駄楽器駄日記(ドラム、パーカッション)

ロッキンローラーの打楽器日記

ドラマーのタラレバ話

2008年02月14日 | ドラム&パーカッション
写真は、自分が長年に亘りドラム教室で講師をさせてもらっている、サウンドスタッフの教室専用のドラムセットだ。
今どき珍しい、黄色いカバーリングが目を引くYAMAHA-YD3000である。
たぶん、というか調べていないので勘で言ってしまうけど、1970年代はじめの製造のドラムだと思う。
教室の中ということで湿気もなく、非常に環境のいい場所で定期的に丁寧に使用しているので、実に素晴らしい音がする。
当時は安いドラムだったはずで、木材も今のメイプルだとかバーチだとかいうレベルじゃなくて、木目を見た限りラワン材を使っているようなベニヤっぽい作りなんだけど、乾燥して使いこなしていって枯れている。
正直な話、15年以上前に初めてドラム講師としてこのドラムと対面したときは、
「安くて古いオンボロドラム」としか印象がなかった。
なぜなら、当時はバスドラからタムの全てにミュートの布切れやら座布団やらダンボールなどが詰め込まれてミュートされていたのである。
所詮は練習用だし、騒音防止および生徒と講師の会話を妨げないようにとの計らいで、全てのドラムをミュートしていたと思うのだが、何か大きな違和感があった。
そんな状態なので、当然のようにヘッドは打面が古びて凹んでいたり、コーテッドの塗料が剥げ落ちていても、もう誰も気に留めることもなく、単に練習台として使用されていた。
ドラマーとして、こんなドラムセットには何一つ魅力を感じないのは当然のことである。

ところが、同じ教室で仕事をしておられる先輩の“チョコボール藤田”講師が、こんなようなことを言って、お店側がミュートの詰め物を撤去したという逸話があるのだ。
「ドラムを夢見る少年達というのは、ドラムのドンドンというでかい音に夢を持って来ている。そんな大事なドラムセットにはミュートなどするべきではない」
この一件には後輩の自分も大いに納得し、さすが藤田氏!と目からウロコを落とす思いだった。
そして、この黄色いドラムセットは、秘めたる素晴らしいサウンドを鳴らすことができたという訳なんだな。

それから、自分の中では一貫した思いがある。
まあタラ・レバの話なんだけど、
①.自分がドラム教室を経営するならば、ドラムセットやシンバルやヘッドには最高級のものを使うべし。
例えば、何もソナーやDWとは言わないにしても、国産のドラムの中で生徒さんには最高級のドラムサウンドを叩いていただきたいし、パイステやKジルなどの高いけど最高級のシンバルサウンドを味わっていただきたい。
ペダルやスタンド類も、高級品を用意して使い心地の違いを知っていただきたいと思う。
モチロン、値段が高いって話じゃなくて自分が「これはいい」って認めたものを教えてあげたい。
右も左も分からない人には、良いか悪いか分かる人が教えてあげなきゃなと。

②.自分がライブハウスを経営するなら、店に合ったドラムセットをチョイスするべし。
普段、ライブハウスには大変お世話になっているんで、これはあんまり大きい声で言えましぇんが、小さい声で言います。
ライブハウスは商売ですから、ドラムセットもギターアンプも置いてありゃいいってもんじゃありません。店に合ったもんを置かなきゃ。
ジャズクラブにマーシャルのアンプに、大口径のドラムセットは合いませんね。
最近、大口径のドラムって中古でも人気がないので安く買えますが、小さいお店でそんなセットを置いちゃダメよ。あとあと困るだけなんよね。
お金を取るライブハウスに、初心者入門用のドラムセットはいけません。
お金を取るライブハウスのヘッドはマメに換えましょう。
壊れたシンバルスタンドは新品に変えましょう。スタンドなんて高くなくていいんですよ、でかくて重たいスタンドなんて邪魔なだけですからね。
安くても小さくても軽くてもいいんで、壊れていないやつならいいんです。

