熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

ゲーテ著池内紀訳「ファウスト 第二部 」

2019年01月13日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   ファウスト第二部は、第一部とはずいぶん雰囲気が違って、ゲーテ死後翌年に出版されたというから、詩人であり文学者であり、学者であり、政治家でもあった偉大なマルチタレントのゲーテの総決算ともいうべき作品なので、含蓄があって面白い。

   まず、ストーリーを要約すると、次のようになろうか。
   グレートヒェンの処刑で意気消沈したファウストは、皇帝に仕えることとなり、メフィストの助けを借りて国家の経済再建を果たすのだが、皇帝の命令で、黄泉の国から、絶世の美女ヘレナを呼びだし、自ら恋に落ち、触れようとした瞬間、ヘレナは爆発して消える。ファウストは、ヘレナを求めて、人造人間ホムンクルスとメフィストと共にギリシャ神話の世界へと旅立つ。一城の主となっていたファウストは、メフィストの差し金でスパルタから逃れてきたヘレナと結婚し、息子が生まれるが、イカロスのように墜落して死ぬ。彼は冥府から母親であるヘレナを呼びよせたので、ヘレナはファウストの胸の中で消え去る。
ファウストは、名声を挙げて支配権を得て、荒れ狂い人々を苦しめる海をはるか遠くに封じる偉大な事業を成し遂げたいと理想の国家像をメフィストに語る。以前に仕えた皇帝が、反乱で僣主に追放されて、皇帝軍は劣勢であったが、ファウストは、メフィストたちの助力で、巧みな戦術で皇帝を戦勝へと導き、広大な海岸地帯を褒美として貰う。
ファウストは、海を完全に埋め立てて新たな「自由の土地」を開拓するという大事業に邁進するが、そこへ、4人の「灰色の女」が現れ、言うことを聞かないので、灰色の女「憂い」が、呪いの言葉を投げ掛け、吐きかけた息によってファウストは、両眼を失明する。
メフィストと手下の悪魔達が墓穴を掘る音を勘違いして、民衆の弛まぬ鋤鍬の音で理想郷の実現へ邁進していると夢想したファウストは、「時よ止まれ、汝は実に美しい("Verweile doch! Du bist so schön.")」と幸福を予感して、最高の瞬間を味わいながら絶命する。
メフィストは契約通り、自分の勝利と判断して魂を奪おうとすると、合唱しながら天使達が天上より舞い降り、薔薇の花を撒いて悪魔を撃退し、ファウストの魂を昇天させる。山峡にて、天使や聖書の聖人たちが賛歌を唱和する中、マルガレーテ(グレートヒェン)が天上より、ファウストの魂の救済のために聖母に祈りをささげ、ファウストの魂が救済される。

   実在したというファウスト博士は、錬金術師であった。
   水と火、すなわち、水銀と硫黄を合成して金を作り出すというのだが、訳者によると、このファウスト全編に亘って、この錬金術の手法で貫かれているという。
   しかし、この錬金術的マネーの創造は、メフィストの入れ知恵で、国家の地下に埋蔵されている富を担保にして紙幣を刷って、皇帝のサインで信用を保証して流通させて国家財政を賄い、危機に瀕した経済危機を救済するという形で、登場していて、非常に興味深い。
   当時の金融制度なり財政制度が、どうなっていたかは、知識がないので、詳しくは語れないが、フランスで活躍していたジョン・ローを、メフィストに換えて劇にしたと言うから、面白いと思う。
   ジョン・ローは、国有であろうと私有であろうと、銀行資本は、単にそれが所有する貴金属によってのみ表されるのではなく、商取引で手に入れた不動産や、自ら私有している労働力も資本に含めるべきだと考えて、保有金以上に紙幣を発行しても正当であるとしていたと言うのだが、破綻したのは、時代を先んじていただけの話である。
   信用創造そのものは勿論、近年の連銀や日銀などが紙幣を刷って(?)の財政出動などを考えれば、何が、マネーの裏付けになっているのか、素人には想像の域を超えていて、まさに、今様錬金術である。

   ファウスト全編を流れているのは、ドイツ流のゲルマン的な話題ではなく、ギリシャやローマの文化や歴史、神話や古典で貫かれていて、神聖ローマ帝国の皇帝の宮殿でも、ローマの謝肉祭を思わせる仮面舞踏会が描かれており、次いで、古典ギリシャのパリスとヘレナを主要人物として登場させて、ヘレナは、ファウストが恋焦がれて結婚し子供まで成すという興味深い話に設えている。
   再び登場したワルプルギスの夜や、エーゲ海の岩礁の入り江で、ホムンクルスが海豚の背中に乗るシーンなど、まさに、ギリシャローマの世界。
   ラストの、メフィストたち悪魔をしり目に、ファウストを天に導いて、昇天する天国の情景描写などは、暗いゲルマンの雰囲気ではなく、明るくて透明なラテンの世界であろう。

   ヒエロニムス・ボスの「快楽の園」をプラドで見て、胴体が卵の殻になっている男性、人間を丸呑みにしては、すぐ排泄してしまう怪鳥など、それに、無数の裸の男女が様々な快楽に耽っている様が描かれたシーンなど、何とも説明のしようのない、あの独特の幻想的で怪異な絵にびっくりしたのだが、元々、聖書に基づく寓話を絵にした作品だというから、このファウストでも、メフィストたちやその仲間の描写などで、頻繁に表れており、ヨーロッパでは、共有されていた価値観だということであろう。この本には、山本容子の銅版画がたくさん掲載されていて、ボスとは言わないまでも、かなり、寓意的にデフォルメされたた絵が、非常に面白い。
   しかし、文化伝統、宗教観の違いなどで、日本の寺社などに伝承されている地獄絵などと大きく違っているのが興味深かった。

   さて、ゲーテは、この「ファウスト」で、何を描きたかったのか。
   やはり、ダンテの「神曲」に似た世界観を感じて面白かった。

   ダンテの場合には、成功であった政治家としての時代が短くて、その方面の描写は中途半端であったが、ゲーテは、ワイマールで長く政治に携わって宰相にまで上り詰めて貴族に列せられている成功者でもあったので、冒頭では国家の財政再建を描き、最後には、簡略だが、国家の理想像を描いていて、興味深いと思った。
   
   女性関係では、舞踏会で出会った19歳の少女シャルロッテ・ブッフへの熱烈な恋を題材にしたヴェッツラーの思い出が、「若きウェルテルの悩み」として結実したようだが、ワイマール時代では、7歳年上で7人の子持ちのシャルロッテ・フォン・シュタイン夫人との恋愛や、晩年、クリスティアーネ・ヴルピウスという23歳の女性を内縁の妻にするなど、ダンテよりは、もう少し、俗っぽいところが面白い。
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