歌舞伎座の三月大歌舞伎は、
「昼の部」が、
1.名君行状記
2.義経千本桜 渡海屋 大物浦
3.神楽諷雲井曲毬 どんつく
「夜の部」は、
1.引窓
2.けいせい浜真砂 女五右衛門
3.助六由縁江戸桜
義経千本桜については、先日観劇記らしいものを書いたが、後はそのままであったので、今回は、印象記だけ記しておきたい。
まず、最後の「助六」だが、これは、成田屋の正に看板歌舞伎なので、何度か、團十郎の名演と言うか磨き抜かれた決定版の舞台を観ていて、強烈な印象が残っている。
7年前に、海老蔵の助六を観ての印象記は、
海老蔵の助六は、恐らく、実際と思しき助六のイメージにより近いと思うし、はちきれそうな艶のある色男の魅力は抜群なのだが、しかし、同じ粋さ加減でも、助六の男伊達としての美学なり人間的な表現の広がりと奥深さと言うか、その滲み出てくるような男の魅力においては、團十郎の方がはるかに勝っており、これは、正に、芸の差、年論の差であろうと思う。
それなりのエネルギーと迫力は感じたのだが、歴史と伝統に培われた歌舞伎の醍醐味と言うか奥深さを味わう喜びにはやや欠けていたような気がする。
本当は、海老蔵の助六像が確立されつつあるのだろうが、私の印象は変わらなかった。
これは今回の「助六由縁江戸桜」を観ての相対的な感想でもあるのだが、以前に観た、團十郎の助六、白酒売新兵衛の菊五郎、意休の左團次、母の曽我満江の秀太郎は同じだったと思うが、玉三郎の揚巻に加えて、仁左衛門のくわんぺら門兵衛、その子分・朝顔仙平の歌六、通人里暁の勘三郎、福山かつぎ寿吉の三津五郎の舞台を観ていると、歌舞伎役者の芸の蓄積・経験が、如何に役者を育み、芸の深化と舞台の豊かさ素晴らしさを生み出す源泉になっているかが良く分かって、この舞台の凄さを実感した。
その意味では、今回は、多少、軽量級の舞台であったと思う。
この前の海老蔵の助六で興味深かったのは、三浦屋格子先だけではなく、水入りまでの舞台が演じられ、久しぶりに、助六が、意休を切り倒して名刀友切丸を取り戻し、追っ手からの逃げ場に困って、天水桶の水の中に隠れると言う派手な幕切れを観たことである。
このあたりの海老蔵は、やはり、水も滴る良い男で、この助六の舞台では、白酒売りの染五郎などの若い俊英役者を支えて好演していたのが、揚巻の福助、意休の歌六のベテラン役者で、特に、母親の曽我満江を演じた秀太郎の格調高い名演。
今回も、菊五郎、左団次、秀太郎の芸の冴えと確かさが、舞台を支えて余りあった。
「引窓」は、中々、感動的な舞台で、南方十次兵衛の幸四郎、濡髪長五郎の彌十郎、女房お早の魁春、母お幸の右之助は、夫々、適役で、文句なしの素晴らしい舞台で、しっとりとした感動的な芝居を堪能させてもらった。
「女五右衛門」の「南禅寺山門の場」は、藤十郎と仁左衛門の世界だが、錦絵を見せるような極彩色のシーンの連続。
昼の部は、芝居としては、やはり、真山青果の作品なので、「名君行状記」が面白かった。
名君の誉れ高い藩主の池田光政に対して、その名君と言う名望に嫌気をさし許せなくなった若い藩士青地善左衛門(亀三郎)が、本当に名君なのかを知りたくて、死罪を覚悟でご禁制の禁猟地で鳥を撃ち殺して、これを、明快に光政が裁く。
いくら名君でも、こんなバカな家来を持てば災難だが、有為な青年故、上手く裁いて助けると言う話。
このような格調高い名君を演じるのは、当然、梅玉。
亀三郎が、血気盛んな全学連の闘士のようなバカ者を熱演しており、いつも悪役の團蔵が、好々爺の家老を好演している。
この亀三郎は、「助六」の通人里暁も器用に演じており、活躍中。
「神楽諷雲井曲毬 どんつく」は、三津五郎の三回忌追善狂言であるので、已之助の独壇場の舞台。
菊五郎以下、名優はじめオールキャストが勢揃い。
親方鶴太夫の松緑と太鼓打の亀寿が、一緒に威勢よく踊っていた。