やべ、愚痴っぽくなってる。
タラレバもここまでにしとこ。
そうだ、この黄色いヤマハのドラムサウンド、叩いて聴いてみてくださいな。
土曜日の夜、おいで?
最近土曜日の教室、生徒さんが少なくてヒマなんですよね。
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歌VS咳&下痢ピー

2008年02月12日 | 駄日記
“パルキアVSディアルガ&ダークライ”みたいなタイトルですなあ。
でもこっちは汚いのにゃ~、やなかんじ~。
サテ、先週咳が止まらなくて、耳鼻科で処方してもらった薬が自分には強すぎて、だるくて動けなくなってしまった事を書いた。えらい目にあった。
でも効き目が強いだけに、眠くてたまらないけど咳も鼻水も止まって、ノドの痛みも消えてそれはそれで楽になった。
日曜日のライブでも、声を出すたびにむせちゃってとてもじゃないけど歌なんか唄えないと思っていたのに、土曜日に薬を飲んだおかげで歌うことができた。もっとも音程が聞き取れなかったり歌詞が飛んでしまって失敗したけど。。。(泣)
そんなこともあって、薬というものの凄さと怖さと功罪を身をもって知ったわけですわ。
薬には副作用というリスクが伴うのは当然で、それを承知で服用するってわけだ。
クスリ→リスクってことで。
逆に副作用が何にもない薬ってのは効き目はイマイチの場合が多い。
だから、今回のこの薬に限るけど、大事なライブがあったりする場合に前の日にクスリで一日動けなくなっても歌える方を取るか、普通に動けるけど咳き込んで歌えない方を取るかみたいな図式になっちゃった。

先週は金・土と休みで、ライブがあった今週の日曜以降は出勤だった。
月曜日は祝日だったけど普通の朝と同じように起きて出かける仕度をした。
その朝は目覚めた時からノドが痛くて、やはりまだ治っていないのを実感して例の薬を飲んでみたくなった。
それとあのトリップ状態が本当に薬のせいか、もう一度確認したかったんだな。
幸い当日の仕事は、休日だけにさほど忙しくないので、万一動けなくなれば年休にして寝てしまえ、みたいな。
朝飲む分量ということで、痰を切る錠剤、抗生物質のカプセル、胃を保護する錠剤を飲んで出勤した。
すると、飲んで1時間過ぎたくらいからきた。
やっぱり!って感じなんだけどトリップの始まりでした。
まず、すごい動悸がして、何となく気持ちが落ち着かない。
そして手先が震える。
次に唇あたりが痺れてきた。
そして、あの眠気だった。
仕事もだるくてだるくて、本当はやるべきことをササッとやるつもりだったけど、どうしてもだらだらとしてしまう。
PC画面に向かって仕事してるつもりでも気付くとコクッコクッって船漕いでるし。モチロン昼休みは爆睡でした。
しかし鼻とノドは絶好調で、咳もクシャミも一回も出ないしティッシュも全く使わなかった。いつもは鼻水かみすぎでテッシュは山のように使うんだけど。
これを快適と言うべきか、最悪と言うべきかはその時の要求度とか状況で異なる。一日寝ている状態ならOKだし、重要な仕事中とかドライブ中なら最悪だ。
それにしても、オレっていつまで経っても学習能力ゼロであります。
試さなくても分かるじゃん、ふつう。

おっと、それと重要なことがあった。
このクスリにはもう一つ副作用があったんだ。
下痢ですわ。
まあいつもそれっぽいオレですけど、この日も幾度かトイレと仲良しだったっけ。
実は日曜日のライブの日もそうだった。
リハが終わってライブの寸前、ファミマへ腹ごしらえのおにぎりを買いに行ったんだけど、そこで突然グルグルって腹が鳴ってとても我慢できなくなってトイレを借りた。
そこで思い切りスッキリしてハウクレに戻ったんだけど、我慢していたらエライことになったと思う。
「酸欠ライブでクソまみれ!毒ガスでお客さん死亡!豊橋のライブハウス」という大見出しの新聞が皆様のお宅に届いたかもしれない。ひえ~、くわばらくわばら。
あの薬を飲むと2日ぐらい腹が緩くなるので要注意だ。つか、もう飲まないと思う。たぶん。
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ハウクレ・ライブありがとう

