高木晴光の 『田舎と都市との ・ 日々こうかい記』

「新田舎づくり」を個人ミッションとし、田舎と都市とを行き来する人生・仕事のこうかい(公開・後悔・航海)日記

訃報 柏崎龍太郎様

2017-12-22 10:48:39 | お知らせ

三陸ひとつなぎ自然学校の柏崎未来(じょい)から柏崎龍太郎様の訃報が届きました・・・。 残念です。御歳90前後と思いますので、おからだを悪くされていたとは言え、やはり大往生だろうな。 じょいとは同じ姓ながら当縁だそうで一族の大長老でした。 じょいは釜石市鵜住居の出身で、あの大震災当時は私どもの黒松内ぶなの森自然学校の職員をしていました。

思い起こせば、3月11日の午後は次女の結婚式でした。大災害を知ったのは披露宴の二次会も終わり宿の部屋に戻った深夜でした。翌日は即座に自然学校に帰ると、スタッフ達はじょいとテレビを囲んで三陸の情報収集をしていました。 釜石の状況はさっぱりと流れませんでした。携帯電話もつながらい状況が続いていました。福島原発の様子も報告されるようになってきました。 支援に行くか行かぬか暫し逡巡しましたが、目の前にいるじょいの姿を見ていれば、選択の余地はありませんでした。 午後になり、TV映像で釜石市の中心アーケード街に津波が流れ込む様子が放映されました。

「よし、行くぞ!」と決心し、ワゴン車に自然学校にあった毛布や火器コンロ、テント、寝袋、灯油タンクなどを満載に詰め込んで、じょいと星山さん(ほっしー)と三人で現地へ出発したのでした。 しかし、青函フェリーも止まっていました。函館大沼の関係者にフェリー乗船の手配を頼みました。

フェリーターミナルには運送トラックが大量に乗船待ちをしていましたが、夜中に出航が決まった第一便にトラック優先のなか、最後から2番目というギリギリ乗船が果たせたのでした。 青森からは高速道路は緊急車両が優先され通行できない状況で、道路封鎖があちこちされてい下道の通行可能な道路を縫いながらじょいの出身地の釜石市鵜住居町片岸を目指しました。

昼過ぎに釜石市の手前の遠野市に到着、整備された沿岸へゆく国道は一般車両は通行止めでした。調べた結果、沿岸に抜ける山道があるとのことがわかりましたが、遠野市でもその区間の道路状況はわからないということで、「お勧めはできないが、行くなら、あくまでも自己責任で」ということでした。沿岸からこちらに来る車もあったので、突入を決心しました。

大きな地震があった割には内陸部にはまったくと言っていいほどに被害は見受けられませんでした。崖崩れもなく峠を越えて沿岸地域へ。 春の訪れを感じさせるのどかな東北の中山間風景が続きました。集落にも慌てている様子は車窓からは見受けられませんでした。

ところが、海岸から数キロあたりからは様相がいっぺんしました。津波が到達した最終ラインの向こう側とこちら側はまさしく天国と地獄でした。 かろうじて一台のブルトーザーが道路の瓦礫を押し分けて車両の通行を確保している最中で、ついには、じょいの実家のある海岸近くまではたどり着けず、農家の庭先にテントを張って、とりあえずの現地拠点を設営したのでした。

翌日は周辺の確認。11から12日にかけて被災者達は山中に野宿した人や内陸の学校体育館などにたどり着いた人々もいました。訪れた地域の小学校の体育館にもあふれんばかりの被災者がいました。とってもではないですが、私たちが積み込んでいる毛布資材などでは間に合いそうにもありません。 地域内を動いていると、ある小さな集会所に70人前後の人が避難している場所がありました。 それが、たまたま、じょいの出身地の片岸地区の人々が中心に避難している場所だったのでした。そして、そこを取り仕切っていたのが、龍太郎さんでした。