「昼の部」が、
1.名君行状記
2.義経千本桜 渡海屋 大物浦
3.神楽諷雲井曲毬 どんつく
「夜の部」は、
1.引窓
2.けいせい浜真砂 女五右衛門
3.助六由縁江戸桜
義経千本桜については、先日観劇記らしいものを書いたが、後はそのままであったので、今回は、印象記だけ記しておきたい。
まず、最後の「助六」だが、これは、成田屋の正に看板歌舞伎なので、何度か、團十郎の名演と言うか磨き抜かれた決定版の舞台を観ていて、強烈な印象が残っている。
7年前に、海老蔵の助六を観ての印象記は、
海老蔵の助六は、恐らく、実際と思しき助六のイメージにより近いと思うし、はちきれそうな艶のある色男の魅力は抜群なのだが、しかし、同じ粋さ加減でも、助六の男伊達としての美学なり人間的な表現の広がりと奥深さと言うか、その滲み出てくるような男の魅力においては、團十郎の方がはるかに勝っており、これは、正に、芸の差、年論の差であろうと思う。
それなりのエネルギーと迫力は感じたのだが、歴史と伝統に培われた歌舞伎の醍醐味と言うか奥深さを味わう喜びにはやや欠けていたような気がする。
本当は、海老蔵の助六像が確立されつつあるのだろうが、私の印象は変わらなかった。
これは今回の「助六由縁江戸桜」を観ての相対的な感想でもあるのだが、以前に観た、團十郎の助六、白酒売新兵衛の菊五郎、意休の左團次、母の曽我満江の秀太郎は同じだったと思うが、玉三郎の揚巻に加えて、仁左衛門のくわんぺら門兵衛、その子分・朝顔仙平の歌六、通人里暁の勘三郎、福山かつぎ寿吉の三津五郎の舞台を観ていると、歌舞伎役者の芸の蓄積・経験が、如何に役者を育み、芸の深化と舞台の豊かさ素晴らしさを生み出す源泉になっているかが良く分かって、この舞台の凄さを実感した。
その意味では、今回は、多少、軽量級の舞台であったと思う。
この前の海老蔵の助六で興味深かったのは、三浦屋格子先だけではなく、水入りまでの舞台が演じられ、久しぶりに、助六が、意休を切り倒して名刀友切丸を取り戻し、追っ手からの逃げ場に困って、天水桶の水の中に隠れると言う派手な幕切れを観たことである。
このあたりの海老蔵は、やはり、水も滴る良い男で、この助六の舞台では、白酒売りの染五郎などの若い俊英役者を支えて好演していたのが、揚巻の福助、意休の歌六のベテラン役者で、特に、母親の曽我満江を演じた秀太郎の格調高い名演。
今回も、菊五郎、左団次、秀太郎の芸の冴えと確かさが、舞台を支えて余りあった。
「引窓」は、中々、感動的な舞台で、南方十次兵衛の幸四郎、濡髪長五郎の彌十郎、女房お早の魁春、母お幸の右之助は、夫々、適役で、文句なしの素晴らしい舞台で、しっとりとした感動的な芝居を堪能させてもらった。
「女五右衛門」の「南禅寺山門の場」は、藤十郎と仁左衛門の世界だが、錦絵を見せるような極彩色のシーンの連続。
昼の部は、芝居としては、やはり、真山青果の作品なので、「名君行状記」が面白かった。
名君の誉れ高い藩主の池田光政に対して、その名君と言う名望に嫌気をさし許せなくなった若い藩士青地善左衛門(亀三郎)が、本当に名君なのかを知りたくて、死罪を覚悟でご禁制の禁猟地で鳥を撃ち殺して、これを、明快に光政が裁く。
いくら名君でも、こんなバカな家来を持てば災難だが、有為な青年故、上手く裁いて助けると言う話。
このような格調高い名君を演じるのは、当然、梅玉。
亀三郎が、血気盛んな全学連の闘士のようなバカ者を熱演しており、いつも悪役の團蔵が、好々爺の家老を好演している。
この亀三郎は、「助六」の通人里暁も器用に演じており、活躍中。
「神楽諷雲井曲毬 どんつく」は、三津五郎の三回忌追善狂言であるので、已之助の独壇場の舞台。
菊五郎以下、名優はじめオールキャストが勢揃い。
親方鶴太夫の松緑と太鼓打の亀寿が、一緒に威勢よく踊っていた。