熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

白石加代子「百物語」・・・平家物語壇ノ浦・耳なし芳一・杜子春

2009年07月01日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   久しぶりの白石加代子の一人語りの舞台を鑑賞するため、ル・テアトルに出かけた。
   この前の舞台は、野村萬斎との「国盗人」や一人舞台の「源氏物語」だから、百物語の舞台は、もう、何年かぶりである。
   シンプルな舞台設定と音楽で、白石加代子が、台本を読んだり、演技をしたりしながら、物語を一人語りで、一人舞台を演じるのであるが、やはり、天下の名女優、かつ、現代の最高峰の語り部としての貫禄は十分で、いつの間にか、物語に引き込まれて聞き入ってしまう。

   これだけの名女優であり、語り部である白石加代子を、何故、山田監督は、寅さんのマドンナに登場させて、渥美清と、日本人としての心の会話の奥深い交流をさせなかったのか、残念に思っている。
   蜷川の演出した「真夏の夜の夢」のタイターニアの、なんとも言えないほど実に妖艶でコケティッシュな舞台を見てからのファンだが、とにかく、私にとっては理屈ぬきに、観たい女優なのである。

   そして、今回の出しものである「耳なし芳一」と「杜子春」は、何処から仕入れた知識なのかはっきりとは記憶はないのだが、子供の頃から良く知っている話なのである。
   平家物語の壇ノ浦の段は、当然、耳なし芳一の話の核心部分であり、前座として話される訳だが、これも、私の好きな古典なので、大変楽しみに出かけた。

   平家は、下関の壇ノ浦で滅亡するのだが、ここで、二位の尼(清盛の妻、すなわち、祖母)に抱かれて、8歳の安徳天皇が入水崩御する。
   この壇ノ浦にあるのが赤間神宮なのだが、ここに、安徳天皇を葬った御稜がある。
   この神宮は、元は阿弥陀寺と称したお寺で、平家や源氏物語を得意とする盲目の琵琶法師・芳一が、詩歌管弦を愛する和尚に一室を与えられて住んでいたのだが、
   和尚の留守する真夜中に、平家の怨霊に誘われ誑かされて、平家一門の墓七盛塚前で、琵琶を片手に平家物語の壇ノ浦の段を語らせられる。
   毎夜誘われて嵐の中で必死に語り続ける芳一の身を案じて、和尚は怨霊を取り除くために、芳一の体全体に般若心教を書き綴るのだが、耳だけ書き忘れ、夜中に呼び出しに来た怨霊が、芳一が見えないのに腹を立てて耳だけ引きちぎって去って行く。
   それから、怨霊は来なくなったが、耳なし芳一と呼ばれるようになった。

   この壇ノ浦近辺には、源平の激しい合戦で死んで行った多くの怨霊や亡霊が蠢いていて、多くの物語が残されている。
   盲目の芳一が、琵琶を掻き鳴らしながら語る平家の最後に、すすり泣き嗚咽する平家の怨霊や亡霊の描写など圧巻で、激しく胸を打つ。
   白石加代子の読んだのは、二位の尼が「西方浄土へ」と安徳帝を抱いて入水し、建礼門院が生け捕りとなり、知盛が「今は見るべきことは見はてつ」と海中へ飛び込む核心部分だが、これは、「早鞆」の段で、実際の壇の浦の段は、その前の段であり、芳一の語ったのは、これら総てであろうと思う。
   歌舞伎にも岡本綺堂の名作「平家蟹」などがあって、このブログでも、芝翫の至芸について書いたことがあるが、討ち死にした平家の武将や身を鬻がなければならなかった侍女たちの悲しい運命の数々が胸を打つ。

   下関港のすぐそばの岸辺の高台に建つ赤間神社には、一度だけ行ったことがあるが、中国風の雰囲気のある水天門などのある朱塗りの鮮やかな派手な神宮で、たしか、安徳天皇御陵や平家一門の墓の後方に、琵琶を抱えた芳一の木像を安置した芳一堂があったと記憶している。

   ちなみに、この赤間神宮から少し北東に歩くと、関門橋に達するが、この辺りが壇ノ浦のようで、更に、進むと、非常にしっとりとした情緒豊かな城下町長府がある。
   反対側に歩き、下関港を越えると、宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘の巌流島が海上に見えるのだが、やはり、下関は歴史と伝統のある町で、旧市街を歩きながら、ふっとタイムスリップするのも楽しい。
   たった一日の旅だったが、思い出深い旅で、白石加代子の名調子を聞きながら、思い出していた。

   「杜子春」は、中国の杜子春伝を基にした芥川龍之介の子供向け物語である。
   洛陽の西門の下で金持ちの息子ながら身を持ち崩した杜子春が佇んでいると、片目すがめの不思議な老人が現れて、金持ちにしてくれる。
   しかし、前と同じように浪費しつくして3年たち、また、元の貧しい青年に戻って立っていると、再び金持ちにしてくれる。
   金持ちの時は人々は寄り集まってくるが、貧乏になると見向きもしなくなる。人間に愛想をつかした杜子春は、3度目に、老人に会ったときには、弟子にして貰って仙人になりたいと頼み込む。
   蛾眉山で修行中、仙人が留守の間、一切声を出してはならないと厳命される。
   しかし、地獄に落ちた両親が、閻魔大王に引き出されて鬼たちに滅多打ちにされ苦しみながらも、子を思う母の慈愛を感じて耐え切れず「お母さん」と叫んでしまう。
   夢破れて、洛陽の西門に立った杜子春は、人間らしい暮らしをすると誓う。
   仙人は、泰山の麓にある桃の花咲く一軒の家と畑を杜子春に与える。

   そんな話だが、何故か、私には、人の世の薄情さと言うか諸行無常の印象が強くて、後半の母の話の記憶は希薄である。
   中国風の4連の衝立を立てて、前に一脚のいすを置いただけのシンプルな舞台だが、銅鑼がなる中国風の音楽が、シナムードを盛り上げて雰囲気が出ていて面白い。
   白石加代子は、昔、スリットの入ったアオザイを着て出る舞台があったのだが、妹に止めて欲しいと拝み倒されて止めたことがあるので、今回もチャイナドレスを止めて着物にしたと笑わせながら、山水をあしらった黒い和服に、唐獅子を描き、後ろに牡丹の飾りをくっつけた帯を締めて登場した。
   美貌やスタイルの良さ、顔形で魅せる女優ではないから、失礼ながら、何を着ても同じだと思うのだが、何を思ったのか、真っ赤な足袋に、真っ赤な鼻緒の下駄とはどう言うことか。
  
   腰を曲げて杖をつきながら呟きながら衝立に消えていく仙人姿なども、どうに入っていて、とにかく、芝居とは違った白石加代子の魅力が発散していて、楽しい2時間であった。
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