それから、北海道ねおすボランティアセンターは、この避難所を中心に鵜住居川流域を支援することになったのでした。龍太郎さんを事実上のトップに同じ町内会の人々ばかりの避難所の結束力と彼の統率力はほんとに学ぶことが多かった。そして、龍太郎さんの助言もあって、それからはより上流の橋野地区にある旧保育園をボランティアセンターの拠点として、仮設住宅にも事務所を借り受けて支援活動を展開したのでした。

現在は、そのねおす北海道ボランティアセンターを母体として設立した一般社団法人三陸ひとつなぎ自然学校が地域ツーリズムを旗印にして復興活動を展開しています。 龍太郎さんのカウンターバックアップがなければ、今はなかったと言っても過言ではありません。

多くのご指南を頂いた人生の師である、柏崎龍太郎様のご冥福を心からお祈り致します。そして、龍太郎様から学んだことを胸に、これからも精進してまいります。

 

 

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急遽の忘年会

2017-12-21 14:52:26 | 日記

12月20日。 札幌泊まりでしたが、急に予定が空いてしまったので、急遽facebookで夕食を付き合ってくれる人を募集。 くまさん、すぎさん、かげさんの(いつもの)三人が集まってくれたので、40から60代のおっさんだけの忘年会となりました。 そもそも集合場所の行きつけの居酒屋「道」は昭和臭が残っていますが、このお店が入る札幌北口付近の道通ビル地下にはかつてススキノにたくさんあった昭和風味雑居性が猥雑性は薄まっているものの全体的に残っています。 二次会は今やあまり若者はいないスナックへも行きました。

そして、北の方へタクシーで帰るくまちゃんに途中で宿泊先ホテルの前で降ろしてもらいました。

が・・・、それから何があったのか覚えていない・・・。 ヤバイね・・・。

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札幌新陽高校

2017-12-20 17:20:14 | プログラム 研修、講演等

「本気の兆戦を応援する」学校、札幌新陽高校へ3度目の訪問で2度目の生徒さんとの面談の機会をもらいました。 子どもの体験活動の高校生ボランティアに関心のある学生さんに集まって頂いて前回より詳しい説明会。 ふたりの女子学生が希望していたのですが、それに呼応して20名近い学生さんが集まってくださいました。 高校のすぐ近くの真駒内の元小学校で子ども活動を展開するCoみどりとねおすグループでの自然体験活動のボランティア説明会となりました。

 20歳前後の大学生のボランティアや実習受け入れは数多いのですが、高校生については夏の長期活動で2,3名の高校生、それも元参加者に絞って受け入れをしていましたが、私の思惑としては、一般の高校生にも私たちの「仕事、職業」に早くから関心を持って欲しいとの気持ちから受け入れを試行することにしました。 ランダムに募集するよりも、「本気の挑戦」を大きな学校のテーマとしている札幌新陽高校とのお付き合いが学校との連携も取れてよかろうとの判断です。

年末の子ども冬活動2泊3日にふたりの女子高校生が初参加することになりました。

     

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クライシスゾーン

2017-12-17 17:29:37 | コラム風味

10年以上前、私のノート使いはB4(F4?)サイズのスケッチブックを使っていた。 何かを考えるとき、誰からの講演話を聴く時などに耳に残る言葉やその時にインスピレーションで浮かんだ言葉を整理するのではなくてただ列挙してゆく方法を取っていた。私の頭の中はこうなっていたのだ。気になる言葉や概念の刷り込みをしていたのだ。

そして、時々、いえ、たまにそれを整理するようなまとめ方をしていた。そのスケッチブックは、ざっと10冊ほどある。 1997年に「100年の中での役割を考え、今を行動する」というとりまとめ図を書いていた。ちょうど10年前ね。

これによると、地球は、今のままほおっておくと、2080年頃にCRISIS ZONE 地球自体が破壊的状況に陥ってしまうと予想している。だから「新しい価値観に基づく22世紀型社会」の概念を形成し実現を計っていなければならないとある。しかし、その危機的状況を体験しないことには次の時代を創りだすこともできない。つまりこのCROSIS ZONEを人類が通過できるように鍛えていかねばならない、それが現代社会だと位置づけている。 

