堺市堺区を、所用にかこつけて、お散歩していた途中。
裏道ゆくときに、なに?って気にはなってたのだけど、車止められないし。
徒歩の今、今こそ立ち寄ってみましたさ。
と~っても小さくって石だけ。鏡の素材は何なのかしら?。
小さな神社は、『八丈神社』。
それが・・・神様総動員でやってきたような、そこには。
いっちばん大きいのが『八丈大神』。
ブロック塀で護られたその後ろは、丸保山古墳。
その、丸保山古墳の敷地内で宮内庁のものなのか、それとも?分からないわ。
一番手前の白光大神、と、同じくらいのが、天徳大神、八大神。
そして、沢山の神々。
小さいのんの中で、ちょっと抜きん出てるの、小八丈大神。
そこからの、福龍大神、熊丸大神、久吉大神。
そして、あっち側。
藤平大神、熊吉大神、朝日大神、三吉大神。
沢山、神様たちが並んでるの。で、例えば、三吉大神を検索したら、
秋田県の日本神話に出てこない郷土のの神様。力の神、勝負の神、破邪顕正の神。
戊辰戦争の際に、秋田藩主が信仰していて広まったって。
では、朝日大神は・・・と、東大阪と奈良県宇陀市。
神様の歴史は奥深く・・・。
ご由緒が彫ってあったので、書き写します。
『皇紀千八百年頃 天照皇大御神 外宮豊受皇大神の命に依り
第十六代仁徳天皇御陵と 仁徳天皇御陵西八町四方を守護する為に
大和国より現地に鎮座した稲荷明神です
明治時代 初代島田宇三郎先生が 初めて奉祭られて
二代目島田とみ 三代目マツエ先生が奉祭られておりましたが
昭和五十二年 三代目島田マツエ先生が他界されました
三代目島田マツエ先生の遺言により 御社と土台の補修をいたしました
皇紀二千六百三十七年 建立
施主 和泉国堺住人 松浦久輝』
皇紀元年は、初代天皇である神武天皇が即位したとされる年。紀元前660年。
皇紀1800年頃。単純に紀元前660年マイナスで1140年?と言えば、平安時代。
第75台天皇の崇徳天皇。
で、皇紀2637年。と、申しますと1977年?昭和だ。昭和52年って。新しいやん。
その、聳え立つ石の裏側に、確かに歴史が有りました。
そこには、正一位稲荷大明神の文字。
”正一位”は、神に授けられた神階。その位階の最高位。
天皇に叙されるのではなかったか?その歴史あるこれが・・・・。
裏っ側のとこに会って、その隣にゴミのポリバケツ。その周辺には、灯油を入れるポリバケツが、
所狭しと置かれてるのって、どうなの!?ここは・・・物置かい?
後ろから丸保山古墳が睨んでるぞ!って、誰のお墓なのかしらね。あのポリだらけは良くないな。
丸保山古墳の南西角。
堺市堺区北丸保園あたり・・・・。仁徳見物のついでにどうぞ。