2008年02月10日 | ライブレポ
2月10日(日)
先ほど帰宅して、風呂で汗とポマードを流して今日初のビールで一人ウチアゲしてます。
すごくいい汗(冷や汗も)かいたし、ライブではアルコール我慢していたから格別に美味い。
今夜のライブは、とにかく「ありがとう」の一言です。
それにしても、あんなに大勢のお客様が集まってくれるとは想像しいていませんでしたが、立ち見で我慢して見てくださったたくさんの方には本当に「ありがとう」&「ゴメンネ」です。
「アキラ&THE OLDIES」のメンバーとして演奏できたことも感謝です。
どういうわけだかこのところやっぱり体調が悪かったので、人前でドラムを叩いて歌を唄う自信がなかったんですが、何とかステージを全うできて感謝です。
ところどころ失敗しましたので、大きなことは言えませんが。
遠方から駆けつけて歌ってくれたユキちゃんはじめ、メンバーのみんなと、ライブのハコであるハウスオブクレイジーにも感謝ですね。
とりあえず、思いつきで感謝のみ述べさせていただいて、明日ゆっくりと画像なども補完しますか。
明日も朝から仕事だし、夜になってからやるかな、と。
オヤスミ~。

ということで、これ以下は補完の文章であります。

ハウスオブクレイジーで「アキラ&THE OLDIES」のライブをやらせていただくのは、今回で2回目でした。
去年の2月にハウクレのイベントという形で12年ぶりに再結成してから、もう1年になります。
何とも早いもんだなあ~って感じですが、その後三ケ日WATTSとかバークレーでメンバーは入れ替わっていますが、少しずつライブもやってきていました。

もともと“The Oldies”という名前のバンドは、ハウクレの向かい側にあった旧バークレーでのハウスバンドでした。
最初のボーカリストはバークレーのオーナー疋田氏で、アキラが参加するのはそれから随分後のことですから、歴史としては25年ぐらい前になると思います。
一番最初に練習したのは、バークレーの前身の「バークレー・イン」という店でやった覚えがあります。その頃はバンド名は決めていなかったので、正確には「The Oldies」ではないんですが。
バンド名は告知用に考えた際に「まあテキトウに、ジ・オールディーズにでもするか」という疋田氏の鶴の一声で決めたのでした。
そして、当時バークレーで店長だった松崎氏(クりちゃん)が、ハウクレを立ち上げて13年目?(ごめん正確ではない)の去年、
「当時のハウスバンドを復活ライブをやったら面白いなあ」という発想からオレ達に声がかかったと言うわけです。

ま、そんな歴史を踏まえつつ、っていうか歴史を思い出しているだけで長くなっちまったい~。

今回は単独のライブということで、アキラはじめメンバーも張り切っておりました。
今回のライブに出演した「The Oldies」のオリジナルメンバーは、アキラ以外のバックメンはベースの石田とドラムのオレだけで、ギターのベーチャンは日程が合いませんでしたので、チロルのてっちゃんがいいグレッチサウンドを聞かせてくれました。
女性ボーカルには「ユキちゃん」が参加してくれて、バキッと決めてくれました。さすがプロですね。
そして、キーボードにはマミと、「The Oldies」にはいなかったサックスなんだけど、いっちゃんをフィーチャーしました。
いっちゃんとオレは切り離せない関係ですが、今は仕事関係が超多忙によりPOWDERの活動休止中ということもあって、練習には一度も参加できなかったのに、本番ではバッチリ決めるのがすごい。
とにかくメンバーの都合が合わず練習ができなくて、いっちゃん抜きにしてもメンバーが揃ったのは1回だけでした。