 21世紀の中半に人類は猛烈、過酷な生命存続に関わる受難を時代を迎えるだろう。環境問題、国際紛争問題、原子力放射能問題(これを書いた当時は震災前で放射能に対する危機意識はかなり希薄であったが)により生態系の破壊が起こる。実際の多くの人間が死ぬことによってしか、新しい社会システムの構築はスタートしないだろう・・・・。 キーワードは「Net Work社会」 公正・分配・ローインパクト・低エネルギー・還元・民主・・・・。

受難の時代に必要な力は、

夢を描く力、その実現に向けてあきらめない力、共感によるコミュニケーションエネルギーをやりとりできる力、そして必要な変化を恐れない力だ。

これはここ10数年、変わらぬアタシの活動原理であり、育みたい力なのです。

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ミサイル

2017-12-17 13:58:21 | コラム風味

「弾道ミサイル落下時の行動について」にチラシが事務所の目につく場所に貼ってあります。これは、たぶん私が怪我で入院中の8月下旬か9月上旬に配られたものでしょう。

確か、9月上旬に北朝鮮からのミサイルが北海道上空(と言っても、成層圏上なので宇宙かな)を通過した時にJアラートが鳴り響いたと思う。 私は室蘭の病院に入院しており、集中治療室から一般病棟に移ったばかりの頃だった。 投薬のせいなのか意識が混濁していることもあり、今、起こっていることが、「現実なのか、妄想の中なのか」ごっちゃになっていた時だった。

Jアラートが鳴り、防災無線が避難を繰り返し呼びかけている中で、病院スタッフが、多少身動きができるアタシを後回しにして、隣のベットの重篤患者を先に安全な場所に運び出そうとしていた。(妄想ですね)ついていたテレビではアナウンサーが避難について、弾道について繰り返し同じようなことをしゃべり続けていた。(これは現実だと思う) ここへミサイルが落ちるわけないと確信に近いものはあるが、逃げるに逃げられない自分を感じていた。 が、案の定、ミサイルは落ちることなしに防災放送は安全宣言をした。 そして、避難した患者さんを連れて帰ってきた病院スタッフに アタシは・・・、

「お前ら、よくやった!! 病院職員として使命を果たした!! 立派た!!」と褒めてやったのでした。 (今でも本当に褒めたような気がしている・・・・)

もとい、くだんのチラシには「弾道ミサイル落下時の行動について」

① 速やかな避難行動

② 正確かつ迅速な情報収集  行政からの指示に従って、落ち着いて行動してください。 とある。

無理だな。 じっとしてるしかないだろな。

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除雪

2017-12-16 09:57:30 | 日記

ドサっとのドカ雪ではありませんが、ここのところほぼ毎日、雪が降っています。 アメダスによると道央圏で積雪量が黒松内は現時点で一番多いらしいです。 自然学校の立地は日本海側に近いのですが、より内陸部の地域ではここらよりもっと雪が多いです。例年からみるとすでに1月下旬くらいの積雪量かなあといった感じです。

なので、連日除雪です。(私は、骨折後の養生もあり、実はあまり参加していませんが・・・) 地域には狐老世帯もあり、その除雪も自然学校としています。 まったくのボランティアではなくて、地域の社会福祉協議会から委託とまではゆきませんが、ひとシーズンごとに多少の謝金もいただいています。 今年は2世帯(どちらもひとり住)を受け持っています。 気持ち的にはボランティアなのですが、お伺いしている家から「除雪が来ていない!」催促の電話をもらったりします。

