熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

わが庭の歳時記・・・春の息吹

2011年02月07日 | わが庭の歳時記
   わが庭には、殆ど毎日陽が当たっていて、乾いた地面から、少しずつ、春草花の緑の芽がのぞき初めて来た。
   プランターや庭のチューリップの球根のなかには、少し浅植えし過ぎたのか、霜に押し上げられて飛び出したものもある。
   水仙は芽を出し始めているが、チューリップは、まだ、芽が顔を出していない。

   昨日、初めて、黄色いクロッカスが、一輪だけ綺麗に咲いた。
   この花を見ると、いつも、オランダのクッロカス・ホリディを思い出す。
   日本では、田舎などに行くと、コスモスなどの季節の草花が、路傍に咲いていることがあるが、オランダでは、あっちこっちの道端や、公園の芝生のなかに、沢山のクロッカスが咲いているのを見て、最初の冬には、新鮮な驚きを感じた。
   まだ、非常に寒い2月にクロッカスが一斉に咲き始めるので、その頃に、クロッカス・ホリディがあって、学校などが休みになるのだが、寒くて暗いヨーロッパに、春の到来を告げるのである。

   春と言っても、まだ、日本で言えば真冬で、チューリップ公園で有名なキューケンホフ公園がオープンするのは、それから1か月以上も先の話だし、牧場に子羊が現れてメーメー鳴いたり、あぜ道の水路に白鳥の親子が戯れるのも、ずっと先の話だが、時折顔を出す陽の光には、春の息吹が感じられる。
   私は、どこへ行く道だか、あまり考えずに、気が向くとあてどもなく、オランダの田舎を車で走った。
   オランダは、全く、何処へ行ってもフラットな国で、延々と田園地帯が広がっており、特別なハイウエイは別だが、結構、道路網が整備されていて、それに、車の数が少ないので快適である。
   道に迷うとミシュランの地図を広げるのだが、1時間も走れば国境にたどり着く小さな国なので、道に迷うことは殆どなく、迷うとすれば、複雑怪奇なアムステルダムの街の中だけである。

   走っていると、やはり、古い歴史を持つ国なので、中々雰囲気のある田舎町に入ったり、港町に出たりするのだが、その時の印象で、レストランやパブで小休止したり、天気が良いと公園などでしばし憩うことにしていた。
   オランダは、水面下にある国土が4分の1はあるので、前方の道路の上空を大きな汽船が通り過ぎて行くのを見て感激したことがある。
   水面がはるかに上の方にあるので、トンネルの上の天上運河を船が運航して行くのである。
   それに、沢山の運河が通っていて、船の航路にもなっているので、いきなり前方の道路が持ち上がって、船が悠々と通過して行くこともあれば、通行止めになったかと思うと、急に、小型機が前方を横切ることもある。
   飛行場の中を道路が走っているのだが、とにかく、国土が狭いので、共存共栄、ところ変われば品変るである。
 
   さて、この口絵写真だが、私の庭に毎日のように訪れてくれるジョウビタキである。
   律儀な鳥で、シベリアからの飛来であろうか、毎年、必ず同じ場所に帰ってくると言われている。
   前に来ていた鳥とは違っていて、新しく来た別の鳥のような感じがするのだが、時々、このあたりを縄張りとしているオスの百舌鳥に追いかけられているが、小さいながらも非常に敏捷で、あざけるように逃げて、また、戻ってくる。

   今、牡丹の木に止まっているのだが、この木にも、新しい花芽が出始めている。
   最近は、バラの木が少なくなって、牡丹の木の方が多くなったのだが、この方が、手入れが楽で助かっている。
   クリスマス・ローズの花が見え始めたので、もうすぐに、楽しめるかも知れない。
   私の庭は、住宅街の一番はずれにあるので、寒いのか、花の咲き具合が、ワンテンポ遅れているような気がしている。
   ピンクで八重の枝垂れ梅の蕾も、まだ、固くて大分先のようである。

   ピラカンサや万両の実が、いつの間にか、完全になくなってしまって、ヒヨドリが訪れなくなって、代わりに、メジロが飛んできて、枇杷の花や椿の花をつつき始めた。
   陽が大分長くなり、随分明るくなってきたので、もう、春はそこまで来ているのであろう。
   
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