「POWDER」と「The Oldies」では似て非なるバンドなので、同じ曲でもイントロやエンディングや構成が微妙に違うので、練習しないでバッチリ合わせるのは非常に難しいのです。
慣れたPOWDERのライブなら、例えばモニターが悪くても体で覚えているので、ある程度“勘”で演奏しても何とかなるのに、今回は神経をピンピンに尖らせて耳をダンボにして演奏していました。
今回、オレも自分の歌がレパートリーに入っていて、1年ぶりぐらいに「煙が目にしみる」を歌ったんだけど、なぜかイントロの音程が聞き取れなくて歌えなくてやり直ししてしまった。やり直しの歌も歌詞も飛んでしまったしいいところがなかった。ん~、情けない。
結局、今回の唯一の汚点は“オレの歌”だった!スマセン!スマセン!しょぼ~ん。

それにしても、本当にたくさんのお客さんがお越しくださって、本当に感謝します。

後ろで立ち見で我慢してくれた皆さんも決して若者ばかりじゃなくて、久しぶりにライブハウスにお越しになられた方も多かったと思います。
すごく楽しみに来られて、座れずに酸欠状態と言うのは辛かっただろうと思います。
次回も機会があれば、より練習をして素晴らしいと言われるような演奏をしたいと思います。
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キケンが危ない

2008年02月09日 | 駄日記
2月9日(土)
今日は寒かった~。
あんなに雪が降るなんて、豊橋では滅多にないから驚いた。
しかも運転中に雨から雪に変わり、しまいにはボタン雪になってきた時にゃあビックラこいて運転が怖かった。
12時はどうなるかと・・・・あ、一時はどうなるかと思ったよ~。
あんなに雪が降って積もるなんて想像もしていないから、もしあのまま雨に戻らなかったらこのあたりの交通は完全に麻痺しちゃうだろうなって、考えると怖かった。
だって、このあたりじゃ車のタイヤは年中通してノーマルだもんね。
スタッドレスタイヤとかチェーンって、スキーとかスノボーをやってるウィンタースポーツファンぐらいしか用意していないと思うよ。
もし道路が凍結したらどうしようか。
今夜はドラム教室でクルマで通ってるし、明日は午前中は仕事だけど、夜はライブですからね。
万一電車が止まったら、メンバーが集まらない。
女性ボーカルのユキちゃんは、川崎在住だから新幹線が止まったらえらいこっちゃ。
まあ、その点は今夜の感じでは大丈夫に思えたけれど、何事も下駄を履くまでわからないっちゅうじゃん。

ところで、もう一つ怖かったことがある。
昨日、病院で処方してもらったノドの痰を切り、炎症を抑える薬なんだけど、飲むとメチャクチャ効いてしまって危ない。
眠たさは普通じゃなくって、昨日寝る前に飲んだ薬が朝の何時になっても切れなくて、早く寝たので朝早くに一旦目覚めたのに、体がだるくて二度寝をして起き上がれなかった。
しかも、朝食後朝の分の薬を飲んでから、母親が住んでいる湖西のアパートに届けるものがあって昼頃出かけたんだけど、それが2時間後のお昼に効いてきちゃって、口も聞けないぐらいだるくなって着くなり横にならせてもらった。
事故を起こさなくて良かったが、これで運転したら飲酒と同じじゃないかって気がした。
まいった。
さすがに今日一日鼻水も痰も咳も出なかったが、ここまで薬が効くと普通の生活が出来ない。
そんなこんなで、キケンな一日でした。
明日の仕事と夜のライブは、薬飲んだらきっとヤバイ。
なんだか薬が怖くて飲めましぇん。
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タンキリアメ

2008年02月08日 | 駄日記
2月8日(金)
1月の中旬にひどい風邪を引いて、咳が止まらず苦しめられた。
咳をして血痰を吐くほどで、ノドが完全にやられた。
それ以来風邪が治ったにもかかわらずノドの具合が良くない。
常にノドに痛みと痰のからみがあって、普段は異常がなくても例えば仕事でお客さんと電話で話をすると、思わずむせこんで話がスムーズにできない。
そんなわけで仕事にも支障が出ているというわけである。

