この本は、ホモサピエンスの登場から説き起こして世界史を展望しているのだが、多少荒削りで、あれっと思う記述もあるのだが、お復習いのつもりで読んでいることもあって、フッと新鮮な話題に思いを巡らすこともあって面白い。
中南米の古代文明は、コロンブス以降台頭したスペインのコンキスタドールのコルテスやピサロに征服されて、一気に世界の歴史上に脚光を浴びた感じだが、例えば、メキシコの南東部、グアテマラ、ベリーズにかけてのメソアメリカのマヤ文明などは、紀元前から栄えて、結構成熟した文化文明を誇っており、また、メキシコシティ近郊のテオティワカンのアステカ文明やペルーのインカ文明も同様であった。
南北アメリカの原住民であるインディアンやインディオは、アフリカからアリューシャン列島を経由して移動した我々日本人と同様のモンゴロイドである。
さて、まず不思議なのは、ユーラシアと中南米の人間文化は、全く異なった経緯を辿っていることである。
米国大陸で大きな都市文明が興ったときには、何故かユーラシアの4大文明のように大河の流域に生まれなかった。
不思議なことに、エジプトやメソポタミア文明に匹敵する米国の文明が生まれたのは、温帯ではなく熱帯でありペルーの高い山の斜面やメソアメリカの密林や湿地帯であった。
ここでも協働なくしては不可能な大規模なインフラ事業が行われ、そのために官僚社会が発達した。巨大なピラミッドを建設し、優れた芸術を生み出し、数学や天文学、そのたの分野で様々な事柄を発見した。
しかし、アメリカでは、ユーラシアのように大治水灌漑工事のような大事業ではなく、多すぎる水と少なすぎる平坦な土地を克服するための協力であり、マヤでは、水路を掘って沼地の水を抜き、湿地の中に耕作可能な乾いた土地を造成した。南米の進んだ農耕社会は非常に急峻な斜面に段々畑を開墾し、雨水と山の上の小川から引いた水で灌漑した。
天気の移り変わりになすすべがなかったのであろうか。アメリカの高度な諸文明は、ある程度繁栄すると、突然滅びると言う特定のパターンを繰り返している。
あの繁栄を誇った「神々の都テオティワカン」は、7世紀の初頭―――イスラムが誕生し、随の皇帝たちが中国を建て直し、教皇グレゴリウスがキリスト教の教義を定めた頃―――消失した。原因は、おそらく、旱魃に始まり、その後飢饉、革命、侵略、戦争と災禍が続いたのであろう。
メソアメリカの都市は興っては滅び、ジャングルに消えていった。しかし、メソアメリカ全域が、人の移動と相互交流にによって絡み合っていたからであろう、文化は驚くほど連綿と受継がれてきている。と言う。
些細なことかも知れないのだが、面白いのは、アメリカには、家畜化する動物が居なかったと言うこと、また、馬や牛やロバやラバやらくだなど人々の移動や荷物の運送に使える動物がいなかったこと等々。
ペルーのマチュピチュとクスコを訪れたときに、カミソリの刃さえ通さないほどピッタリと精巧に積み上げられた石垣擁壁を見てびっくりしたのだが、聞いてみたら、ピッタリと合うまで人間が努力して磨き上げたのだと言うことであった。
ミイラに頭を外科手術した跡が残っていたがあの未文化のインカに如何に進んだ医術があったのか、リマの天野博物館で途轍もなく精巧で芸術的な織物を見たときの感慨と共に忘れられない。
このぺルーのインカ文明の跡地や、幸いにも、アメリカやメキシコで仕事をする機会があったので、メキシコと近郊のテオティワカンのアステカ文明、そして、メキシコ東部のウシュマルやチチェン・イッツアなどのマヤ文明の遺跡を見聞する機会を得て、その後、ナショナル・ジオグラフィックの本など随分読んで勉強した。
今回は、掘り下げてのコメントは控えるが、
