熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

(29)チケットがありながらミスったオペラ:その1 ウィーン国立歌劇場の「こうもり」

2021年06月26日 | 欧米クラシック漫歩
   コンサートやオペラのチケットがありながら、何らかの都合で行けなかったり、あるいは、開演時間に間に合わずに、ホールで足止めを食ったりすることが結構ある。苦心惨憺して手に入れたチケットや、千載一遇のチャンスだといった演奏会の場合などでは、特に残念であるが、暇人でない限り頻繁に起こる。
   私の場合、シーズンメンバー・チケットを持っていながら行けなかったことが一番多い。海外にいたので、フィラデルフィア管弦楽団、ロイヤル・アムステルダム・コンセルトヘボウ、ロンドン交響楽団などのメンバーチケットを複数シリーズ、複数年持っていたが、半分も行けなかった年もあった。コヴェントガーデンのロイヤル・オペラのチケットも何回も無駄にした。しかし、当日券を入手するのが非常に困難であったし、少し安かったので、事前に手に入れておく以外に得策がなかったのである。

   残念さが増すのは、行けなかった時よりも、会場への到着が遅れて、コンサートの最初の曲や、オペラの前奏曲や第1幕をミスることである。コンサートの場合には、ピアノや歌手などのソリストが登場するのは、前半の最後であり、メインは休憩後なので、それ程、気にはならないのだが、オペラの場合には、前奏曲を聴き損なったり長い第1幕を観られなくなると目も当てられないほどダメッジが大きい。
   そんな残念な経験をいくらか披露しておきたい。

   まず、1973年のことである。ヨーロッパを旅行していて、ウィーン国立歌劇場の大晦日恒例のシュトラウスの「こうもり」を観たくてチケット売り場の長い列に並んでいた。
   全く幸いと言うべきか、私の前にキャンセルしたいという人が近づいてきて素晴らしい席のチケットを見せてくれたので、私と後ろのアメリカ人が、喜んでチケットを手に入れた。長い行列が出来ていて、尋常ではチケットなど取得できるはずがなく、手に入ったとしても立ち見席であろうから、まさに、幸運であった。
   当時、日本を離れてフィラデルフィアに住んでいて、長い間故郷の雰囲気を味わっていなかったし、ウィーンでの大晦日で、幼い娘帯同の家族旅行であったし、偶々日本レストランがあったので、和食をゆっくり楽しんでいた。ところが、これが災いしたという訳ではなく、開演時間を三〇分間違って理解していて、劇場に着いたらシーンとしていて、時既に遅し。もう後の祭りで、階上に上がったが入り口で制止されて入れず、あの夢にまで見たウィーン国立劇場管弦楽団、すなわち、ウィーン・フィルの「こうもり序曲」を聴けなかった。
   大晦日の「こうもり」は特別で、観客の殆どは、タキシードとイブニングドレスに正装したカップルで、インターミッションでは、一列縦隊に並んで、豪華なシャンデリアの美しい広間や廊下を、ゆっくりと歩いている晴れやかな風景は格別で、映画の中に入ったような錯覚に陥った。背広姿の私とアメリカ人は、場違いなところに迷い込んだ感じがしたこと、クリスタ・ルードウィッヒのオフロフスキー公爵に感激したことだけは、何故か覚えている。

   初めてのウィーンの大晦日で、ホテルは、ワーグナーが定宿にしていたカイザリン・エリザベート・ホテル、
   深夜の12時に、新しい年を祝って、町中に爆竹の音が鳴り響いていたが、いつの間にか寝入っていた。
   
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« (28)ストラトフォード・ア... | トップ | 佐藤賢一著「日蓮 」 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

欧米クラシック漫歩」カテゴリの最新記事