先日、TVを見ていたら最近の傾向として、幼児期の喘息に代わって中年から老年期の喘息が非常に増えているという。
それは、タバコを吸った経験がある人或いは家族がタバコを吸っている人、またはハウスダストや各アレルギーなどでノドや鼻の粘膜が弱っている人が、風邪などでノドを痛めてから喘息に移行するケースが非常に増加しているらしいのだ。
これは他人事ではない。
症状を確認したら、自分も全て当てはまってしまった。
「オレ、ゼンソク?」
こんなんじゃ、リードヴォーカルを取れないじゃん!
なんて、冗談にしてもシャレにならん。

ということで、今日は休みだったので耳鼻咽喉科に行ってノドを診てもらう事にした。
午前中に仕事場のすぐ近くのお気に入りの病院に行ったんだけど、今日の混みようは尋常ではなく患者で満員だった。
今までこんなことはなかったのだが、妙にご老人と幼児を連れた母親の数が多くて、ごった返していた。
待合室の座席に座れず、フロアに立ったまま待っている人、一旦外のクルマの中で待っていて何分か後に様子を見に来る人、冷たい床に座り込んで子供に絵本を読んでいる母子連れなど、それだけで体調が悪くなる気がした。
しかし、診てもらわないと今日の休日の意味がないと思い、我慢して1時間ほど待って診察してもらった。
結局、医師からは喘息という言葉は出なかったが、なぜか鼻の洗浄を念入りにしてもらい、ノドの炎症を抑える薬やら何やらの薬をたっぷりともらって帰った。
医療費は3,500円強だったが、これで良くなる事が出来るなら安いものだ。
この、病気になると金額じゃないよ、例え何万円であろうと金に糸目をつけないよ、というわらをもすがる気持ちというのは大きな問題だと思うのだけどそれはそうとして、今回は6種類の薬を1週間分もらい、必ず毎日飲み続けて早く治療したいと思った。
まあ、その点はどんな病人でもみんな同じだ。

さて、治療を終えて薬を処方してもらって、清算をして帰ろうとすると、受付の事務員が
「鬼祭りのタンキリアメをお配りしていますのでどうぞ」と言って、豊橋の名物奇祭、鬼祭りで配るタンキリアメの小袋をくれた。
「そうかあ、今週末は鬼祭りだった」と思い、毎年の鬼の行進で道路が真っ白になる風景を思い出した。
小麦粉だったかの粉をまぶしたタンキリアメは、これを食べると風邪を引かないご利益があるといわれている。
しかし、今の自分としてはタンキリアメをもらうのはありがたいが、とりあえずは嫌な咳の原因である「痰を切るアメ」が欲しいと思うのであった。
なんだかなあ。イマイチだなあ。
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遅かりし

2008年02月07日 | 駄日記
2月7日(木)
今日の仕事は正午から夜8時半までの勤務。
なんだかめちゃくちゃ忙しくって、息つくヒマがなかった。
ま、たまにゃそんな時もあるわけで、休憩もそこそこに頑張りましたとさ。
夜、通常ならそろそろ片付ける時間になっても、まだまだやることがいっぱいでイライラしている頃、ポケットの携帯がブルブル・・・
POWDERの名物ボーカリスト、ジュンジでした。
「バークレーに向かってるんだけど、場所ってどこだったっけ・・・」
「え?豊橋に来てる?いまどこ?」
「駅前なんだけど、クレイジーの近くだったよね?」
「ああそうそう、ときわ通りのアーケードを抜けて、道路を渡って左側だよ」
「え~っと、あ、あったあった!」
そんなやりとりをしてジュンジは無事到着した模様。
「へーさんもバークレーにクーレバー?」
とは言わなかったけど、
「オレも仕事終わったら駆けつけるよ!」
ってわけで、思わぬ展開で、年末ライブ以来久しぶりにバークレーに行くことになった。