ブラジルに4年住んでいたので、隣のパラグアイやボリビアなどのインディオ文化遺跡にも触れており、私には、中南米の歴史については、無関心ではおれないのである。
中南米の古代文明は、コロンブス以降台頭したスペインのコンキスタドールのコルテスやピサロに征服されて、一気に世界の歴史上に脚光を浴びた感じだが、例えば、メキシコの南東部、グアテマラ、ベリーズにかけてのメソアメリカのマヤ文明などは、紀元前から栄えて、結構成熟した文化文明を誇っており、また、メキシコシティ近郊のテオティワカンのアステカ文明やペルーのインカ文明も同様であった。
南北アメリカの原住民であるインディアンやインディオは、アフリカからアリューシャン列島を経由して移動した我々日本人と同様のモンゴロイドである。
さて、まず不思議なのは、ユーラシアと中南米の人間文化は、全く異なった経緯を辿っていることである。
米国大陸で大きな都市文明が興ったときには、何故かユーラシアの4大文明のように大河の流域に生まれなかった。
不思議なことに、エジプトやメソポタミア文明に匹敵する米国の文明が生まれたのは、温帯ではなく熱帯でありペルーの高い山の斜面やメソアメリカの密林や湿地帯であった。
ここでも協働なくしては不可能な大規模なインフラ事業が行われ、そのために官僚社会が発達した。巨大なピラミッドを建設し、優れた芸術を生み出し、数学や天文学、そのたの分野で様々な事柄を発見した。
しかし、アメリカでは、ユーラシアのように大治水灌漑工事のような大事業ではなく、多すぎる水と少なすぎる平坦な土地を克服するための協力であり、マヤでは、水路を掘って沼地の水を抜き、湿地の中に耕作可能な乾いた土地を造成した。南米の進んだ農耕社会は非常に急峻な斜面に段々畑を開墾し、雨水と山の上の小川から引いた水で灌漑した。
天気の移り変わりになすすべがなかったのであろうか。アメリカの高度な諸文明は、ある程度繁栄すると、突然滅びると言う特定のパターンを繰り返している。
あの繁栄を誇った「神々の都テオティワカン」は、7世紀の初頭―――イスラムが誕生し、随の皇帝たちが中国を建て直し、教皇グレゴリウスがキリスト教の教義を定めた頃―――消失した。原因は、おそらく、旱魃に始まり、その後飢饉、革命、侵略、戦争と災禍が続いたのであろう。
メソアメリカの都市は興っては滅び、ジャングルに消えていった。しかし、メソアメリカ全域が、人の移動と相互交流にによって絡み合っていたからであろう、文化は驚くほど連綿と受継がれてきている。と言う。
些細なことかも知れないのだが、面白いのは、アメリカには、家畜化する動物が居なかったと言うこと、また、馬や牛やロバやラバやらくだなど人々の移動や荷物の運送に使える動物がいなかったこと等々。
ペルーのマチュピチュとクスコを訪れたときに、カミソリの刃さえ通さないほどピッタリと精巧に積み上げられた石垣擁壁を見てびっくりしたのだが、聞いてみたら、ピッタリと合うまで人間が努力して磨き上げたのだと言うことであった。
ミイラに頭を外科手術した跡が残っていたがあの未文化のインカに如何に進んだ医術があったのか、リマの天野博物館で途轍もなく精巧で芸術的な織物を見たときの感慨と共に忘れられない。
このぺルーのインカ文明の跡地や、幸いにも、アメリカやメキシコで仕事をする機会があったので、メキシコと近郊のテオティワカンのアステカ文明、そして、メキシコ東部のウシュマルやチチェン・イッツアなどのマヤ文明の遺跡を見聞する機会を得て、その後、ナショナル・ジオグラフィックの本など随分読んで勉強した。
今回は、掘り下げてのコメントは控えるが、
ブラジルに4年住んでいたので、隣のパラグアイやボリビアなどのインディオ文化遺跡にも触れており、私には、中南米の歴史については、無関心ではおれないのである。