自然学校としては平日は毎朝、小中学校への子どものワゴン車送迎がルーチンであります。そして、自然学校の駐車場などの除雪もあります。 お年寄りは早起きなので、玄関先の自らの除雪も早い。とーていに各世帯の生活時間に私たちは合わせることができないのです。 除雪催促は、我が家に来ることも学校の事務所に直接来ることもあれば、「遅い」と社会福祉協議会へのクレームとなることもあります。 高齢者への見守り的な意味合いもあるとは思うのですが、「お金もらってんだろ!」的ないい方をされると、御自分である程度除雪できる方々なので、「何も除雪を頼まなくてもいいじゃあないか」との感情も湧き上がってしまいます。

本日は、催事もない日曜日。出張中のスタッフもいて、事務所出はアタシだけなのよぉ! そんなことは言えませんが、ちょっと気持ちのスレ違いから、感情をもつれ合わしたくないし・・・、でもね、そちらの希望に合わせた時間に除雪には行けませんよぉ・・・・。

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誕生日

2017-12-15 10:03:37 | 日記

2017年12月15日 私めの63回目の誕生日であります。Facebookなどsnsでたくさんのメッセージを頂きました。ありがとうございます。おひとりおひとりにお返事をできずにごめんなさい。普段、あまりお付き合いのない思いもよらない方からも、短くとも祝いの言葉をいただくと嬉しいものですね。

Go!Go!などと無駄にはしゃいだ人生55歳を越えた頃からは、月日が過ぎ行くのが増して早く感じられるようになっています。えっ!! 63歳になっちゃったのぉ!!という感じでいます。今年は夏に交通事故に合い上半身の骨を多数折ったせいなのか、なんだか呼吸が浅くなり、無意識に突然大きく息を吸い込んだりするので、自分でびっくりしたりしています。なのでか、すぐ疲れてしまいますし、机の前に座って前かがみになっていると肩から首が張って仕方なし・・・。で、歩く姿や風体がなんだか急に老け込んじゃったようなことを回りから言われております。

 もうただがむしゃらに走る歳では体力気力もありませんが、これからやりたいこと(やり残していること)はいろいろとあります。しかし、アタシだけが突っ走っても、後に続くしくみを作り上げてゆくフットワークや頭の柔軟性の劣化しているのも感じているので、風呂敷を広げるだけでなく、包み始めたものを受け渡せるような「しまい方」を考えつつ行動せんといかんでしょう。

 さてさて、まずは年齢相応の健康を取り戻さんとな。冬の間は氷に滑って転ばぬように慎重に過ごしてゆきますが、雪が消える頃からは身体を鍛えて、再び夏の長期村には復活できるように精進をしてゆきたいものです。

私の今の気持ちを表しているなあ・・と、 ケツメイシのトレイン https://www.youtube.com/watch?v=9qXmRL6a0uU

 

 

 

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おかたづけ

2017-12-14 15:29:58 | 日記

早いもので、始まったのはつい最近だったような2017年もあと半月ばかりで終わりです。実習留学生のペコちゃんこと劉さんのお誕生日が13日、私が15日ということもあって、夕食はささやかな誕生祝いとなりました。8時を過ぎて げんちゃん@北海道宝島旅行社がやってきたので、そのまま延々と御前様まで飲んでしまった。 げんちゃんと一升瓶の芋焼酎を空けてしまったあ!!

年末に向けて、事務所の机周りにたまりにたまった書類、郵便物の片づけを進めています。今年は机周りが少しはかたづいて、年越しができるかな。



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2017年のニュース

2017-12-12 13:03:48 | コラム風味

つれづれに2017年のアタシの身辺を振り返ってみますると・・・、 

10大ニュースの第一位は、

私の交通事故と手術入院ですな。 3代目ぶな号を春先に廃車し、悩んだ末に、中古のハイエース・レジアスバンを手に入れました。 事故は夏の活動の終わり頃の8月末、朝方、無用心にぷらぷらと歩いていた私の背中にバックしてきた車がトンと当たり、バランスを崩して倒れてしまいました。その上に車が載っかってきて、轢かれちゃったのでした。 肋骨やら背骨やら10数箇所を折り集中治療室に1週間入るような大怪我だったのですが、1ヶ月でともかくも退院したのでした。 寒くなり、背中や胸が病んで痛いのではありますが、まあ、順調には回復しているでしょう。 呼吸がしにくくなっているのか、なんだかすぐに疲れちゃうのです。 森の中を2時間も3時間もまだ歩けませぬ。「急に老け込んじゃったなあ」などと陰口もたたかれておりますが、 まあ、来年の夏を目指して、ぶな林の最終地点まで往復が楽にできるように、斧で薪が割れるように徐々に回復して参る所存です。