今夜は、POWDERのライブにはいつも応援に来てくれている“チロル”さんの定期ライブの日なのだ。
「今度こそライブを観にいかなくっちゃ」と思いつつ、なかなか動けなかったんだけど、ちょうどいい機会だった。
ジュンジと一緒にライブ鑑賞なんて、なかなかできないもんなあ。
何となくイライラしていた気分が楽しみモードに変わっていった。
しかし、まだ片付かない仕事を黙々とこなしていると時間はどんどん過ぎていく。
みんなも帰ってしまい、気がつくともう9時半を回っている。
「おっと、時間が経つのは早いなあ・・・」
などと一人でつぶやいた後、しばし考えて
「ま、いいか。やめた!」と叫んで帰ることにした。
明日は休みなのだが、ん~、持ち越しだ~。。。ってわけで。

仕事場からバークレーまでは徒歩10分。
ちょっと急ぎ足でお店に到着すると、店の前には軽やかなオールディーズサウンドが漏れている。
“悲しき街角”だった。
中に入ると、すでにチロルさんの最終ステージが始まっていた。
客席をキョロキョロと探していると、店主のGG疋田御大が気付いてくれた。
「おー、へーちゃん。ボーカルの友達、さっきまで待ってたんだけど帰っちゃったよ」とのこと。
「う~む、間に合わなんだか~」
遅れてしまってごめりんこ。
まあ平日だしジュンジの家も遠いので仕方ないね。
「またの機会」ってことでジュンジにメールを入れて、チロルさんのステージをじっくりと楽しむことにした。
さすがにライブをこなしているだけあって、久しぶりに見るチロルさんの演奏はスムーズで安定していて楽しかった。
選曲も練習のたびに増やし続けているということで、定番からコアな曲まで幅広い。そしてステージの展開がいいから常連さんも踊らずに入られないって感じで、フロアでたくさん踊っていた。
しかし踊っている常連さんって女性が殆んどでしたね。
踊っているすぐ横で座ってビールを飲んでいたので、時々女性の腕が当たっちゃって、なんだかお邪魔してるようなそんな感じで。
そんなこんなで最終ステージも終わり、アンコールの途中で電車のちょうどいい時間になったので帰ってきましたが、いやまあ楽しませてもらいました。

ところで、トニーGGバンドでギターを弾いているナカウッちゃんも仕事帰りに寄っておられて、テーブルに同席させてもらっていろいろと話をした。
バークレーのハウスバンド、“トニー疋田&GGバンド”のライブは毎月第4金曜日に変更されたとのことで、次は2月22日ということだった。
それなら自分も是非加わりたいということで、思わぬきっかけでライブ参加決定。
まあなんと軽いノリですが、やるからにはがんばろっと。
あ、もう日にちは間違えませんよ。ハズカシ~。
飲み会もないですからゼッタイ遅刻厳禁、飲酒厳禁でやるぞ。ひ~。
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ロッキンロール・ドラマーとして

2008年02月06日 | 駄日記
オレってさあ、自称ロッキンローラーもしくはロッキンロール・ドラマーって言ってるんだけど、これって自分の造語なんですわ。
「ロッキンロール」なんて言葉はオリジナルじゃないけど、自分をロッキンロール・ドラマーなんて公言している奴はたぶん他にはいないだろうなあ。
自分が言う「ロッキンローラー」って意味は、「ロックンローラー」って言えるほどカッコ良くなくて、スターのオーラがなくておっちょこちょいで一つ抜けてるミュージシャンを言う。
そして、レベル的にはイマイチ低くって演奏するたびにへこんでも、その度にポジティブに立ち上がって懲りない奴のことだ。
そんなサエないミュージシャンでも、人前で恥をさらしてさらして、「もう辞めれば良いのに」の声に反して何年もやっているうちに、自分なりに人前での演奏術を身をもって体得するというのが、ロッキンローラーの理想図なのだ。
これがオレ流の自称ロッキンロール・ドラマーの美学であります。

まあ今までのオレの人生って失敗続きでちっともパッとしてないっす。
思い出すと「やっちまった・・・・」ってことばかり。
でも、何だかんだで挫けそうな時には前向きに乗り越えようといつもバタバタしてきて、未だに何とか生きてますし、ロックやらせてもらっています。
というわけでオレはロッキンローラーを自称しているんです。
まだ美学を極めるまでは至らず求道中なでありまして、今後もじじいになるまで「ロッキンロール道」を邁進する所存であります!
って何だか違う方向に進んでしまった気がする。
とりあえず、あらためましてイマイチなドラマー&パーカッショニストでありますがコンガともよろぴく。
わけわからん。

