の大学は、学生はグローバルに集めることがほとんどです。言語も英語が大半になってきているため、彼にとっては、不思議に思えたのでしょう。母国語のみの講義しか提供していないと母国語を話す人だけが学生の対象になってしまい、とてももったいない状況です。
また、彼が主張するのは、考えが広がらない、という懸念です。
グローバル時代に生きるうえで、グローバルな思考、グローバルな交渉の仕方、表現の仕方、発想の仕方、いろいろなことを、多くの違う人たちと混ざることで、体で学ぶことが必要な時代ですね。
視野が国内だけでは、本当に対応不能だと身にしみて感じます。
目の前の問題に取り組み、足元を固めながら、しかし、グローバリゼーションへの対応は必須だと感じます。
教育にはとても熱心で、刺激的なお話でした。
そのヤッシュ・グプタ学長が、日本のビジネススクールを視察し、教育の質を評価するお仕事をされていますが(相互に教育の質を確認する業務)、そのときのことだと思いますが、新聞記載があります。
「講義は日本語でよいのか」と日本の大学の関係者に質問したそうです。
欧米の大学は、学生はグローバルに集めることがほとんどです。言語も英語が大半になってきているため、彼にとっては、不思議に思えたのでしょう。母国語のみの講義しか提供していないと母国語を話す人だけが学生の対象になってしまい、とてももったいない状況です。
また、彼が主張するのは、考えが広がらない、という懸念です。
グローバル時代に生きるうえで、グローバルな思考、グローバルな交渉の仕方、表現の仕方、発想の仕方、いろいろなことを、多くの違う人たちと混ざることで、体で学ぶことが必要な時代ですね。
視野が国内だけでは、本当に対応不能だと身にしみて感じます。
目の前の問題に取り組み、足元を固めながら、しかし、グローバリゼーションへの対応は必須だと感じます。