熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

ジョージ・ソロス著「ソロスは警告する2009」

2009年07月02日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   今回の世界的な金融危機を総括する形で、ソロスが、昨年出版した「資本市場の新パラダイム」の追加増補版として出版されたのが、表題の書物。
   日本版のタイトルが、「ソロスは警告する」と言った扇情的な銘が打たれているので、誤解を招くのだが、何も、ソロスが警告をしている訳ではなく、未曾有の経済危機を分析しながら、ソロスの従来の経済哲学と言うべき「再帰性理論」が、最も現実性を帯びて証明出来るとして、改めて世に問うべく、自論を詳細に論じている極めて真面目な経済学書なのである。
   ついでに、経済危機の行くへや経済見通し、それに、自分自身の投資の推移などを論じているので、それが、立派に予測や警告になっていると言うだけである。
   
   しかし、これまでの書物は抽象的で回りくどかったのだが、今回は、現実のサブプライムに源を発した経済恐慌寸前(しかし、深さははるかに深刻)の経済危機を、実務家の経験から詳細に分析して論証を試みているのであるから、以前のソロスのどの自著よりも、再帰性理論は、分り易くなっている。
   ところが、今回の増補版で、先の著作で展開した理論が殆ど無視されて、”認められなかった「再帰性理論」”として、自分の期待するような賞賛と尊敬を集めることが出来なかったと報告している。

   ソロスは、自分は、ナチス占領下のブダペストで、ユダヤ系として死地を彷徨いながら恐怖下で生きると言う「特権」を享受している故に、多くのアメリカ人より、今度の金融危機のような事態を理解するための概念的フレームワークを生み出せたのだと言う。
   このフレームワークと言うのは、ある人間の「思考」と、その人間が参加する「状況」との間で双方向に作用する、所謂再帰的な関係についての理論で、「人間の誤解と誤認が歴史の道筋を決めるうえで重要な役割を果たす」というもので、2008年のクラッシュが、最も如実に、その正しさ正確さを示していると主張するのである。

   現下の経済学は、均衡を前提にしているが、現実の市場は均衡値から時には大きく逸脱する可能性があることを肝に銘じていない。
   また、新パラダイムとして、行動経済学や適応的市場仮説の登場など進歩は見られるが、これらはニュートン力学や生物学の進化論から着想を得るなど自然現象を基準に考えているから、観察する人間が何を考えようとも何ら影響を受けない。
   しかし、人間行動――「思考」する主体が「参加」する現象――は、自然現象と違った社会現象で、この社会現象での因果連鎖は、ある事実群から次の事実群に繋がるのではなくて、ある事実群が構成する状況が、その状況の参加者の思考と、双方向的、再帰的なフィードバック・ループによって接続される。
   金融市場は、均衡点に収斂するものではない。信用創造と信用収縮のメカニズムは再帰的であって、初期には自己強化的であるが、末期には自己破壊的な「ブームと崩壊」のプロセスを辿る。この歴史的な金融システムの破壊的推移を紐解きながら、ソロスは、畳掛けるように「再帰性理論」を、この二冊の「金融市場の新パラダイム」で展開しているのである。

   私は、ソロスの展開している学説の方が正しいと感じているだが、どこかで、ローレンス・サマーズだったと思うが、ゲイツの創造的資本主義論をやや好意的に見て、ソロスを無視した発言をしていたのを読んだ記憶がある。

   これと同時に、ジョージ・A・アカロフとロバート・J・シラーの共著「アニマル・スピリット」を平行読みしていて、ソロスの再帰性理論に非常に近い形で、今回の経済危機を論じているのに興味を持った。
   行動経済学という新分野を活用して、経済の本当の仕組みを述べようとするのだから当然と言えば当然だが、多くの経済活動が、人間のアニマル・スピリット、すなわち、非経済的な動機や不合理な行動によって動かされており、これこそが、現実世界で経済が上下動する大きな原因だとケインズが「一般理論」で説いているとして、
   アニマル・スピリットを、安心・公平さ・腐敗と背信・貨幣錯覚・物語に分解して、これらの視点から、現在の経済学が如何に現実から乖離した理論を展開しているかを論じていて非常に面白い。

   参考文献には、ソロスのこの新パラダイム本が挙げられているが、あの「投機バブル 根拠なき熱狂」の著者シラー先生も、ノーベル賞学者のアカロフ先生も、この本では、同じ未曾有の経済危機を題材に現代経済学を批判しながらも、ソロスの再帰性理論に触れていない。
   気にすることはない、ソロス御大。あの20世紀最高の経営学者ドラッカー先生でさえ、徹底的に学者連中から無視され続けて、スタンフォードのビジネス・スクールで、一度も、文献として引用されたことがないと言うのである。(この件、ドラッカーが亡くなった時に、海外メディアの追悼報道をチェックして、このブログで書いている。)
   ガルブレイスも、晩年、「悪意なき欺瞞」を著して、如何に、現在の経済学者が、現実にマッチしないナンセンスな議論を展開しながら、我々を欺瞞に導いているのかを、克明に活写して逝った。

   所詮、経済現象は、全く合理的ではあり得ない、気が向いたら右にでも左にでも動き回る不確かな人間心理によって起こるもの。再帰性があるから、均衡点など無視して突破し、極端に暴走して奈落の底まで突き進むことさえある。定式化もモデル化も殆ど不可能な経済現象を、あまりにも理路整然として説明し、非の打ち所のないような経済理論ほど危ない。
   そう言うことかも知れない。
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