実は音楽に関してやりたいことがいくつかありまして、その一つが動き出すことが出来そうです。やった~!
動き出したら詳細を報告しますね。
何だかすごく楽しみ~。
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YAMAHA FG-200F

2008年02月05日 | 駄日記
こないだの日曜日、某練習スタジオでドンバ練習をしました。
練習スタジオに入るのも久しぶりで楽しかったっす。
練習後、事務所でスタジオ代の精算をしつつ、雑談なんかしながら壁に並んでいるギター類を眺めますと、あらまっ、YAMAHAのオールドモデルのフォークギターがあるじゃありませんか。
よく見ると、よく似たモデルが2台壁にかかっている。
最初に目がとまったのが、このFG-200Fでした。しかもジャンク品で超特価。
もう1台あったのがFG-300でこちらも超特価だったけど、最初に目にとまったFG-200Fに一目惚れしてこれ(写真)を購入しちゃいました。
今、自分の家にギターが1台もないので欲しかったんですよ。
しかもYAMAHAのオールドモデル。
あとで調べたら黒ラベルということで1974年のモデルらしいのですが、そのモデルを前の持ち主が改造したり修理した痕跡があってジャンク品扱いだったんだけど、ボディとかネック自体はそのままだったので音色に問題はなかったんだな。良い音してます。

自分がかつて使用していたのはFG130で、中学生のときに母親に浜松のYAMAHA鍛冶町店で買ってもらったやつだった。
ところで当時は鍛冶町店はニチガク(日楽)って呼んでいたなあ。何でだろうなあ。
で、買ってもらったFG130って、当時一番安いギターだったんだけど弾きやすいし音色も良くて、自分が大人になっても新しく家を建てたときもこのギターを使用していて、全ての自作の曲はこれで作曲したギターだった。
でも事情で家を出たときにドラム以外の全てを置いてきたので、今ではギター類は1台も手元にはない。
試しにポロロンと弾いてみると当時の懐かしいYAMAHAのフォークギターの音がして、やはりYAMAHAの個性だなあって感動した。
YAMAHAのフォークギターだけは音で分かるなあ。
家に持ち帰って、何年か振りに歌本を開いてオールド・ソングを弾き語りしちゃったオレでした。
でへへへ、楽しいなあ。
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日記更新できてな~い

2008年02月04日 | 駄日記
忙しいんだか何だか

水疱瘡のちびが元気になってきたと思ったら今度はねえねが熱出して寝込んじゃうし

そうそう

ネタがあります。

明日更新します。へへへ。
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ショック

2008年02月02日 | 駄日記
豊橋の老舗で、オレ達世代の音楽シーンの発信地でもあったヤマト楽器が自己破産とのニュース。
先日、駅前のCDショップが「店内改装」と張り紙がしてあって閉まっていたけど、実際はそうじゃなかったんだ。
楽器の販売はもう数年前に撤退してて、バンドブームの終焉を痛感したもんだし、最近はCDやDVDもネットでの通販が主流になってしまって、店舗で在庫を抱える商売は難しいのだろう。
更に駅前のドーナツ化現象で郊外型の大型店でなければ集客できなくなっていて、駅前商店街も衰退して高額な家賃の支払いのみ残る時代だ。

困っちゃうなあ。
仕事帰りに電車の時間合わせでぶらっと寄って、月に1枚かそこらなんだけど目に止まったCDを買って帰るのが楽しみだったんだ。
カードのポイントがいつの間にか溜まってて、思わず1,000円引いてくれたりした時なんかは嬉しくなっちゃったなあ。
あ~あ、あそこの棚にあったオールドミュージックのオムニバスアルバム、小遣いがなかったからそのうち買おうと思っていたけど、買っときゃ良かったなあ。
不便で住みづらい世の中になったもんだ。
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