鎌倉宮前から、杉本寺に向かって歩き始めたら、分岐点で、荏柄天神社の方が近いことが分かって、右折れして西に歩くと、すぐ赤い鳥居が見えて、そのずっと奥に急な石段があり、門が見える。
石段を上り詰めると、鮮やかな朱塗りの建物本殿が現れ、天満宮の扁額の掲げられた門をくぐると、明るくてオープンな境内が広がる。
この荏柄神社は、天満宮であるから、当然、祭神は、菅原道真であり、福岡の大宰府天満宮、京都の北野天満宮と共に、三天神社と称される古来の名社なのである。
学問の神様であるから、本殿の両サイドの壁面には、びっしりと絵馬が架けられており、壮観である。
門も本殿も、扉は5弁の梅の丸い切抜き。境内には、梅の木が植えられていて、流石に、道真の飛び梅の世界である。
ところで、境内に、樹齢何百年の大銀杏があったようだが、迂闊にも気付かなかった。
さて、この神社で、面白いのは、カッパの漫画家である清水崑の絵筆を供養したかっぱ筆塚が立っていて、その背後の高台に、その意思を継いだ横山隆一を中心とした漫画家たちがカッパをモチーフにして描いたたレリーフを貼り付けた絵筆塚が威容を誇っていて、場違いながら面白い。
ドラえもんも居れば、小島功のセクシーおねえさんも居る。
菅原道真も、喜んでいるかも知れない。
この神社でも、シュウメイギクが咲き乱れている。
東に歩いて、金沢街道に出て、杉本寺に向かった。
小学校があるので、下校途中の小学生に出合うのだが、この鎌倉では、治安が良いのか、子供たちの集団登下校風景は見たことがない。
かなり人気の少ない鎌倉山近辺でも、小学生が一人でバス登校している。
大通りから杉本寺へは、沢山の派手な十一面杉本観音の幟旗の行列で、すぐに分かる。
急な石段が伸びていて仁王門が見えるのだが、鄙びた古社寺の風格など全く感じさせない。
仁王門には、二体の仁王が左右から迎えてくれる。
この仁王門も本堂も、茅葺屋根であるのが、中々、風情があって良い。
仁王門の茅葺き屋根をバックに芙蓉が美しい。
仁王門をくぐると、本堂に向かって、一直線に石段が伸びているのだが、苔むした階段の石段は、砂岩であろうか、擦り切れて歴史を感じさせて中々面白い。
アップとダウンの石段の風景は、下記の通りである。
安西篤子さんのエッセイでは、子供の頃は、この石段は現役であったようだが、今は、左側に新しい迂回路が出来て、本堂に向かっている。
途中に、萩が一叢咲いていた。
さて、本堂には、この寺の本尊である3体の木造十一面観音立像(2体は重文)が、一番奥の須弥壇に安置されている。
内陣にも、他に、運慶・快慶作の仏像など安置されているのだが、近づいても堂内が暗くて、定かには見えない。
外に出て、鐘楼堂脇から、本堂を見上げたが、苔むして、中々雰囲気のある古寺ながら、あっちこっちの幟旗が、何となく、不具合で、私には興ざめであった。
石段を上り詰めると、鮮やかな朱塗りの建物本殿が現れ、天満宮の扁額の掲げられた門をくぐると、明るくてオープンな境内が広がる。
この荏柄神社は、天満宮であるから、当然、祭神は、菅原道真であり、福岡の大宰府天満宮、京都の北野天満宮と共に、三天神社と称される古来の名社なのである。
学問の神様であるから、本殿の両サイドの壁面には、びっしりと絵馬が架けられており、壮観である。
門も本殿も、扉は5弁の梅の丸い切抜き。境内には、梅の木が植えられていて、流石に、道真の飛び梅の世界である。
ところで、境内に、樹齢何百年の大銀杏があったようだが、迂闊にも気付かなかった。
さて、この神社で、面白いのは、カッパの漫画家である清水崑の絵筆を供養したかっぱ筆塚が立っていて、その背後の高台に、その意思を継いだ横山隆一を中心とした漫画家たちがカッパをモチーフにして描いたたレリーフを貼り付けた絵筆塚が威容を誇っていて、場違いながら面白い。
ドラえもんも居れば、小島功のセクシーおねえさんも居る。
菅原道真も、喜んでいるかも知れない。
この神社でも、シュウメイギクが咲き乱れている。
東に歩いて、金沢街道に出て、杉本寺に向かった。
小学校があるので、下校途中の小学生に出合うのだが、この鎌倉では、治安が良いのか、子供たちの集団登下校風景は見たことがない。
かなり人気の少ない鎌倉山近辺でも、小学生が一人でバス登校している。
大通りから杉本寺へは、沢山の派手な十一面杉本観音の幟旗の行列で、すぐに分かる。
急な石段が伸びていて仁王門が見えるのだが、鄙びた古社寺の風格など全く感じさせない。
仁王門には、二体の仁王が左右から迎えてくれる。
この仁王門も本堂も、茅葺屋根であるのが、中々、風情があって良い。
仁王門の茅葺き屋根をバックに芙蓉が美しい。
仁王門をくぐると、本堂に向かって、一直線に石段が伸びているのだが、苔むした階段の石段は、砂岩であろうか、擦り切れて歴史を感じさせて中々面白い。
アップとダウンの石段の風景は、下記の通りである。
安西篤子さんのエッセイでは、子供の頃は、この石段は現役であったようだが、今は、左側に新しい迂回路が出来て、本堂に向かっている。
途中に、萩が一叢咲いていた。
さて、本堂には、この寺の本尊である3体の木造十一面観音立像(2体は重文)が、一番奥の須弥壇に安置されている。
内陣にも、他に、運慶・快慶作の仏像など安置されているのだが、近づいても堂内が暗くて、定かには見えない。
外に出て、鐘楼堂脇から、本堂を見上げたが、苔むして、中々雰囲気のある古寺ながら、あっちこっちの幟旗が、何となく、不具合で、私には興ざめであった。