第2、3.4。5番目は、 中国との交流続く。

2月 杭州天目山子どもキャンプのアドバイザー参加.その後はハルピンで自然学校経営を考えているろーりー(老李)さんの会社とその候補地を視察、そして、7月にはろーりーさんが経営幹部を引き連れて来道、ようちえん等の視察ツアー受け入れました。

10月 日中市民ネットワーク主催の北海道の自然学校視察ツアー

この日中市民ネットワークとのつながりの中から中国の自然学校との交流がさまざまと生まれました。ろーりーさんとの関係もそうですが、なんといっても、杭州の大地之野自然学校との連携が深まりました。11月には大地之野からの招聘により、中国の自然教育の全国フォーラムへ参加しショートな講演、その後、杭州天目山の同自然学校の本拠地を訪れて6日間に渡るスタッフ研修会を行いました。 そうそう、この大地之野自然学校の顧問にも就任致しました。 台湾との交流は、残念ながらりーはんは退社帰国しましたが、高雄実践大学のぺこちゃんが夏から冬にかけて約10ヶ月の実習滞在を黒松内でしています。

 6番目は 北斗、ラディカと結婚

ほんとうは、最大トピックスでしょう。 入籍し 高木側の親族だけで寿都神社でこじんまりと祝言をあげました。 しかし、先方様にきちんとご挨拶してはいないので、トップにはあげませんでした・・・。日本での仮祝言ということでしょうな。 来年春先にネパールにてヒンズーにのっとった式を挙げる予定です。

 7番目には 札幌新陽高校との出会いをいれておこう。

大学生の年齢はボランティアでも多く関わりがあるが、あまり高校生とは馴染みがないのですが、東日本大震災の支援の過程で知り合った ARIさんが、札幌新陽高校の校長先生に就任したことを縁で同高校に職業講話に行って来ました。 今度、どのようなお付き合いに進展するかは未知数ですが、私たちの仕事に高校生の頃から関心を持ってくれる若者を増やしたいと思っています。

8番目 夏の長期体験村、今年も盛況に終えることができた。

3週間全てを参加する子どもは少なくなったが、今年も40名ほどが全国から参加。国際ボランティアチームも10名以上参加でした。 この国際交流の目を育ててゆきたいものだ。

第9番目  呉立涵(りーはん)が帰国。 昨年は雇用していた台湾人のりーはんが帰国しました。 ツアー仕事はこれからも協働してゆくつもりですが、再入国がチェックされてしまった。カタチだけでも雇用契約を継続していた方がよかったかもなあ。 今年は、ラディカやペコの件、私の中国ビザ取得も含めて 入国管理ごとの交渉事が多かったなあ。

そして第10番目は、山村留学再開。

10年間やったので、それを区切りとして2016年に中止した山村留学ですが、たっての希望もあってYZさん、小学6年生が4月から我が家に下宿し白井川小学校に通っています。 私としては続けたいのですが・・・、実質面倒をみるのは MRKさんなので、たぶん今年限りでしょう・・・。

 

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雨だ!

2017-12-11 11:49:54 | 日記

12月11日

なんと、本日は小雨です。 例年であればこの時期に雨が降っても驚かないのですが、今年はすでに根雪となり真冬並みの様子なので、「雨だぁ!」と朝はちょっとばかり驚いてしまいました。

そのためか、水っけにやられて、火災報知機がご作動を続けています。

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