熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

木村 泰司「なぜ、フィレンツェでルネサンスが起こったのか」

2024年01月09日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   木村 泰司の「名画の言い分 数百年の時を超えて、今、解き明かされる「秘められたメッセージ」」が易しくて面白い。
   まず、私の何時も念頭にある「なぜ、フィレンツェでルネサンスが起こったのか」について、興味深い見解を述べていることである。
   これまで、主に、その繁栄を「メディチ・エフェクト」として論じたフランス・ヨハンセンの文化文明の十字路論などを元にして、当時、正に、その十字路であったフィレンツェに、芸術家や学者や起業家たち優秀な頭脳が糾合して切磋琢磨して、文化芸術・科学技術が爆発開化した。と考えてきた。
  
   木村 泰司論を要約すると、 
   13世紀後半、当時行われていた十字軍の遠征で、海洋都市であったベネチアなどの商人が輸送船を提供するなど協力して、商圏の拡大を許されるなど多大な恩恵を享受して繁栄し、富裕な市民階級が台頭してきた。貧しかった中世時代、神様に雁字搦めに束縛されていたが、豊かになると現世を楽しもうじゃないかという気持ちになって、そこで、同じように人間中心の時代であったギリシャ・ローマ時代に非常に興味を抱くようになった。
   15世紀、当時のイタリアは、多数の都市国家が乱立状態であったが、時のミラノ大公が、自分を古代ローマ皇帝に見立てて、全イタリアを支配下に置こうとしたので、危機感を抱いたフィレンツェは、古代ギリシャのアテネを手本にして、軍事力と政治力、そして、美術の力を用いて国民を鼓舞して対抗した。これを機に、フィレンツェの人々は、ギリシャに憧れ、その文明を継承したローマに憧れ、ギリシャ・ローマ時代の人文学、美術、神々をリナーシタ=再生しようしていった。このリナーシタ=再生が、フランスでルネサンスと呼ばれるようになったのだという。
   要するに、地中海貿易の活況によって、一気にイタリア諸都市が経済的に富裕になり、富と知力を備えた市民階級が台頭して、意識革命・精神革命を起して、ギリシャ・ローマ時代の文化文明に憧れて、文芸復興運動に邁進したということであろうか。
   神様に束縛されるのは、もうこりごりだ、マンジャーレ(食べよう)、カンターレ(歌おう)、アモーレ(恋し合おう)、人間中心の時代への回帰が面白い。

   さて、著者の説明で興味深いのは、「煉獄」という概念である。
   ギリシャやローマ人は、キリスト教徒ではなく異教の人々なので、天国へは行けないが、自分たちの文明のルーツなので地獄に行かれても困る。そこで、地獄でもない、天国でもない、罪を浄化するために留まる天国の手前の場所である煉獄を考えたのである。
   尤も、ダンテは、14世紀初頭に、「神曲」で、「煉獄篇」を描いているが、特別待遇だとは言え、ソクラテスやプラトン、ホメロスなどを地獄に送っている。

   もう一つ注目すべきは、「画家から芸術家への昇華」である。フィレンツェは、商人と職人の街だが、出世欲もあり、競争心もあり、自己顕示欲も生まれた画家たちが、職人階級に甘んじているのを良しとせず芸術家となっていった。
   芸術家と認められるためには、自分の作品を文章で裏付けるなど、豊富な知識と精神が必要で、神様のようにすべてのことに精通した男、万能の人、と見なされなくてはならない。そして、その人の知性と精神が作品に反映されて、はじめて、それが芸術作品と認められた。神に等しい存在となった芸術家たちは、作品を製作するのではなくて、創作するようになったのである。
   バチカンのシスティナ礼拝堂の壁画やレオナルド・ダ・ヴィンチの絵画を見れば、それが良く分かる。

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